再開から2012.5.21まで

5月21日
 頭を強打して気を失うの如くいきなりネットに日記を書いていたと言うことを忘れるのでとんでもないものをトップに出したまま放置することもありますからごめんなさい。

5月20日 血を記憶が飲み込むのはたぶん十八歳
 
 まるで何かの修業をしているかの如く日々が緩やかで、今までになく四季を肌に感じ、欲がなく、読書は健やかに、読んだことを適切に覚え、夜は四時間眠り、虫の声や湿度を丹念に聞き、雨の後は追い払われた鳥などを謙虚に観察し、山鳩の美しさに半日を奪われ、緑のインコの多いことに何かの悲劇をかみしめつつもその鼓動を感じるがごとく、邪悪でない殺意をみなぎらせ、それを川べりに反射させて昼の睡眠をとります。
 これを錯乱というのならほんとうにそうだろう。
 受験勉強なんていったいどういう日にすればいいんだろうと本気で思うのは、最終的にはきっと親孝行になると私は確信しているんだよね。私はもうペンを握ってじっと座っていることができないし、無理な情熱には涙が湧くし、すこしすこし放してくれてもいいと思うんだけど。
 またもう一度、お父さんとお母さんの若い時のラブレターを読みました。
 お父さんとお母さんが待ち合わせたサンフランシスコに、ニューヨークに、吉祥寺に、お母さんが井の頭の家のドアのノブを握ったその場所に、私がそっと目を覆うようにして立っていたのは、べつに怪奇でも何でもなく、ほんとにいたんですよ。お父さん、お母さん、私が死ぬときそれは二人のせいじゃないと今なら言えます、私は何一つ悪くなかったとは絶対に言えないと、今ならもうはっきり言えます。二人を見ていて分かったことに、私はこれからもこだわって生きていきます。
 わたしは毎日過去のあなたの手を強く握りしめるためにあらゆる心を飛ばしている。

 鉄瓶で御湯を沸かすとお茶がおいしいです。

5月19日 
 
 仮眠を取ったら、それよりこの仮眠はほぼ二日ぶりの睡眠なのですが(笑)、下に書いたようなことは本当に大したことではないと思いました。
 ぼくちょっと家族というやつが怖くてね、それでまるで自分の過去そのもののような顔をしてここにいるというそれだけなのさ。

5月18日
 
 洋式の結婚式より和式のがいいなあ。
 結婚する人を横目に眺めたり話しかけたりしながら、お嫁さんの家族はお婿さんの家族を見ながら、お婿さんの家族はお嫁さんの家族を見ながら、お話しながら、向かい合った列になってお酒を飲んでお祝いのお膳を食べるでしょ?
 洋式の、たとえば教会でやるのとか、丸いテーブルがたくさんあってみんなで手を叩きながらシャンパンを飲んでやる式より、やっぱりいいなあ、って、思うなー。
 これもまあ人によるんだけど。

5月17日 名字
 
 結婚したら名字を足して新しい名字をつくれるようにならないかな。
 たとえば
 工藤君と川上さんが結婚したら
 
 川上
 +
 工藤
 
 川+工→橋
 藤+上→茂  ※藤の花が咲く時には葉っぱが上に茂ってるよね。
 
 そゆうわけでたとえば工藤君と川上さんが結婚したら新しい家庭はハシボウ家、とか。
 
 それを結婚式でできたら面白いよね。二人だけじゃなくて、その場に居合わせた人みんなで共同作業。
 「そこは山だろ」
 「いや、それはちょっとへんだよ、ごろも悪いし、第一呼びにくい」
 「うーん」
みたいな。
 まあ名字の変更でそういうのはたぶん認められてないんだけどさ、たぶん人によっては楽しいよ。
 
 式の流れの中に、名字決定、というのがあったら私的にはノリノリだなー。私がどこかの夫婦のこどもなら、昔お父さんとお母さんがどういう人だったか聞くのと同じくらい、自分の苗字が決まったときのことを聴くのも楽しいって思うな。
 なんか式はみんなでつくるものじゃないの?って少し思ったの。式は誰か特別な人の姿を見るためじゃなくって、そこにいる人たちのものなんじゃないのかって、思ったの。

5月16日
 一万円もらったら、その一万円のあまりの汚さに古本屋に行って、そして文房具屋に行って、そしてラーメンを食べて、大量のほんと鉛筆を持って郵便局に行って、切手を大量に買って、一万円は一円も残らず消えまして、ふーん、一万円ってこういうのか、と思いました。たいした金じゃないっすね。
 
 最近はといえばもう目が丸くなってきて昼夜逆転して、文部省唱歌しかきかないから床から立ち上がれず、それを自慢してますます醸している。
 なんでこんなホームページに人が割と来ているんだろう。なんかちゃんとしなくてすみません。あ、あとリンク貼ってくださる方は一応声かけてくださると嬉しいです。
 私が好きな鉛筆はトンボのMONORのHBですね。MONO100は良いんだけど、柔らかくてすぐ減ってしまうの。ノートは断然ツバメノートですね。まあツバメを買えるのはかなり裕福な時ですけどね。
 
 そういえばこの前昔わたしが写本していたノートが出てきたのです。いやあ、別に価値もないんで捨てますけど。当時の自分は写本ノートになぜか「あんぱん」って名前をつけてるんですよね。「あんぱん」は44冊ありました。「あんぱん44号」まで。
 写本はいいですよ。私は十歳くらいから毎日写本をしました。しかし十五歳くらいでやめました。私は十五歳で勉強をやめたんですが、やっぱり写本の事も勉強のうちだと思ってたんでしょうね。というか当時の自分は何かと乱暴で、勉強やめる、ってなったら、勉強っぽいこともやめる、ってなったんですよね。そういう、後で考えたら「なんでそれもやめたの?」とか、「なんでそれも始めたんですよ?」みたいなことに後まで気付かなくて、不意に見つけることがあります。
 写本をすると自分の書き方というものがなくなるのです。とくに私は本を読むだけでその書き方が完全に伝染ってしまうので。ある意味毒で、でもとても頭がよくなるとは思いますよ。しかるべきものをしかるべき方法で写本すればですけれど。
 しかるべきものを選べなかった当時の私は、とりあえず自宅の書庫にあるものや、岩波文庫をうつしていたことを覚えています。今から見れば妙だ、と思うようなものも意味も分からず写していたりします。
 哲学というのがどういうものなのか心底わかりません。私は友達が大学に入り、ニーチェとか哲学とか言う言葉を語り始めてから、哲学なんかに全然興味を持たないで今まで来た自分に気付いて、実は前から気付いてたけど今気付いたふりをしました。そして図書館へ行って、一番隅の目録とかばかり置いてある誰も来ない列に寝ころんでそのほんを読んで、あろうことか夜まで読んでいて図書館の人に最後は追い出されました。そしてあろうことかその本はつまらないと思いました。貴重な一日をそんな風にすごしていたら食べ物がなくなってしまいます。そして食べなくなってしまって死んでしまいます。そういうことを私はすごくわかって、おいおいおいと思ったけど実はまだ完全に夜ではなく、夕方で、はたけの向こうにすごく夕日がてっていましたのに、なんで皆さんはあれをじっくり見ないんだろうと思いました。
 家に帰ると机の前に貼った「有為」の習字が「こらー!」と言っていました。これは三年前の正月かなんかに書いた奴ですが、私はそいつをみて、なんか「有」の字、おかしくない?呟きました。だいたい有為なんて意味をおまえはこれを書いた時考えてみたこともなかっただろうと、いうわけです。いや、そうでしょうか。そうでないかもです。
 ぼくは早く家を買って一日中、たった一日でもいいので大笑いしてめっちゃ怒って、朝から晩までどしーんとか言って、ばっこーんとか言って、これはわいの家やで!すごいやろー、とか言って、翌日になったらこれやらあ、といって宵越しの家は要らねえとか言ってどっかいきたいですね。
 まあ早いとこ言うとですね、なんかつかれちゃったんですよね。私は小さい結婚式に行ったんですよね。そして一応新婦の親友とか言う部類に入るのでおめでとして、二人が結婚するまでに交わした手紙とかないんすか、と言って、フツーに見せてくれるからチョーみて、三十通くらいぜんぶ見て、これでこういうものを見せてもらうのは四回目くらいで、私は結構人が結婚する前に交わした手紙を見るのが好きで、まあ好きとは言い切れないまでも好きで、色々やってるわけなのです。でえ、今週は式というものが二つもあって、私は大変疲れたと言うわけですね。はっはっは。いやぜんぜん、もう私は実は疲れたりしないんですけどね。だってこんなに目も丸くなってきたし。ほらほら。
 
 ちなみに書いたら読み返してませんごめんなさい。にゃ。

5月15日 自分に投資を頼めるくらい非凡ならいいんだが!
 
