夕帰り 管理人工藤 
 


5月23日
 
 六月四日の夕方にどっか出掛けた弟が次の日の朝になっても帰ってこないので我が家は、というかお母さんが焦りまくって捜索願を出しました。明日帰ってこなかったら行方不明者の手続きをするとか言ってます。私は二円しか持ってないので家出ができません。弟はお金持なので今頃きっと両手に花です。
 
 弟は寂しい時に寂しがって、苦しい時に苦しがって、だるい時にだるがって、やめたい時にやめて、行きたい時に行き、きっと死にたいけど怖いときには死なず、ものすごく死にたいときには死にます。
 小学校二年生の時に小学校二年生が考える様な事を考え、親にいじめられれば親にいじめられた子供が考える様な事を考えます。なにもかもまともで、その年相応なので親戚にはかわいがられていますが、家出をしたくなったので家出をしたみたいです。イイナー羨ましい。
 
 私は今ちょっと、強烈なまでの傍観者的態度で事態の収束を待っています。これだから親戚にもかわいがられないんだぜ。
 家の隣で季節外れのお祭りウルサイナア
 
 お母さん落ち着いてほしいです。

5月22日
 
 自分の弟とまだ見たこともない、一生見ないかもしれない師匠の子供がかわいすぎて私はちょっと危ないんです。
 山手線乗るだけで初めて電車に乗った日の自分を見てしまうんです。そして視界が黒点で埋まってゆくんだな。貧血だとしたら随分だけど一体何なんだろう。寂しいな寂しいな。
 毎日何やってるのかといえば、勉強と食事と睡眠と歩行です。
 限りなく人を愛せるだけのただの棒になって、もはや生きていく力をなくすんじゃないかと、私は最近思いますね。体重は減るし。媚は売るし。あーあ。生きるぞ。
 しかし私は考えれば考えるほど、どう考えても損な役回りだと、あなたも思いになりませんか?私は誰も責めやしないし、脅かしもしないのに。
 私は別に、そのうち自分の時代が来ると思って生きているのと違うのです。

5月21日 
 
 ブラコンで何が悪い!自分の弟かわいくて何が悪い!

5月20日 知ってる

 なんでも前もって考えておかなくては暮らせないという癖が復活して、かえって普通の生活ができない。
 
 私は中学受験の勉強をしているときにその癖を習得してしまって、それ以来意識の端から離れない。
 たとえば中学受験のときは、五月から勉強を始めるとして、六月にはどんなん気分でいるべきか、七月にはどんな気分でいるべきか、八月にはどれくらい自分を追い詰めているべきか、というのを考えて、勉強進度だけでなく、どういう精神状態でいるべきかというのも考えて最終地点の二月に発狂しないように調整しようとした。
 精神状態をコントロールしないで暮らしていると、二週間に一度くらい家出しなくてはいけないほど家庭の状態がひどかったし、また当時の両親の私にかける期待は重すぎたんである。
 
 結果から言うとそのコントロール計画は失敗に終わった。小学校三年生から塾に通っていた私は六年生の五月に本格的に受験勉強を始め、九月に入ると心身ともにボロボロになって明大前の塾で毎日倒れるとか喘息になるとか嘔吐するとかいうすさまじい事になり、最後は医者に言われて受験をやめた。
 今でも明大前の線路を見下ろす橋の上に立つと色んなことを思い出して気持ち悪くなる。
 色んなことを思い出すと言っても、その色んなことの大部分は実際に経験したことではなく、「こうなるかもしれない、こうなるかもしれない…」と想像しすぎた記憶である。調整するつもりが、想像し過ぎることで精神的にいかれたわけです。
 当時の私の頭の中は、現実の事より何十通りも想像した事でいっぱいで、それゆえ友達にも現実の自分の事をよくしゃべれなかった。友達はいたのに、ずっと友達を客にして漫才をしているような事ばっかり喋っていた。
 ひとりでぐるぐるしてパーンってなったんである。
 