家を建てたい。
私は今住んでいる家が好きじゃないので家を建てたいのです。
今住んでいる家は賃貸で、住むだけで貯金を妨害されます。お金を貯めるなら賃貸に住むべきではないのに、安全に家を買うのには貯金が必要。困ったねえ。
今住んでいる家に蝉が入ると、私が捕まえて出してあげなくてはいけません。それでなければ蝉は死ぬ。
今住んでいる家のベランダに蝉が入ると、私が見つけて追い出さなければいけません。でなければ蝉はたまに死ぬ。
ベランダも部屋も、外の世界に開かれた作りではないので一度虫やら鳥が入ってきたら相当運がよくなければ外に出ることができないのです。そういうところにこの嫌な部屋のひどさがある。
狭い床を汚しては拭いて、汚しては拭いて、して一年を過ごす。そのうちこの床というのはいったい何なんだろうと思い始める。ここは四階だから、この床が三階の人の天井です。トイレの床の下にはまたトイレがあるのか?それとももしかしてキッチンがあるのか?いや、たぶんやっぱり下水の関係からトイレがしたにもあるんだろうが。私は毎日トイレの床を拭くわけですが、私の上の階のトイレも毎日拭いているんだろうか。というか床って何なんだ。
夜中に壁に枕を投げつけると隣から怒鳴られる。
私がにやけながら自分の顔を見ているときに、その鏡がついた壁の裏側では同じく誰かがにやけながら自分の顔を見ているかもしれない。鏡を見ながら歯磨きしながらそういうことを考えると誰かが口から入ってくるみたいでウォェってなるよね。
隣の部屋の人と同時に玄関を出るようにする。どうやってやるかというとずっと玄関で本を読んでいて、隣からドアを開けるような音がしたら即座に自分も出るのだ。すると隣の人は物凄い嫌な顔をする。とっさに嫌な顔をしてしまうんですね。もちろん私は左側の部屋の人にしかそういうことはしませんよ。右側の人とは良好な関係を築いています。
ひもじいときに隣の部屋から窓を通ってにんにくの炒める匂いが入ってきたら拷問!
床から竹やりで刺されたらどうする?
隣の家の人がゴーヤーを育てているのに旅行に行って、実が腐っているのを見ると私が食べますよー、と言って勝手に持って帰りたくなる!スペースがあるのに階段に布団を干してはいけないのはなぜ!
景観を損なうって、大した景観もないのになぜ!
自分の棟のポストに入っている郵便物が燃やされるのはなぜ!
蝙蝠が住んでいる!
いもりを殺虫剤で殺すのはなぜ!
隣の部屋の人のネット回線がこっちまではいってくる!
私の部屋の真下に駐車場の鉄板がある!
家の前を歩くと上智大学の人がめっちゃバスの時刻をきいてくる!
…家建てたいの関係ない気もする。
縁側ほしい。庭ほしい。
 
自分の家の畳で寝たり、自分の家の縁側で子供を育ててる夢とかめっちゃ見るんだよね。そいで起きてから、「ああ…家ほしい」みたいな。別にいいんですけど。ふふ…
そのことのためにめっちゃ勉強頑張れるかって言われると、全然頑張れない。
 
アー、ボンゲボンゲ、

5月14日 やってしまったら遅いこと
 
工藤さん工藤さん、その首のところ少しなめてみてもいいですかあ
え?首のところですか?なぜ?
舐めたいんです、いやかなあ
いや、ではない、というか現時点では何も思いませんね、ええと…
じゃあいいですねぺろぺろ
ちょっとちょっ…まってく……いや、まあいいか、あ、あちらから後輩があるいてきます
 
せ、先輩、なにされて…いや…というかなにしてるんですか?
工藤にはよくわかりません
何か舐めている人がいますけど
うん
そういうのはちょっと公衆の面前では…というかそれだれですか
さっき会った人です。別に止めるようなこともないのでやらせています。
先輩やばいですね…そういうのはもうやっちゃったら同意の上ってことですよ
え……?ん?というかよく考えたら何これ。これ私の体ですね。そして舐めているあなた、やめてください。きもちわるい。
 
工藤はやべえとおもいました。ぼうっとしていたのです。様々な徳を手に入れてしまい、もはや感覚に怯えるということから解放されてしまったわけです。そうして舐めていた人を見て、消毒液ありますかといいました。消毒液で拭きました。しかしやはりそれでもやべえのでした。だいたい若者たちのうにょにょな行為というものは、このような形でやってしまっちゃうのでは…?いやちがうか!
 
あ、もちろんフィクションですよ。私は首とか背骨とかそういう「ジョイント部分」に触れるようなしぐさをしたやつは世界の果てまで追いかけて殺しますからね。
ちなみに結婚したいならそれくらいの慎重さを持って本来は生活するべきなんですよ。え?ええまあ今私は酔ってます。結婚が長続きしないって、いうけど、いや、そういうこというのやめよう。とにかくですねー、ぱぴこくうみたいにいろんな悪いことに手を出してはいけませんよ。ぱピ子は二人で分けれるからって、それはもんだいじゃないんですよ。いやほんと、どういう意味かなあ。

5月13日 木鶏ですか
 
 白いプールに沈んで生きてる、のような日々この頃です。
 既に後のことから離れてしまったわが心は枯淡去勢の域に入っていったようで木偶のごとき顔はさらに表情を失い、語ることもまれとなり、ついには呼吸の有無さえ疑われるに至った!おおなんと!
 
 既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。目は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く思われる…
 
 酒池肉林まったく興味なーい。酒池であることにも気付かなーい。肉林の匂いは殺生嫌いの我には向かなーい。もはや心を握りきれなーい。とぼとぼと帰る。
 
 このような調子ではこの身自体が宗教じみてきてしまう。
 防衛大学校に入って一度も必死でやったことのない運動とか水泳とか、同じ部屋の人との人付き合いとか愛国心とかを本気でやったら、たぶんひとりの人間になれるよね。それくらい強烈な、これまでへの冒涜なんじゃないのってくらいの暴力的日常に触れないと、もう容易には戻ってこれない気になるよ。
 これを必死で学ぼうとか、これを必ず守ろうとか、これを必ずかなえようとか、それこそが世間と自分との癒着で、右手で捕まれば左腕を奪われるのと同じように、やはりその時には何か失ってるんでしょ。それこそが必要です。
 何かに必死になることは恋をすることと似ていて、その時だけかなり視界を狭くして向かって行くことができる気分。
 少し選ぶことが怖いと思う。
 でも強烈なものを選ぶなら、また心ある人になれると思う。

5月12日  ぼくはふにょふにょ!
 
 ぼくはふにょふにょなんですよお
 どろんとしてるのー
 じぶんがじぶんでないのー
 じぶんがじぶんてどんなきぶん?
 
 ぼくおくびょうなの!
 しんじゃきらーい

5月11日 いつでも幸福というものに
 
 たいへん疲れて打ちのめされて、俗世間の行事というものには心底うんざりして、しばらく自分はそういう行事には出ないことにしようと思います。
 三人以上でやる葬式、結婚式、などお断りです。
 死ねよ工藤。普通にふるまえよー
 もう今日はあまりにも焦りに満ちた非難めいた言葉しか口にできないと思う。日夜大荒れで葡萄酒を飲み、気付いたら風呂場で寝ているにっぽんの工藤十八歳。

5月10日
 
 春はあけぼの
 暗き空に爆竹の音押し詰めて
 それは白花火であった。雲より白い煙暗き空に上がりて、上空の風が流しゆく。
 思わず外に躍り出て川沿いをゆき、羽虫もいない朝方の細いアスファルトを走ってくる高校体育教師を避けようとしたら欄干に激突。気付かれて志望校をきかれる。午前四時半。おそろしき地域。
 
 なにがだ。笑える。

気が付いたらカウンターが六千を回っていますね。どうもありがとうございます。一万くらい行ったら何かやらねば!
 
 更新する意味があるのかって言うくらいの内容しかないものを毎回更新していますがどうかお許しください。にんにん。

5月9日
 
 眠ったら起きておかゆを作って食べます。図書館へ行って色々読みます。
 雨が降りおなかが減るので野菜を買って帰ります。さすれば途中川を渡ります。待ちきれないので林檎を食べます。外国人などが好奇の目で見てきて時計塔の時計は壊れています。頭が悪くなりそうなので本を読んで手紙を書いて、親にメールを返しますと、大抵犬が来ます。犬は濡れているので触らず帰ります。林檎を噛みすぎるので歯ぐきから出血するが普通のことと思う。脱力しているという。
 お友達と会うとやたら一緒に昼寝をし、起きてお茶を飲む。全く会いませんが。
 風邪を引いている間に雹が降り、遠い地方では竜巻を起こしたという暴風があり銀杏の葉が散った。
 雹の後にすぐに牛乳を買いに行き友達がいないのでつまらない。つらいくてなにも言えない。
 扇風機をつけるのは寒い。
 たしかにそういう一面もあるだろうと思う。じじつ多面的すぎると思う。けれど郵便を待つ心があると思う。とてもさみしい。とても傾けない。
 
 とてもこの天気がつらい。これは梅雨なの。夏が来ますから本当にもう、去年の夏から生きてきたんだよ。まあ何と言うこともありませんけどー
 知り合いが書いているという文学同人誌(ばーかみたいに分厚い)がいきなり家のポストに入っていたので読みたくない。というかラノベかこれは。結構嫌悪しているんですけど。もう少し激しく嫌悪しているんですけど優しいので嫌悪の度合いを上手く文字にできないですね、悪いけども。ていうかなんでこれを私に送ってくるのかが分からない。ぽんって置いといた。
 難解な映画そのものについてどう思うかと聞かれたけど、別に難解だろうが、最終的に原作読まないと理解できなかろうが、いいと思うしありだと思うし、そういう映画いいじゃない、って思うけど、どちらかというと好きではないです。映画って今や固まったテレビみたいなもんじゃないかなー、とか思うしね。でも難解もいいよねー。でもなんか最後の最後で「実は二人は同性愛者で付き合ってたんで―」とかいう伏線を出して終わるのとかは苦手ですん。なにそれー、そんなことやっていいのー、みたいなね。こないだ映画館にお母さんの好きな俳優さんが出てるスパイ映画見に行って思ったんですけど。裏切りのサーカスとかいう映画ね。とくに面白いこともなかった。
でも難解な映画苦手ってのは単に自分の知能が低いのかもしれないですけどね。シッシッシ。もう自分が若年性アルツハイマーだったとしても何も疑わないけどもね。
 
 なんかこう何一つちゃんとは好きと思えない状況は去年の夏ごろからあって、ただ桜が咲いてるとか散ってるとか川が流れてるとかいうことに感動してるんですよねえ。いやらしいはなしだよねたかが十八歳とかでさー、そんなことをいってさあ。僕は死ねやあと思うんですよね。人に会うとすごくうれしいんですよね。かなしいんですよねなんか。はやく家に帰って本を読みたいんですよね。でもできれば一緒に読まないかなあこの人、っておもうんですよね。ていうかなんであの部屋に帰るんだろうなあ、何も大事なものがあるわけじゃないなあ、ってね。で、なんか闇雲に美術作品とか見るんですよね上野に行って。そしてなにか手当たり次第呑んで食ってするんですね。だから危険だからあんまりお金儲けはしないようにしてるんですね。ほんとにいやな暮らし方だなあと思いますよ。何食べても別に誰と食べるかに比べたら全く大したことじゃないしねえ。
 
 ここは首都東京ですねえ。
 私は生まれてからこのへんの桜以外見たことがないんですね。川もですね。
 パリに行ったって北海道いったって旅行なんだから東京の延長みたいなもんだよね。だって東京から飛行機に乗って東京に帰るんだよ。それのなにが自慢できるんだって言うさあ。自慢してないけど。パリに行くなんて旅行ならトイレ行くようなもん。
 
 ここは首都東京でずっとここにいますってことは恥ずべきことですよ。もう恥じたって仕方がないんだけどさあ。雷が物凄いな。僕もうこれでも若者っちゅうか人間と言えるんやろか。蘆花。そういえば蘆花公園で落語やるらしいなあ。ほんとかなあ。いこかなあ。
 
 それから日記を休んでいたのはだるくってあとだるがることに忙しかったからです。申し訳ないです。

4月19日 それは攫われた日の玄関の光だ
 
 はやくしたい。はやく。
 
 先生が私について書いてくれるとうれしいんだけど、たまに喜んで読み過ぎて食われそうになることがある。いつもはそれにすごく気をつけて読んでいるんだけど、今日はちょっと油断したから精神にものすごい抵抗を感じた。フー…
 だってこないだ工藤のこと書いたばっかじゃない。さすがにちょっと予想外のスパンで来られるとちょっと…うれしいけどちょっと…油断した。
 
 そろそろこの生活に煮詰まりを感じる。
 十九歳はやっぱりもう一つ箱を開けなくてはいけないだろうか。パンドラって可能性もあるが。

4月18日 わが身世にふるながめせしまに 
 
 対岸の火事といえば過去のことの桜
 
自分が家族というものの保ち方、作り方について、思考錯誤を人様にご迷惑になるくらいのレベルで過激に繰り返すのを優しく見てくれるくらい私を待ってくれる人となら結婚していいのかもしれない。けど、なんか辛いなあ。
 
 先生が私のことを書いてくれているぞ!うれしい。

4月17日
 
久しぶりに混乱すれば路に出でてこいのぼりも見る

4月16日 茄子をもらえる日本
 
 路を歩いていたら茄子をもらえる日本だったら本気で暮らす。

4月15日 ただ端に寄せてあるいは壊して回転し続けて変わること、だけど忘れてないって言うのは自分への優しさだけじゃないのって、たまに、じっさいそれって言葉を使ってちゃ分からない、それより
良い桜だった
最近自分はなにしても上の空で困る
やはりさくらのことを思います
 
うまくいかないのはそれでいいんでしょうか
私はやっぱり会っていたいんです
うまくいかないとおもっているなら、やっぱりすべてうまくいってる態度をしてはいけないとおもう。ふたりのあいだに理解があるように。
しねくどう

4月14日
 
 さあて朝起きて、カーテンを引っ張り、空を見れば、空が見えないほどの木があって、道は遠くの方までまっすぐで、そういうところで何を自分が褒められたって、やっぱり私はどこで生まれていても首都に来ていただろうなと思った。首都で生まれたことが良いことか、悪いことか、どっちにしろその差はけっこう大したことだと思う。
 もはやいっさいの体育会系動力は失われたと思う。これでは人間として生きていることにはならないのではないか。
 
 師匠のことをすきなのは間違いないと思うけど、師匠と一緒にお花見をしている人たちを、特にそのなかでも女の人を見ると、とても心配になる。そして桜なんかソースがかかってるも同じに見える。ソースかかった猫を見てるみたいな気持だ。変な意味はないと思う。

4月13日 
 
 久しぶりに他人の書いたものに本気で嫌な気分がしたよ!いやあ才能あるね。十年くらいしたらリンクはっとこ。十年もこのサイトないと思うけど。
 十年後はなんかオフィシャルサイトとかいうピッカピカのサイトをつくってピッカピカのお家を買い、ピッカピカの車に乗って、…つうかもう何なんだろう最近日記書いてる意味あるのって感じのことばっか書いてるのでほんと申し訳ないです。書いてる途中十回くらい無意識にため息ついてお泊りに来てる人に心配されたのです。私からしたらお泊りに来てるあなたはそれいったい何者なのだれなの、というかんじでそれも溜息のもとなんだが!
 こういうさりげない不快は前からしばしばあったはずなんだけど、もうちょっと辛抱強く耐えてた気がする。私はこれでも割と感情的になったのかもしれないなあ。ていうか、かもしれないどころじゃなくてものすごく感情的になりましたね。やっぱ家庭内に鉄拳制裁がない状態というのは一種の発狂空間だなと思う。なんでもありだもんね。もうなんかなんでもしちゃうし、なんでもはぐらかしちゃうし、嫌な顔とかふつうにしてるし、ちょっと前なら考えられない。私は十四年間くらいずっと曖昧な微笑で生活していたんだから!
 どおでもなんでも、
 もう血縁というものにはしん・そこ・るるるん
 ちゃんと大学受けようと思います。さっさともっと見つけようと思います。さっさと感性を潰していこうと思います。ほんとうをいうと後三年くらいは休みたい。ふつうにつかれたし頭刈りたいし。
 この四年ほどは二人の人を丸ごと食おうとして、一人はほしいとこは完全に食ったけど、もう一人はぜんぜんつまらないからもういいのです。とかなんか圧の強いことを書くのは良くないなあ。日記のくせして。 
 大学に行ったらおいしいひとがいるかなあ。逆に食べられたりして。
 おいしい狩り場に行かないとなー。

4月12日 
 
 図書館で世界史の本とか借りてきた。
 そろそろ専業主婦みたいになってきた。
 このままひきこもりにもなれる!嘘だよ。
 ちょっと図書館でまた本を借り過ぎて、だめだなあ私は。ってなっただけ。

4月11日 ちょっと回ってきますから
 
 ものをたくさん考えていると言い張る先輩に無理やり家から引きずり出されて、ほんとに嫌なのに上智大学のお兄さんにも絡まれて、まじこいつらほんと頭割れる、とか思いながら二人の話を聴いてあげて、まあそういう気分になることだってあります、と思うから、なるほど!といい、つうかなるほどなんて数学以外で思ったことないよ、とか溜息しながら緑茶を飲みましたヨ、と。
 なんかたぶん、
 あれ?どういう話だか忘れた。とにかくスピッツの歌みたいなね、「まあだれだってそういう気持ちになることは割とあるよねー」と私としては思うような、ことを、ね。
 
 ツイッタ―で知り合いがフォローしているものを見ていたら目がゴテゴテしてきて、ナニコレーってなりました。
 一応私としては外務省をフォローして満足しました。
 なんかツイッタ―で呟いてることを読んでると、その人のことすごい好きなはずなのにすごい嫌いになる…
 