 中学受験をやめても、ずっと想像し続けた。
 そして一通り想像し終わると、想像はゆっくりになった。
 中学に入ってから先生潰し(先生をいじめて精神病にする遊び)にはまり、私はなぜか先生潰し集団のトップにいた。頭の悪い先生が、私や他の子供の言葉に対して切り返す言葉なんて、百手先まで想像し、読み切っていたからどの先生も私と口げんかして勝てるわけがなかったのだ。だんだん私はその遊びに生きがいを感じるようになり、高級ベッドの高級羽毛布団にくるまりながら、夜もろくに寝ないで明日の潰し文句をわくわく考えていた。陰惨な時期である。
 私は中学校二年生で今の高校の付属中学に移り、想像する力を封印した。
 私はおとなしい普通の子供になり、作文以外のことに関しては極めて無能であった。
 それでしばらくは「どーせ、だめだしー…うじうじ」みたいなテンションでやっていた。
 しかしここ1,2年で私の中に新しい感性や考え方、希望、絶望が増え、また想像しないではいられない事が増えたので私はまた想像を始めた。
 そして私は、毎日発生するどんな事態にも、やっぱりこう思うんである。
 
 「ああ、それ、知ってる。」
 ん、ん、ん
 性急に独りになっていくのは辛いもんだな。

5月19日
 
 暮らしているとしょっちゅう、おもしろい勉強をしている人に出会う。「ああ、うらやましい。それ習いたいなあ。」と思う。
 人生八十年もあるということはすごいことで、色んなことが勉強できる。
 人生が五十年だった時には、「ああ、うらやましい。どうしてそれを習わなかったのだろう。」と嘆いていたことが、今は「ああ、うらやましい。いいねえ、まだ習える習える!どこそこのあの先生に習える。あの本を読める。」となる。
 だから私は長く生きれると言うことが好きだな。
 勉強することが好きだな。どーせさいごは焼却炉で焼かれて終わりですけど、まあそういうのが好きですよ私は。
 
 私は英語ペラペラで学業優秀で、勉強大好き、しょっちゅう留学しているというような人とはあんまりうまく付き合えないのですが、なぜかっていうのは、私は、人が何かを本気で学んだり、追い詰められながら学ぼうとした時にはきっと神経衰弱みたいになると思っているのです。それでその神経衰弱を愛でるという、ちょっと気持ち悪いことも好きです。
 けど、なんか彼らの中にはその神経衰弱的な奴にかからないのがけっこうたくさんいて、絶対的な健康さと「めっちゃ踏み込んでくる脚力」で走っとるわけであります。
 なんか彼らは、ものすごい追い詰められて勉強したりしても全然精神がやられないのです。わたしが思うに、その神経衰弱というやつは、急激に自分の中に流れ込んでくる新しい事が、これまで積み上げてきた自分を侵食し過ぎないように、いつも気を張っているためになるのです。心を乗っ取られないようにしようと思うからなるのです。 ほんとに洗練して凝縮して自分にしようとするからなるのです。
 彼らの場合、その調節弁がないみたいなんです。
 もしくはもうガッパガパで外の世界とほぼ直通状態で、とりあえず道徳に反しないもんはばんばん入っちゃう、みたいなことになっていて、だから彼らは私よりもすごいスピードでぐるぐるかわって、でもって過ぎてきたところにはそれほど興味なーイ、みたいな感じなんです。彼らにしてみたらそれは成長したということらしいんですが、私から見たら何度も乗っ取られてる、って思うわけです。マー、世間ではそーゆーやつが勝つんですかね。
 今だから、私も、そういうやつはたまにいるもんなんだとわかっているけど、最初にそういう人に会った時は、「やばい、すごい成長スピードだ!負ける!」と思ってたくさん勉強したりして疲れてたもんです。しかも相手は全然つかれないで「ハイ!ツギイコー!」とか言ってるし。
 
 そういう彼らにたまに「太宰好き?」とかって聞くと、「太宰って文章うまいのにぐじぐじやっててもったいないよねー」とか言ってます。
 なんかすごい眩しさ。そして尊敬すべき力強さ。

 彼らと私は「ああ、うらやましい。いいねえ、まだ習える習える!どこそこのあの先生に習える。あの本を読める。」という点では共感するし、その辺からスタートするのも同じなんだけど、こっちは市電、あっちはジェット機みたいな違いがある。私は市電が好きだけどな!一口で食べる量なら小トトロとでっかいトトロくらいの違いはあるたぶん。
 私はなんか彼らが好きで、でもあっちはどう思ってんのかよくわかんなくて、まあ「それなりに色々分かってんのにへんなことでぐじぐじかんがえてるアホコだねー」とか思われてるかもしれないけど、わたしはちょっと彼らになりたくて、でもああいうのどうなんだろ、と心のどこかでは思っている。
 ああいうのどうなんだろうね。楽しそうだからいいか。