 なんかね、家の前の留学生会館を上智大学が買い取って、これまで東大とかの学生しかいなかったんだけど上智の人がたくさんスーパーに買いに来てるみたいで、十人くらいできてみんなみんな一個ずつ籠持ってレジに並ぶんだよねー。レジそれじゃ進まないじゃん?それで私は三日買い物してないんですよ。並ぶのが嫌だから。ほんっっと、そういうささいなことがさあ!ささいなことがっさあ!べっつにいいんだけど!
 っていうことを言うと、そんな日常どうでもいいんだよって言われるんだけど、他人の日常を知りたくない人って何なんです。そりゃぜんぜん知らない人なら別にその人がどう過ごしてようが関係ないかもしれないし知りたくないかもしれないけど、かなり仲良しの人が日々のことを話しているときに「そういうのはどうでもいいよ」って言うのはどうなんですかね。べつにいいんですけどさ。我々は学者でもないんだから、相手を知るには日々をどうすごしているか、そしてそれをその人がそれをどう語るかをきくことが大事だと思うなあ。私たちを最終的に構築しているのは日常であるわけですから。野次馬になれって言うんじゃないけど。まったくちがうけど。
 お金触りたくない私がお金を触らなきゃ生きられないように、私たちは清らかに生きていたくても日常に触れ続けなければいけないんだから。
 私の考えが知りたいとか言ってるのに私の日常の話は聞きたくない人はなんなの。それウソでしょ。日常にすっかり関係なく私のような人間が考えられることなんてない。
 
 大学へ行かない若者の孤立状況が色濃く表れた日記になってしまった!
 さてこれが大学へ行かない人の現状です。みなさんは頑張って大学へ行き、頑張らなくても大学へ行き、ちゃんと毎日楽しく飲んだり吸ったり吐いたりするのが良いですね。
 すぐ洗脳される人が大学いっても、放射能充満した部屋に入って通り抜けてくるだけみたいなもんだと思うんですけどね。それだって別に価値はあるし。もしかしたらおいしいガスが入ってるかもしれないしなあ。私が何かいうものではないんだよね。学歴はなめられないしね。そもそも私は今底辺。イマココってかんじだしね。ハハハー
 
 つうかほんとどーすんの。今日の日記は人間の下等さがにじみ出ててほんとにイイ!説得力もなくて本当にイイ!
 説得力なんてなくてよいでしょ。若いし。

4月10日 忙しいじゃないか
 
22日 お茶
26日 上野
27日 上野
30日 新宿
 
ツイッターアカウントをまたつくった。他人の呟きとプロフを見たいがためだけに。
メールフォームからメールするのがめんどくさい人はこちらから何か下さっても嬉しいです。が、たぶん一日に一度くらいしかチェックしません。それになにも呟きません。しかも仕組みがよく分かっていないのです。
このアドレスから飛んでください。
https://twitter.com/mitsuzaki7

4月9日 いつも鳴る時報
 
 いつもの時報
 いつものコーヒー
 毎週使う八十円
 毎日感じる現金嫌悪
 あの感性と孤独は、貴族でさえありません。
 近頃はノートに日記を書きます。
 フランス人がわたしの母が雨のなか選んだ花で作った花束を、良い色ですねと褒めました。私は末端の方まで血が行かない人間みたいに、毎日とても怪訝で、ただ怪訝で、マンホールを見ると道の途中でも立ち止まって柄を確かめ、散りかけの桜を見、その下を軽快に笑って歩いている中国人を見る。
 
 姉が懐かしいエプロンをつけました。それは遠い昔、母がしていたものだから。 
 私はそれを見てたまらなく嫌なことを思い出しました。思わず涙が滲みました。そのままお風呂に入りました。母がそれを隣から見ていて、そのエプロンを姉の体から綺麗にはがして捨てました。私はお風呂から出てきて喉が痛く、そして捨ててあるエプロンを見て本当に悲しい気持ちになりました。私は捨ててほしくないのです。私は捨ててあったエプロンを拾って自分のクローゼットにしまいました。私はそれを毎日ちらちらと見て、そしてしばらくしたらそれを身につけて朝のホットケーキを焼くのです。
 
 私は本当は好きな人に料理を作ってあげたいんです。そうしたら一緒になんて食べなくていいんです。私は水を少し飲んで、その人が食べているのを見るのです。
 そして私はただ姉を嫌悪した。

4月8日 桜餓鬼
 
 歯磨き粉の成分を毎朝じっくり調べてしまう。
 昨日も見たのに。
 また英語チャットをしてしまう。
 また中途半端な関西圏っぽい語尾で喋ってしまう。
 また落ちている本を拾ってしまう。
 また青チャートのページを勢い余って破ってしまう。そしてその上にさらに紅茶をこぼしてしまう。また不味い紅茶を安いからと言って買ってしまう。
 またインドの夏目漱石を好む人と電話してしまう。しかも中学生レベルの英語で喋ってしまう。私はついに扇風機を春なのにまわしてしまう。私はついに半裸で寝てしまう。私はついにひるすぎに起きる生活にはまだ戻らないが限りなくだらしない。私はまた喫茶店に入ってしまう。あまやかな春の誘惑に負けてしまう。私はまたジョイント部分の恐怖におびえる。
 私はだんだんと沈黙とは違う部分の美しい静けさを目指してしまう。私は弟を夢の中で殺してしまう。殺してしまうということすら指先の言葉に感じる。ついなんのこだわりもなくブックオフのひゃくごえんを買い占めてしまう。
 私は浪人を礼賛している。この恐ろしい速度で金の失せる生活。
 私はついに松ぼっくりを果実だと思った。
 
 数Uを二週間で終わらせるなり。
 
 何を書いたらよいのやら。詩を書いた後はしばらくこんな感じで。

4月7日 朝から晩まで英語チャットで才能を殺す。
 
 最近遠近感覚がなくて、遠くの木も近くの鉛筆も同じ近さに見えます。で、すごく片方の目が悪い。そうなってくるともうなんかもうあれでもうどうでもよくなってきて、なんかもうなにやっても結局潜在的な部分でおかしくなっていくんだという気がしてやる気がうせます。シネバイイノニー
 
 奥行きが見えないから奥行きの存在さえそのうち忘れる。すると奥行きが見えている人のいうことが分からなくなる。奥行きとか馬鹿じゃねとか言ってしまう。そしてまあ、気付かないうちに自分はとても偏ったよくない人間になるのだ。アクムダネー

4月6日 
 
 花は咲けども花見せず。
 いまだに梅の短歌をやる。
 
 八日は弟の入学式。
 九日はリンクから飛べるページの管理人さんと勉強会。
 後はしばらく暇。お金もそこそこあり。普通の時は元気もあります。あそびませう。
 浪人礼賛
 追い詰められて煮詰まっていく一人の大人をつぶさに観察。
 さくらで浄化不可能なほど周りが貧しい天才。
 とかいってたら大学は入れコールを全身に受けている自分を視界に入れてしまった。大学入れとは無責任だ。
 フランスに行こうかともおもう。
 過剰な醜さのある空間で麻雀をしたら頭がほわわんになってしまった。なおるのか分からない。
 
 夜になって小松さんという人が来た。
 なんで大学におちたのとかそういう話を、まったく話したことがないに近い相手にむかって聞かれるままにこたえてしまった。どう考えても頭がおかしい。いつもならこんなことはないのに。ただ何一つはっきりしない中で決断したと言ったら、結局はそういうことかと言っていた。実は私は小松さんと十一歳の時に話をしたことがあるのだった。母に言われて克明に思い出した。わりといいきぶんではない。
 小松さんが紅茶に砂糖を入れすぎた。私はその時とても嫌な気持ちだった。
 圧倒的に「わかりません」ということが増えた。
 「わかりません、ただ言えるのは」という前に相手が「なあに、ふふん、じゃあだめさ」という顔をするからそれきり話さない。わかりませんというのは弱者というわけ。元気な時は何とかなるけれど、私はいっそ転地療養したい気持ちなのだからもうしいて話す気力がない。
 そんなわけもない。そういうきもちになることもある。
 世の中から離れゆき、あらゆる名前を辞退したい気持ちになる。
 いったいなんのためでしょう。
 あほくさい。子供の毒だ。

4月5日
 
 朝霞で麻雀してた。気分悪くて寝込んでた。
 師匠のお花見うらやまし。寂しい。

4月4日
 
 朝霞で麻雀してた。飲んでた。

4月3日 酩酊する朝霞台
 
 今日から二泊三日父方の祖父母の家に行くなり。
 裁判で父とドシバキやってる母の家で養われてる自分が、父方の家にほれほれ遊びに行って楽しいだろうか。呼ばれたのだから行くほかない。親戚とはそういうものね。
 色々割り切ってるんならいいが、あっちはぜんぜん割り切ってないのでいったい何のために呼ばれるのか…
 とりあえず二千円くらいの菓子折りを購入。はやくもシネバイイノニー的な気分になります。
 なんでみなさん気まずい空間を作り出すことにそこまで積極的なのか。しかたないから宿泊中はフェリーに乗った気分で手紙でも書きつつ、胃に悪い料理をたべてがまんするべ。
 場所は埼玉の朝霞台です。
 ちなみに朝霞台は、私は人生で初めて「酩酊する男女」を明け方に目撃した場所であり、駅で死ぬ大量のハトを手でつかもうとして母に怒られた場所であり、ハーゲンダッツを初めて食べた場所であり、いつも昼ドラが控え目に繰り広げられていた場所であり、道がやたら広く、少し暗いので道一面に父が寝転がっていても不思議ではありません。本当にそういう気分になる場所です。
 
 「あなたの子供が生まれるのを楽しみにしてるのなんのって!」とか
 まあそういう話もするんだろう。シラネ
 ほんと苦手でね。どうやったらこういう話を嫌気がささずにきけるのか。やっぱ家族とか血縁とかいうものにトラウマなのかなあ。そんなこと言ってられないしなあ。
 とにかく行くけど。
 
 関係ないけどもうアパートなんかに住みたくないから、絶対将来家を建てる。家賃払うと金がたまらん。それになんか心まで分離してくる。とても個別な感じだ。

圧のある文章は本当に有害ですね。密度が高いようなのもよくない。
毎日書くのなら砂糖水のようであるべき。読む人に申し訳ないとも思う。
申し訳ないです。
私の周りの人も少し大人になったなあ。私はもうちょっと効率的に。あはは工藤シネー
ぜったい十年後はこんなもの書いてない。それがわかってるからまだ幸せだろうね。
趣味が悪いな工藤は。
 
二徹だから仕方ないけど私には趣味や好みなんてあるのか、それさえわからん。一年前にもらって腹が立ったメールを読み返していたらやっぱり腹がたったようなので私も寛容さが足りない?それより久しぶりに人のブログを読んだらやっぱりいつものごとく文体が伝染したみたい。みっともない。やっぱり私の文章は高慢に見える。これはもしかして私は荒んでいるのかな。ほらそうやって終わりにしようとするからどんどん知能が下がる。

4月2日 工藤の子はこれでは これはこれで
 
 今日から規則正しい生活続けられそうって思って、寝つきが悪いから頭反対にして寝たりして、窓の方に頭向けて寝て、なにやったってええねんもう、ってな気分になるっしょ?
 そしたら私思い出しましたの。
 この枕の位置って、二年前と同じやない?
 同じです!
 それでなんで私二年間もあっちに頭向けて寝てたんだろう。
 ほんとなんでだろうなんでだっけ。
 なんか色々信じるような信じないような絶望した気持ちになってます。
 そのとき私は窓の光が天井にカーテンの隙間を抜けて照らしているのを見たのです。
 ああ、これはほんとに二年前と同じなんです。あのときも桜咲くの、ちょっと怖がって待ってたわ。前の夏かな先生みたいな詩とか書こうと思って色々考えて傾けてみたり目覚まして見たりしてたなあ。あれは泣いてばっかりで、工藤の子はあれではだめですね。とてもみんな養ってはいけない。
 みんな理性的であるべきなんで、工藤も母がたのいえも、みんな私の親戚なんで、私が変なふうになって良いわけないやん。今度生まれるイトコも、勉強したいっていうんなら私もお金出してあげねばならんし、薄暗いようなこと教えたり、どんよりした気持ちのみちとか見せたらいけないでしょ。理性的であるべきなんで。
 こんなんなっても何とかしてがめつくそれなりになることを諦めてはいけないんです。胸を張って親戚各国へ正月のあいさつへいき、あなたとお酒を飲むときだけは恥ずかしくって、申し訳なくって、けっきょくなんの満足もない土産や、恥ずかしげに話す思い出話などしか残らなくても、どうしてもここで世捨て人になるわけにはいかないのだ。
 だからといって切り捨てることなんか到底できないし、そうする必要なんてないことをちゃんと分かってもらえると思う。
 男女が恋愛だけでないように、すべてのものは必要不要、捨てるまたは持つの分別がすべてではないと思うんです。違うならいまここで私を食ってください。とても生きてはいけないよ。

くだらないお話ばかり私に押し付けるのはむだであるよ。私の中では定型などというものはほぼない。

4月1日 医者になり それを食べ
 
 私は医者になりたい。いつこの夢を忘れたのか忘れてしまった。一昨日思い出した。自分を死ねばいいのにと思った。一度死んで松を見に行った。それは愚かしいこういのように思えた。吉川医院の前を通った。白い壁に手を合わせて祈った。私が飛び込んでしゃれを言った世田谷線も、背後を今や唯の電車のような早いスピードで走っていくのだった。
 私がいったことなどすべて春の夜の遊びだろう。ファミリーマートもファミレスも、下高井戸駅も体育着も数学も、僕は一生憎い。
 
 下高井戸駅で手に出した百円玉三枚は異常に青く、右目から吸い込まれそうであり、声を出して泣いた。

3月31日 古い親
 
 私の古い親は
 私の新しい親のように
 新聞を読み米を食べ
 今日は飛行機に乗って
 私の古い親は
 私と血のつながらないまま
 今日も定時をむかえるのであろうか
 まんなかあたり
 私の空虚な気持はそこにある
 私の古い親には
 私が考えた幻想が
 願いが
 青くべったりとくっついている
 私の古い親は
 この都会で一人
 誰とも寝ないだろうと祈った
 私の古い親を
 私は殺して食べたい

3月30日 忙しや
 
 花見に挨拶、懺悔に返金
 おれはいそがし
 何度も生きれば人生の春も無限に来也
 新しい春の中で私の腕は市場の暗渠で永遠刻々と競りを続けている
 
 ねがうことなどない
 寺にいって祈らないのは爽快なり。

3月29日 空塔
 
 浅草へ家族でいって、スカイツリーを見ました。
 一番真ん中の通りは人通りも多く、外人も多い。だから飲食店の店員は愛想が悪い。愛想が悪くても儲かるからだ。味も普通。天井には桃の造花が咲き誇る。
 「JAPON」のガイドブックを持って店に入ってくる人に対して中華料理屋の店員が愛想悪いというのはひどい。私はそういう怠慢が嫌い。
 ほんの二本道を外れるだけでも小さな店がたくさんある場所に出る。ほんとうのひとたちがお酒を飲んで、牛筋を食べている。外国人も笑顔だ。銭湯などある。「酒は大関」とかいてある。「赤ちゃんは入浴禁止。うんち事件多発のため」とかいてある。「男は黙ってサッポロビール」とかなんとか。みんなとても楽しそうに商売をしている。かわす言葉が私の衣服になるごとく感じる。
 
 やっともっと細かく、わが身を粉砕させることができるようになる。再生ももっと穏やかに、大きくしたたかに耐えられるようになる。
 こういう言葉を書く時に、静まった心がまた傾倒しはじめ淀んだ部分に冷え切った水、熱い湯が波を起こし掻き崩す。
 捨てることも美しく若い技だ。それでうまくいくこともある。うまくいかないこともあるのですよ。だから私は誰の手も離さないように握りしめることができないのだ。
 東京で生まれ育ちながらも頑丈に守ってきた私の掌が、あなたの手でさえ溶けて混ざり始め、愛しのにくらしの東京カルチャーによごされかけているのを見る。決して指を捕らわれることはしない。

3月28日 春よ力を惜しむなかれ
 
 きちんとした格好をして綺麗な犬を汚さずに散歩する簡単なお仕事。
 なんて絶好調な界隈。
 街並みを闊歩。
 犬は空洞のようにただ歩き
 川沿いをゆくこと約三キロ。戻る道でさらにその瞳の空洞を色濃く、昼へと変わってゆく。
 私は石像のような犬を連れて本を読みながら垣根と車と他の犬に触れないように、たまに無敵の笑顔を見せながらあるくだけ。
 
 春よ力を惜しむなかれ
 死が生活と私を分かつまで

3月27日 碁盤で勉強する子供たち
 
 我が家周辺には
 へたくそなトランペット
 へたくそな弦楽器(自分は弦楽器については音で楽器を判別できない、よく知らないので弦楽器と書いておく)
 へたくそなフラメンコ
 などを練習する人がたくさん住んでいて、まあ文化度が低いとも高いともいい難い地域なのでそういうことが起きても不思議ではないんだが、ちょっとここで勉強する人間としては、ほんのすこしだけ、頭がおかしくなりそうです。
 それに加えて毎年恒例、小さな鳥が私の部屋の(冷房の管を外の機械からつなぐための)壁の穴に巣を作ろうとして泣き喚き煩いので何回も追い払うのにまた来るから、ちょっとほんのすこしだけ発狂寸前です。鳥の声で朝五時に目覚めてしまう。何も考えずにラジオ体操をしてしまう!
 キエー!木A
 こんな清潔な生活はくどうらしさを砕いてしまうだろう。いいんだいいんだ。
 ちっとも暗い心がない。地暗が世界を越えたか。
 
 朝、スーパーマーケットへ続く道の道路のポールに座って友達と話していたが、そのうち一人になって座ったまま社宅の木を眺めていたら留学生三人がスーパーへ向かうのがこちらへ歩いてきた。中国語と英語をミックスして喋っている。なんてかっこいいんだ!ああいうのがやりたいああいうのが。言葉のリズム無限大ッYA!
 グッモーニン!
と私はあいさつした。
 ハーイ グッモーニン 
とかえってくる
そのうちの一人はまあ知り合いだったんだよ。
そうじゃなきゃ留学生にあいさつするなんて、そんな勇気があるわけないね。
あの人たちはほとんどみんな東大生なんだよ。スゴイネー
まあ知り合いといってもコンビニでリモコンに入れる電池の見分け方を聴かれて教えてあげたのが始まりなんだけどね。
 チュウゴクゴツカエルー?エイゴハー?
 いや無理だけど…英語なら少し話せますよ ビクビク
というのが始まりであった…

3月26日
 
 朝は神社で地理を勉強する。
 つまんねえし。
 おなか減ったし、
 しかし柏手を打つ音が聞こえてくる。ここは日本なんだなあと思います。川の向こう岸では桜が咲き誇り、鴨を縛って帰って食ふ。砂糖くさい味がする。
 縁側は出っ張りすぎず、しかし寝返りを打てる優秀な幅。 
 
 とりあえず勉強するとはこのことか!