5月18日

 ホームページに何かを書くのをやめようかと思う。ヤメタイナー、とすごく思う。

 そもそも私は、何が楽しくて書くことが好きだったのかと考えると、一つは褒められることが楽しかった。なぜなら作文だけでも自分が明らかにそのへんの他の子供より秀でていると自覚していて、自覚しているものを褒められるのは素敵な感じの納得ができたからだ。
 もう一つは、原稿用紙に書くことに飢えているときに原稿用紙をもらって、飢えている間に書きたいとずっと思っていた事を、こうしようああしようと考えていた書き方で本当に気持ちよく書けたのが楽しかった。
 いくらでも書ける、何度でも書ける、いつでも書ける、というのは、つまらなくて、何だか萎える。
 アナログな人なんですねと言われればまあその通りなんすけど、メールより手紙が好きだし、電話より直接会って話すのが好きだし。
 
 ホームページに書くのをやめたい理由というのは他にもあって、
 たとえば何年か毎日読んでいるホームページの最近の文章を読んで、「こういうの書くようになったか…こういうの自分は書きたくないなあ。(こういうこと書くと色々よくない気もしますが)…こいつかなり田舎くさいというか田舎あがり根性がむき出し過ぎて品がないなあ。いやだなあ、こういうおとな嫌だなあ。そういうのを文章に必要以上に反映しちゃうとこ嫌だなあ。」とか思ったりして、「うう…ちょっと、嫌だ。今日書く気失せた。」ってなったりして、ついついその日更新しなかったりしてみてくださってる方に申し訳ない。
 
 こう見えても私は品がないとかいうことをさりげなく嫌っておりまして、それなりの年齢なのにわきまえがないとか、礼儀を解ってないとか、明らかに馬鹿なのに年上の人に対して無礼とか、本人は全然自覚してないが食事の仕方が極端に汚いとか、そういうのは結構嫌で、そういう人だからと言ってお付き合いできないとかそこまでは全然行きませんけど、そういうよくないひとのよくないところが凝縮されたような文章を読むとほんとうんざりするんであります。
 案外本人を見ているよりも文章を読んだ方が不愉快になることも多い。
 
 そういう人のブログとかに、「今日工藤さんがなんとかかんとか」と断りもせずに私の事を解ったような調子で書いてあるのもわろし。

 品の無い文章も最初の一ヶ月くらいはどういう人なのか考えるのが楽しいから読んでいるけど、さすがにずっと読み続けるのはつらい。
 何事にも品は必要であるよ。と思います。

5月17日
 
 「夕帰りの子供たち」っていうホームページ名には、私が江國香織とか読んでたという歴史が色濃く出ている気がします。もう最近では、歴史を考える以上に面白い一人遊びはないように思える。
 
 テスト最終日はカラオケ行く予定であります。エスパー加藤と。エスパー加藤は私が昔々貸してあげた「枕草子REMIX」という本をとても喜んで、学校の古典の授業で枕草子が出てくるたびにREMIXだREMIXだと言っておる人です。こういうと可愛らしい感じもするが、名前の通りエスパーでしかも皮肉屋なので迂闊に食べるには美味しくないです。普通に妹は可愛い。
 
 楽しそうな人たちはアニメをよく見てるがつまんないアニメばかりでみる気がしない。
 こんなふうにパサパサと乾いて、めっちゃ圧力をかけられつつ、毎日学校に通ってあんまり本も買わずに生きていると情緒というものがなくなる気がする。なんかコンビニで牛乳買ってお釣り受け取ってるときとか、「なんかすごいつまんない姿であることよ。」とか思ってウワーってなります。
 とにかくお金がないっす。これまで以上に。というかココが底辺か、だといいけど。
 少女がね、相手にしてくれない、だといいけど実際はかなり遊びに来て精神的にきつい。なんだあの、少女は、少女というだけで別に少女じゃない。私は嫌いだ。
 ビッチと、井の中の蛙と、私の欠点を一つでも知らないようなやつとは仲良くなれませんだし。
 結構仲良くなっちゃうけどやっぱり、でもやっぱり。
 