3月25日 消す 消す そして消すか
 
 きしゃああああ
 うわあああああ
 受験中の日記どうしよおおおおお
 確かに間違ってはいたかもしれないけれども、
 ぼくあもはやすっかり骨抜きでね、どこへいっても笑っていますよ。
 
 こんなにまじめなのに、母以外私を真面目といわないのは、やっぱり何か透けて見えるんだろうか。誰かいってくれないかなあ、工藤君きみは日ごろから酒も飲まずに、まじめ過ぎるよ!とかなんとか。
 日記よりも何よりも、無題のいやな文章が残りすぎてる。
 
 私は机の前にはってる色の塗られた日本地図をみて、「わあ!」と声を挙げ、ついで花咲くようの、満面の笑いを浮かべた。狂い咲きにあらず!

 古民家まで歩いたこと 
 
 私たちはパズルトンネルをくぐった。
 トンネルを抜けると竹林だった。私たちは竹林の短い道を歩いた。道は迂回してもう一度同じところへ戻っていくのであった。私たちは竹林の中に人の住んだ跡を見つけた。竹林は真っ黒な壁にぶつかるまで続くのであって、私たちはその真っ黒な壁の建物が何なのか結局わからないので不気味を感じてまた折り返した。
 彼女によるとその竹林に差しかかるところの石の階段が京都によくあるものに似ていたそうだ。
 私たちはパズルトンネルをくぐらずに上の道を通った。しかしなぜか全く違う道に抜けてしまうのであった。
 梅に見とれて橋を渡ると、川の流れも澄み通り、見渡す限り向こう側まで、橋を渡る人は誰もいない。
 私は彼女の足の学生靴の中で窮屈そうなのを見た。それから一緒にいないもう一人の友達との思い出を話したりした。三人で川沿いを帰った時のように、地下からこんこんとわき水が湧き、道路に覆いかぶさるように草が垂れ、私はぎこちないこともいくつか話した。
 
 家へ帰ってからはあまりにもつまらないので米を食べ続けて、そして寝た。

 消してしまった文章を記憶に頼って復元するのは難しいです。
 まず夕方ころに、私は畳の文章をここに書いたのです。それをあとで間違って消してしまって、それで頑張って復元したのが下の文章なのです。でもなんつうかやっぱり違う。
 いやだなあ。ほんとに。せっかく師匠が読んでくださってたのに。
 誰も保存してるわけないしな。
 書き出しと語尾が何より大事で、書き出しは思い出せても語尾が思い出せない。
 でもこういうことがあると、その時しか書けないものがあるってわかるから、書く場所があってよかったって思うのでね、まあいいや。
 
 民家園へいった朝、梅の花をたくさん見た。二人寝ていないのでどこか妙だった。こんなことも前にあったと思った。おなじひとと朝五時にデニーズへいってカブトムシを拾った夏である。そのことをここに書いたことを思い出す。
 民家園のリンクを張る作業の途中で私は文章を消してしまったのである。だからいい。

 畳は日に焼けて白くなっていた。その上埃が舞っていた。
 私は不愉快に思って、次の部屋では畳はあおく、空気は山のようだと思うことにした。
 襖をあけると畳はあおく、空気は澄みきっていた。東側の壁がギンギン眩しかった。反対側はほの暗く、その中に文卓が置いてある。
 いつの間にか寝入ってしまった。

3.24
 
 青空文庫をまた利用し始めたからだいたい私もけじめのない人間だと思う。
 空もミリミリいっている。しかし僕のことについては、もう少し心配してほしい。ちょっと最近は自分でも悪いんじゃないかと思っている。制御装置的な部分がさあ。あはあ。
 私あ、あおい畳のあるところでしか死にませぬ。真っ赤な花を描いた上品な襖で仕切られた部屋でなければ死にませぬ。池に鯉がいなければ。誰もいないところでなければ。そして彼女を待つようでなければ。駆けつける彼女もイギリスから帰ってこなければ。彼女は金持ちでも時間持ちでもないのだから、一度呼び戻してしまったら二度と彼女の憧れのイギリスへ返すことはできないかもしれないのだから。
 実際ちっとも孤独ではない。そういうことを考えないほど体がだるい。目がだるい。勉強することはちっとも面白くなんてない。何がたのしいのかと聞かれれば、この世に生れてから何一つ本当に楽しいことなんてなかったとも言えるがそんなことをいっちゃあなあ。
 夢の中で、ある女の子に、おまえなんぞそのままでは、どこの大学どこの国へいっても、結局誰かの信者になっておしまいだろうといってしまった。自分は女の子が嫌いなんじゃないかとも思う。
 とても会いたい人がいる。だから毎日眠っているようだ。

 民家園

3.23 どこにも所属しないというのはよくないことです。どんな人にもとりあえず会ってみようと思ってしまう。どんなものでもとりあえず貶すまいと思い過ぎる。するとぜんぜん当事者にはなれずに、ときどき当事者になるような衝撃が来て、それが過ぎ去ったあとにはもうなにもする気も起きない。とても空虚です。それで時間の感覚がなくなる。それで際限なく人に会う。際限なく話をきく。際限なく外で遊ぶ。触る。話す。食べる。そして自分が唯の線のようになる。商店街の風が平気で体の中を吹き抜ける。お金も時間も際限なく自分を吹き抜けていく。カレンダーが予定でいっぱいになる。生活は荒廃する。でも満ち足りている。ためいきが出る。干した杏子を食う。牛乳を飲む。出掛ける。本をひたすら読む。勉強も少しはする。全体的にはすべて分かっているんだと笑う。それを誰も否定しない。なぜかこんなになっても誰かから尊敬されている気が抜けない。だれもに軽蔑されていることは間違いないのである。
 だいたい我々はこんなにどんどん切り刻まれて、お互いの住むところも分からなくなっていく。国内であってもそれは外国のようで、私は本当に東京を出たことのない阿呆なんだと改めて思うよ。
 他人の書いたものを読むたびに気分が悪くなる。自分の書いたものは実際必要ないなと思う。すべてが滞っているように思う。全部が分割されて、分割できないものが私の中を暗くしている。

3.22
 
 正直いって私は今は、何も思うことはできません。今だけの話ですが。
 やるべきことはやっていますが、
 きみを喜ばせるようなことが書けないのも申し訳なく思います。書かなければ私は解き放たれてどこへでも笑いながら走っていってしまうでしょう。それを見て君は嬉しいかもしれないが、いつか墜落してしまうんで、死んでしまうんです。
 ニューヨークへ行きたいです。でもわたしはわからないんです。だから行かないんです。それにどうしても行けません。空虚な気持ちです。毎日木の下に板を持って行って膝に乗せて勉強しています。青い空と猫と神社などが見えます。宗教人が来れば立ち去ります。空虚です。人生のかなり長い間私はこんな風に生きていたのです。そういえば。
 はっとするようなものがありません。朝以外。
 そんなのうそです。

3.21 古民家園
 
 プリンターを買いました。六千円なり。それで英語ばかり読んでいる。フランス語も勉強しようかと思っている。どんどん外から見たら没個性的になるのかもしれない。去年の文化祭の写真を見たら自分の顔つきがまったく今と違ったので、わかっていたけど怖いと思った。
 長生きするための変化だったと言うほかない。とてもくるしいミッションだったが。たぶんもうやりとげたよね。そして戻ろうろ思えばまだ戻れる。だが私は決して戻らぬ。戻るなら出家だ出家。どんだけがんばったとおもってんだよばかあ。
 こんどは命が余って辛いです。いや余っていないんだけど、たまにものすごく無駄にこんな場所に留まっているように思えたりする。もっと賢ければよかった。
 
 23日、ニコライ堂へ行くはずだったが都合ありて古民家園を訪れた。とても良い場所。それについて明日書くかもしれません。

3.20 パリは燃えているか
 
 映像の世紀、とかいう昔のNHKの番組?のテーマソングが良いとか友人に勧められたので聞いていた。音楽をやっていないから、自分には音楽の良さが本当には分かっていないんではないかなと思う。
 久しぶりに会った元少年が恋について意見を求めてくるので閉口した。恋なんて勝手にやるもんですねたぶん、ですもん。なんだかつまらないんだよもう。恋はよいですけど。そんな楽しい話題について私が今考えてることすべてをあんな青年にはなしてやるわけもない。悪用されちゃあたまらないです。
 まあなんか、GOKURI春のピーチですけれども。
 とかこんな内容のないことばかり書いているのは、私の家の周りに梅の木がたっくさんあって、とろっとろ甘い匂いがへやに吹き込んでお茶の味も分からないくらいで、それは少しうんざりするくらいで、首のあたりまで梅の香りに侵されて起き上がる気もなくして手首だけで打って飲んでしてるから。
 吾輩の心からは摩天楼も煩い街渋谷の喧騒も消えてただ今日は木曜日ということにはっとして、僕はやっぱりよくわからないと思った。だからその世界の広さというやつがね、政治観の苦悶というものがね、言語の壁というものがね、まさかつかめないだろうと思っている色々が、別に握りたくもないさと思いながら進もうとしている自分の行く末がね、べつになに一ツ自分のものにならなくたっていいんですよ。だってべつにほしいと思わないんだから。だいたいなにもここから見えないのに。
 あーあ、使いこなせる新しい道具がほしい。いろんなことをやりたい。もっといろんなことを。たとえ最後はつまらない人間になったとしても。
 後輩と一緒に勉強したい。何を喋るべきか決めないと私がいなくなる。何もしゃべらなければ私は世界として、日々は時間として過ぎていくだけで、個性をなくすにはあまりにも若いし、地位もない。
 〈メモ〉
 劇場型過去
 ニコライ堂
 池の鯉

3.19 GOKURI 春のピーチ
 
 ピーチジュースを飲んで公園へいってあんま喋ったことなかった友達と一緒にくまんとあんまんを食べた。
 良い日。
 老人ホームへ行かないかと親族にいわれたが行かず。私の足の骨を知らないうちに抜いてしまう磁場。老いと春の匂いのする窮地。追い詰められた労働環境の溢れる施設。あまりいいことはない。知らず知らずのうちに子供の心を深く沈ませる残酷なる隔離施設。いつも音楽が流れている。健康な私にはそれさえも悲しい。もうちょっとなんとかならないのか。
 老人ホームに行くといつも時代劇とかの勧善懲悪ものか「花より男子」が流れている。僕はその色合いの欠如にほんとうか、これは、と思う。僕が入れられたのなら本当に嫌だ。まるでホラーだ。
 ホームの周りにいくら木や花があってもだめだ。
 こないだ薔薇の世話をする人がいなくなったそうだ。
 この前の台風で樹齢三百年の桜が倒れたそうだ。
 その事実を聴かされても愛する人は明日には忘れてしまうのか。割り切ってしまえる人たちにはいっそ気味悪さと無責任さを感じる。いつも病気というのは本当に人を殺すから、好きな人には体を大事にしてほしい。
 
 布団を買うべきだ。もっと勉強するべきだ。
 今日は素敵な日だったのですぐ寝て明日になりたい。
 ファミレスのレジ横で売ってるおもちゃには腹が立つ。子供には修理できるおもちゃを渡せなくてはならないと思う。
 川を見ているだけでとても楽しい。春ですね。

3.18 親も無し妻無し子無し版木無し 金も無けれど死にたくも無し  林子平
 
 林子平は江戸時代の学者で、皆さんご存じ(?)の三国通覧図説とか海国兵談とか書いたらしい寛政の三奇人の一人です。だから何って話ですけど。こういう誰誰の面白い言葉みたいなのたくさん書いてあるブログとかホームページとかってヴィレッジバンガード大好きな人に人気ありそうだよねと思った。ああいうのに酔っている人たちというのはアンサイクロペディアとか好きなんだろうとか思う。誤解かもしれないが。あれは人を軽く酔わせてドヤ顔させるためだけにある店だと考えます。つうか経済を活発化させてくれてありがとう!!!「君よ散財にためらうなかれ。君の十銭で浅草が建つ」
 あとこういうの(ちょっと面白い昔の人の言葉とか)授業中に頻発してどやあ、ってする日本史教師がいますね。私はああいうのが苦手です。私が苦手なものは字の大きい参考書とか絵が多い参考書(図表は別)とか字の大きい早稲田の英語受験問題とか、要するに大きい字を読み続けられないんでしょうってことなんですけど、これって何か頭か目が悪いのですかね。あと苦手なものは漫画とアニメ、それから翻訳。漫画とアニメは向き合い方がよくわからない。本ばかり読んでたからだな。翻訳は好きだけどやり始めると凝り過ぎて日が暮れる。
 なんというかやっぱり私は、教師たるもの生徒に媚びないでほしいと思ってしまうのですよ。教師たるものやっぱり小学校の教師でも中学校の教師でも高校の教師でも、大学の教授は大学でまじめに講義を受けたことがないから分からないけど、やはり普通の人よりは激しく勉強していてほしいと夢見るし、だらしなくあってほしくないし、人間として自立していてほしいし、揺るがない強さを見せてほしいし、存在自体が媚びてるようなのはもってのほかじゃんと思うわけです。この文章はちょっとラフすぎですね。すんません。
 私はお固くあるべきところが一部ぐにょんぐにょんに柔らかかったり、見本である人が周りに媚びてばかりでだらしなかったりするのを見るとかなり嫌な気分になるようなのです。それでもそういう人にもよいところはあるから全体的には好きだったりするのですが、ああ…。
 
 ああ、そういえば、日本史の山川の教科書は読みにくいと思うのです。というかまず字が大きいよ。料理本じゃないんだからあんなに大きく書かなくっても。そして日本語の文章なのに「、」が「,」になってるというのはどういうことなの。いやだなあ。何か理由があるなら教えてほしい。教科書のくせして!
 このホームページはどういうポジションなのか。あんまりダイレクトにここに書いてあることを胸の内に吸収してほしくないというのが本音です。アップルのジョブズを好きな人が、ジョブズのいってることを全部「ほ・ん・と・う・だ!」といってしまうみたいなことは、必要ない。あんまり「きづかされました!」みたいに言われると困るし。ほんとは気付いてたんだろうそれくらい、とこっちとしては思うし。「どうやって考えればいいのか分かりました!」とか、あはは鳥肌です。「きづかされた!とか思う瞬間も、まああったような気がしますね。」くらいのだめなかんじの感想の方がまだいいですう。打てば響く人間なんて、打てば響く世田谷区なんて、つくらんでよいという話なんですう。
 打てば響くあなたはただの教師と王様と教祖みたいなひとのえじきにされる運命ですよ。私はそれを見てますね。苦笑いで。もしくは自分でやりますね。
 
 さてみなさん、朝はどこにあるのでしょう。

2012.3.17 わたしのまち祖師谷大蔵
 
 一日中あめ。紅梅が満開。
 上祖師谷で成城学園の友達二人といちごクレープを食べる。友達の一人はアメリカへ行く。もう一人はわからない。
 六義園やニコライ堂へいく計画を立てる。財布がすっからかんだ。さすがの私もやばいと思う。しかしどんなにここ最近が狭くて窮屈でも人生は何十年もまだある。
 心ここにあらず。
 とにかく頭痛がひどい。
 仏語の教材を買ったのを思い出して勉強してみる。早く桜が咲かないか。わけいってもわけいってもはたらけどもはたらけども。
 東京見物でもします。
 18日の昼の二時まで寝てしまう。正義の話をしようの著者の講義をテレビでやっていたから、初めて夜中最後まで見てしまったからです。別におもろくなかった。母に怒られる。実際彼女は可哀そうな人だ。でも私もそれなりにやさしいだろうと思う。
 お勉強しようと思います。
 つまらん。卒業なんて別に何の嬉しさもない。高校生活は実につまらーん。高校へ行かないで自分で勉強したらいったいどれほど素晴らしいことを今頃言っていたかしれない。高卒学歴のために通うにはかなり辛すぎた。
 昨日書いたようなことが、誰かの心にすっきりした感情をもたらしたことに若干寒気を感じる。とてもはずかしい。きっとあんまりにも違う。だからいったいホームページというのはほんとに何を書く場所なんだろう。
 昨日は神社で遊んだ。そのことが一緒に遊んだある人のサイトに書いてあって、それを今読んだ。とてもおいしい干し柿の残りを食べた。生きていくことだけは必ず大切。
 いまはとりあえずは英語をちゃんと読めるようになろう。髪を伸ばす。
 朝はどこにあるのでしょう。