 なんか近頃、小さいころの記憶なんて、あんま全部本当だと思わないほうがいいなあ、って思いました。結構捏造しているというか、視界が狭いからかなり自分のことしか見えてないか、もしくは傍観者的態度でいすぎて自分がその時何してたか覚えてないと言ったようなことが多い。
 
あほこくどう
あくどう

5月16日 外発
 
 金曜日 アイポッド担任に没収される
 土曜日 かえしてもらう
 月曜日 授業中にのどあめなめてたら担任に見つかる
 火曜日 テスト中携帯鳴ってたのおまえだろと疑われて荷物検査される→良くない本が出てくる
 水曜日 携帯鳴らした人が結局誰だかわからなくって担任の先生が「お天道様は見てるんだからね!先生は悲しいです!」みたいなお話をしてくださる。茶々を入れたくてしかたない。 
 
 携帯鳴らしたのは私ではないが
 なんで火曜日に限って鞄にきもい本を入れといちゃだめだなあ、と思いました。つうかすごい私のこと睨んで疑ってたんだから謝れとか思いました。鞄の中は常に綺麗に清純に!
 水曜は家に帰ってめっちゃ人が死ぬ残酷な戦争映画を見ながらうどんを食べて、なんかちょー不愉快。だけど明日もテストなんだな。すごく勉強する気失せましたががんばらにゃ。

5月15日 黎明、黎明!
 
 魔法が解けたら嫌だから頑張らなきゃいけないのに、首筋から、ぐでーんとなってポックリ、と死にそうです。夏の陰謀だ。
 今朝今朝今朝今朝、
 新宿駅の西口で、昔好きだった人に計画的に会いました。
 きゅつはあのころ私のことが大嫌いで、私はあのころきゃつのことが大好きでしたが、今はお互いに大好きです。なるほどこういう時期が死に時だと、自分でも思う。
 二人でそれから河合塾の記述模試を受けて、喫茶店で答え合わせしました。昔どういうもうそうしてたかとか話しました。
 そのあと新宿ルミネで洋服を見て、お店の人を冷やかして、「高い高い!」とか言って試着したりしました。
 わざわざ遠回りして昔住んでた街の彼の家の前まで送っていって、彼のおばあちゃんが出てきて、私のことすごく懐かしがっておりました。
 帰り道、
 こういう時がしにどきだと、おれは思ったのさ!
 もうこれ以上変になりたくないのだ。これ以上みたくないんだよ。どちらかに傾いて、その先で何かを残してしまうことが怖いのだ。

模試、定期試験、法事、見舞い、結婚式などあるので今月中はゆっくりペース粗い質更新になると思いますお許しを。
来月以降はちゃんとします。ごめんなさい。

5月14日 散漫
 
 更新が滞って済みませぬ。
 そう言えば私は最近通学手段を自転車から徒歩に変えました。
 理由は担任に「自転車に乗ってくると帰りに本屋へ行っちゃって勉強しないようだから徒歩にしたらよろしい。」と言われたからです。そこまでいわれて駐輪場の利用許可申請書を担任に出しに行くのも嫌な雰囲気になるからそのようにしました。
 本屋へ行かないとめっちゃつまらないです。
 来学期は絶対に駐輪場の利用許可証を出そうと思います。
 
 ていうか温かくなってきて理性が揺らいでおるのです。だめだこりゃ。

5月13日 
 
 せっかく楽しい気持ちで御勉強してるのに悪い記憶や想像が付きまとって、やっぱり夏が来るみたいであります。私の成績うなぎ昇りもここまでかと。
 とか言ってる場合ではないので寿命縮めながら勉強しませう。
 年中夏だったらわしはとっくに死んでる。
 部屋からものを捨てないと暑苦しくてだめだね。
 まずは借りものを返して一気にものを捨てよう。
 冷房で脂肪を冷やしつつポテチ食ってるお嬢様お坊ちゃまには負けられん。いや、別にそんなん負けてもいいけど。
 なんか未来有望な友達にしか興味ない。有望ってのは金持ちになるとか偉くなるとかそういうことじゃなくてね。
 
 なんかみんな当然のように同じ扱いを求めてくるが、同じ扱いはできないんだな。私は不出来な奴だから。
 て、こういうこと書いてるからこのサイトを読んでる人はお昼御飯の時間になると、なんとなく私から離れて座ってご飯してたりするんだな。なるほど。かまわん。
 
 弟の担任の先生から電話がかかってきてとても緊張しました。
「ここしばらく学校に来てないみたいだけど大丈夫かしら?」
って言われて、「え!?あいつここしばらく行ってないんですかあ!?」と言ってしまった。まあこんなもんかね。
 ただでさえ私が寛容なのにお母さんがぼおっとし始めたから無法地帯のようになってきた。
「とても言いづらいことなんだけど…工藤君修学旅行のお金の振り込みがまだなのですけど…」
「すいません!ちょっとお母さんよおっ!」
って言ってしまった。始めて喋ったのにちょう笑われた。ぐす。

5月12日
 
 「弟が死ぬ」という創作みたいのを書いていたら開始三十分で、「あ…わたしこれ書き続けてたら二日後には怪死する…」と思ったのでやめました。
  
 まあ弟が死ぬという事態は、いつでも起こりうることで、別に他の人が自分の弟が死んだ時思うよりは悲しまないだろうし、「あんなこと言わなければよかった」とも考えないだろうと思う。思うとしたら「もっと好きなもの食べさせてあげればよかった」とかそういう類だろう。
 それよりもまず、弟だけでなく、いろんなものに怒っていると思う。それだけ。
 
 いまさら弟が死んだってすごい絶望でもないさ。そゆとこ感性が死んでるともいえる。悲しいという感情と怖いという感情と、殴られたくないというような感情がとても薄い。だけど怪我したくないと思っている。だから今まで生きてるんだと思うけどね。
 
 弟が死んだらもう少し未来のことについて無責任になるかもしれない。
 もう私は、誰が死んだって自分の死に時まで生きていく所存だ。
 そのためにはもう少し気の楽なものを書こう。
 私が一番好きな人に気に入ってもらえるくらい良い文章を書くことがたまにあるけど、あれは別に書いてたら出来ちゃったとかいうんじゃなくて、明確に今日はそういう文章を書こうと思って書いて、そして確実にそういう文章が出来あがるわけであります。
 私はすごいな。
 だがそれじゃあなんでそれを毎日やらないかといえば、そんなん書いてたら死んじゃうからです。
 あれを書いてる時の私の姿は誰にも見せられませんね、ぶっちゃけ。
 いやまあ…おぞましいもんで(笑)ヘッヘッヘ…
 
 まあそういうわけだからその結果できあがったものを「あれいいね」って言われた時は「えー?本当ですかーえー照れるなあ…」とか呑気なこと言いながらも実際は「だろ?」的な感じでありまして、だけどなんか、それをどういう気持ちで書いたのとか説明できないんですねもうその時には。書くだけ書くと「ビシッバシッギューーーーッ…ドキュン!」って終わっちゃうわけです。まあ道具(PCやペン)と体の相性がいい日じゃないと無理ですけど。
 ウワーなんかそんな御身分じゃないのにこんなこと書いちゃいけませんねえ。すいません。
 けどなんか最近いろんなところから流れてきたものの掃き溜めみたくなっててしかも寂しいからいけません。

5月11日
昼ごはん:から揚げ丼390円
 
本を売った。査定中。いくらになるかな。
受験料が貯まらない。
彼女を作ることに専念しよう。黒紫色の季節がごおごおと音を立ててやってきている。
若者特有の野望的な奴に若者らしく取りつかれている。今日だけの話。

5月10日
 
 目指すべき希望が背中から見ているようだから止められない。息遣いがあるようだ。
 薄暗い大学食堂で390円のラーメンを食べてインクのきれたペンを捨てて外に出た。まるでロックフェス呆れるほど高い空
 誰の声も邪魔できない場所に夢があって幸せだ。今日はそういう日で。
 安っぽいながらもいい気分で。
 大好きな国語科室で電気煙草たのしみながら地震の後の快晴の中で。危険の国で。
 教諭と正直な将来の話。