2012.3.16 
 
 お久しぶりです。
 十八の春はひどいありさまですけれど、というかこんなに自分自身が根本からひどかったことなんか今までなかったような気もしますけど一応受験も終わったので、まあ大学落ちたからまた受験生ですけど、はあ、まあ、まあね、ホームページを更新したいと思ったので書くことにしました。実際は受験中も違うところに書いていたのですが散乱しているし可哀そう過ぎるので今はリンクをつながないことにします。リンクをつないだらこのページでお知らせします。うわあ。
 たぶん文章は書けなくなっていますがだんだん回復すると思うので見ていてください。
 ちなみにわたしは頭がかったるすぎて前の夕帰りの日記を一日分書くのに一時間半くらいかかっていました。それから、今自分で前の夕帰りの日記を見ても何か全然思い出せないのでおそらくはちょっと何かがおかしいです。師匠と、師匠と一緒にしたことについては覚えてるけど。なので新夕帰りでの日記は前のものとはちょっと違った書き方になるかもしれない恐れと可能性があります。
 嫌な予感がするのでリンクを解除してほしいなどのご要望があればお気軽に掲示板、メールからいつでもご連絡ください。
 
 はっきりいって自分は、ちょっと色々具合が悪いんですがそんなことは前々からだし、気にせず行こうと思います。ただ十七歳まで前々からだしといって続けていたことを十八以降も続けていいのかというと、よくないと思います。それに私は高校を卒業しました。途中でやめなかったぞ。
 高校を卒業したらもう学生ではないわけです。とくにわたしは受験を来年もするとしたら浪人生なので、というか浪人生ってどういう態度でいればいいんだよって言う感じですけど…まあなんか学生よりは自律しなければ大変なことになるだろう。
 
 受験期間中私は始終うんざりしていたことは確かですが、頑張って勉強したのかといわれるとそうかもしれないし、そうでないかもしれない、と思います。偏差値は一時期きちんとほぼ合格する域まで達したし。正直に言うともう勉強していた時のことを忘れているんです。うそじゃないです。ただ自分がどうしてうんざりしていたのかということと、勉強した内容は幸い覚えている(たぶん)。
 具合が悪いというのは特にそういう部分です。
 何かやたらと記憶の中の自分の感情や振る舞いの部分を忘れている。少し前のことがてんで別人の所業に感じられるということです。最近会う人会う人に私が「というか私はどういう人だったんでしょうか」ときくのはそういうわけです。誰かが知っているとは全然思っていませんけど。なんかきかないではいられない。
 
 受験中精神に負担をかけなかったかといわれるとそりゃあかけましたけど、それは別に受験に受かるためにしたんではなくて、将来お金を稼いで人を養って行けるようになるためにやったんであって、借りたお金をその恩と一緒に突き返すためにやったんであって、つとめて理性的になるためにやったんであって、周りの心を激しく揺さぶるものから完全に自分を隔離するためにやったんであって、それを始めた段階では自分がそれを成し遂げられるのかということは分からなかったけれども、やるしかなかったからやったんであって、私はいきなり法学部へいくことにして、とてもたぶん頑張ろうとしたのです。
 
 だけど私はお金が嫌いですね。ほんとに。私がお金持ちになったら秘書より先にお財布持ってくれる人を雇う。財布持ちたくないですよ。それから商売も嫌いです。義理も嫌いです。血縁も嫌いです。人を養わなくてはいけないということも嫌いです。だいたい同じ机でご飯を食べても痛めつけあっているような、汚い過去と性格をぶつけあわせるようなことを繰り返す人たちを私がやしなうなんてことはごめんなんですよ。わたしにすさまじいことをしておいて、いまは違う人間ですとか、そんな顔をしてもだめなのです。
 とてもたくさん英語を聴きました。私は日本語鬱ですよもう。英語が得意というんではぜんぜんないし、むしろあまり得意でないほうだが、わからない言葉を聴くとおそらくあれは理解しようと頑張るから他のことを考えないですっきりするんでしょうね。やりすぎると頭が変になる感じは否めません。あまりに日本語は昔から喋り続けてきたし、あまりに自分はそれだけに生きてきたし、あまりに記憶は濃密に言葉と絡み合っている。そして言葉自体が重苦しい空気をまとっている。
 私は海外へいってもいいのです。それなりに家族に関係ない人で、私をすませてくれる友達もいるのです。私は日本を離れたら何事にも構わず「日本であったことはほぼすべてひどいことだった。」というでしょう。でも「でもよい人や正しい人はたくさんいた。」ともいうでしょう。私は今度こそ本当に慎重に人にも邪魔されずに出来ると確信します。
 
 だけど何かを捨てていくということはしていいものではないのです。私は本当にそう思います。たとえばかぞくです。私は彼らになんのすばらしさももらわない。それなのにわたしのこれからを彼らはめちゃくちゃにしようとしてしまうことがある。彼らにもてあそばれたくなければわたしは彼らを捨ててゆかねばならない。だけど捨てていくということはしてはならないのです。家族が風邪を引けば私はお粥を作ってやらねばならない人間なのです。彼らは私が風邪をひいてももちろんなにもしやしないが。 
 たとえばの話、ある日師匠と母がもしくは弟がもしくは父が同時に死にかけたら、私は必ず家族の死に立ち会います。もし死ななくとも死なないときまるまで必ず傍にいるだろう。それは私がそこにいるべき人間だからです。それに私はそのひまでの仕事に、死を見届けることによって終わりを与えなくてはならないのです。もちろんわたしのかぞくはみな不出来で、お互いになんの幸せも与えあうことができないかもしれない。もしうまくふるまったとしても私は色々な理由に置いて彼らをやはりどうしても許せないし嫌悪するだろうけれど、捨てていくということは、してはいけないことなのです。
 もし弟も母も父も、すべて忘れたとしても私だけは忘れない。そして許さないのです。彼らが私をも仲間に入れてもう一度温かい物をつくりだそうとしても、私だけはじっとそとからまた再び見ているだろう。そういう姿勢において、本当にすべてを最終的に酷く壊すのは私自身なのかもしれません。本当に最後に恨まれるのは、どんなに形上彼らに尽くしたにしても、私なのかもしれない。
 
 昔不出来な先生が私に向かって家族の蝶番になれといった。私は決してなれない。呪いにしかなり得ない。彼らの最も不幸な記憶をずっと底にとどめておくだけの呪いにしか成りえません。それでも捨ててやるものかと思う。少々苦しめてやりたい気持ちもある。でも正直、もうそんなことはやめてどこか遠くへ行こうとも思う。とにかくは家族と同じ家になんか絶対住むまいと思う。でも捨てていくことはしてはいけないのです。それは自分がそのものにかかわった責任というものでもあります。それに、捨てたくても捨てられないもの、愛していてもどうしても今の自分の方向性としては傍に置けないものを、それでも大事にして苦しみながら生きていかなければならないのです。それが成長というものでしょうと思います。そしていつかはうまく収まるんだと信じます。さんざん嘘くさいと毎日思うけれども信じるよりない。
 私の眼は曇っているからやたらと強い光が見たい。だからニューヨークへもストラスブルクへもいきたい。それを見たら私はきっと快感を感じるだろうと思う。ちゃんとまっすぐに愛すべきものも見つけると思う。だけどそれがどんなに素晴らしいものでも、捨てていくということはしてはいけない。いつかは若気の至りとかいうようになるにしても、私はもうすでにそれが未来の自分によって若気の至りとしてあっさりと笑い飛ばされることも可能だと知っている時点で、捨てていくことは罪だと気付いているんだから、罪だと分かっていることをやってはいけない。
 あとはその戒めからどれだけはみ出さずに堪えて死ぬまで生きられるかということだ。私はニューヨークへ行きたいし、ニューヨークへ行く友達をとてもうらやましいし、自分も行きたくて泣きもしたが、そのうらやましさは自分が行くならすべてを捨てることができるのにという思いに裏付けられたものだ。自分はすべてを捨てて欲望のままに動く人々の行動のせいで積もり積もってこんな嫌な場所にいるのだから、それを考えなしにくり返してはいけないだろう。だって私は自分の子供に、自分が多くを教わった人を会わせたいし、自分を苦しめたような人にも会わせたいし、一時期はちっともあいしていなかったような人にも会わせなくてはならないのだから、誰も何も、捨てることはできない。自分がそうされたから苛立って無意識のままに同じ世界をつくりだすのではいけない。私は私の一生の中で私をつくった人たちやその周りの人たちの過ちが清算され、私の子供は私より多くを見て私より広い世界で縛られずに成長することを望みます。そして愛したことや憎んだことや、それでも大事にしたことをはなさなければいけないと思う。私の知る多くの人が捨てるのに対し、私は彼らにしたらどうでもいいようなことを大事にして大人になろうと思う。まあそういうふうに思う。思うのは出来るということとは違うけど。
 
 だが正直言って大学受験をする気は完全に失せた。するけど失せた。というか理屈からいって、おまえそれなら受験は必要だろうという感じだが、大学に入る気がみじんもしない。つうかほんとに金稼ぐのいやだ。お金を稼ぐことでさらに問題が深刻になるような匂いもするんだから。

 

 

 

 

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