5月9日

 @自分がどこかの家の使用人になっていて、そこの家の奥さんがラブホに忘れた靴を取りに行けと言われて一人で「ちょう怖い!」とか思いながらそういう街に取りに行く。でも行ってみたらなんか見たことある街だなあと思ってすごい怖くなる。
 
 A自分がどこかの家の使用人になっていて、そこの家の奥さんがラブホに忘れた靴を取りに行けと言われてもう一人の使われてる女の子と一緒にそういう街に取りに行く。でも行ってみたらなんか嫌なこと思い出しそうな街で、その女の子と手をつないで立ちすくんでたら、道の向こうから知ってる人ばっかりが一杯歩いてきて、もう死んだ人とかもいて怖くなる。
 
 B公団の階段を友達の後にしたがって歩いてドアの前まで行き、その友達が「ちょっと待っててね。」と言ってドアの向こうに入ってドアが閉まり、その直後に内側から鉄バットで殴ってるみたいにすごい音がしてドアがぼこぼこに変形する。
 
 C上のやつの入っていくのがお母さんのバージョン。
 
 D上のやつの入っていくのがお母さんでドアの前でお父さんの弟が絶叫しているバージョン。
 
 E昔住んでた街の公園の横の通りを歩いてたら、もう一人の私に会っちゃう。
 
 F昔殺してやろうかと思った人を実は全員自分は殺してたんだよ、覚えていないだけで。というのがバレてお母さんが目の前で自殺する。
 
 G学校から帰ってきたら弟の部屋に弟とお母さんがブラーンってなってて、しかもお父さんの弟がそれを寝転がって見上げながら絶叫してる。
 
 というような悪夢を毎日交代ばんこで見るからさあ、さすがに朝一番は散歩でもしないとだめです私。
 一番気になることは、お父さんの弟がなぜ絶叫してるのかということだ。叔父さんが絶叫してるのが怖い。
 @AEを除けば残りのは全部、なんか置いてかれる感じだ。
 全体的に、自分と周りの空気や人との間に気持ち悪い距離というか、天使の道に一人だけ押し込まれちゃって呆然としてるみたいなんだな。そういうのが怖いんだな。
 よく考えたら私は先生に会って開化するときまでは十年以上の間ずっと、なんか天使の道に一人だけ押し込まれて無言でいるみたいな感じだったんだな。だっていつも、あの夢の中みたいな感じだったんです。
 そして私はやっぱり昔のことを全部思い出すことと、寂しいということと、一人になってしまうということが、とても怖いんであります。
 「なんか見たことある街だなあ」って言うのは、もう本当はいつ見た街か分かってるんだけど、その「嫌なこと思い出しそうな感じ」というところにいるのがとても怖い。

5月8日

 夕飯:鮫の煮つけとかとか

 しばらく更新しなくてごめんなさい。
 PCはたまに没収されたりするのぞ。
 今日は電話で北海道に行った友達と話した。
 こっちは道が太くて死にたいくらいまっすぐだと言っていた。
 私はそうかそうかと思った。会いに行きたい。

5月7日 一矢

 この十五年間で家族に起こった悪いことは、全部私のせいだと言うこともできるとわかった。記録が残っているというのは残酷な事だ。が、記憶だけでなく記録があるのはよいことだと思う。

 なんにせよ、私は受験をして、早く家を出て、就職して家族を楽にするだけだ。悪いことをしてたのに、気付かないなんて、独り善がりの極みだなぁ。
 全ての物欲が失せた。
 もっと気をつけなきゃだめだ。もっと気をつけないと人を死なせてしまう。破滅させてしまう。
 ああ
 俺が普通の人間だったらなぁ…
 とか考えてたらある友達から「コレ私の一番下の妹」と言ってものすごく羨ましい妹の写真送ってくれたからなんかもう何もかも一時的にはこれでいい。
 
 ああしかし、俺が人間だったなら!
 なんだか私は他人の悪いところを育てて破滅させる傾向にあると友達に指摘されて、ちょっとほんとにそうかもなあと思い当たることが多すぎて、にわかに辛い。もっと気をつけようと思う。
 私の友人に対する寛容さは表面上異常で、それがちょっとまずいのかもしれない。
 ま、基本友達のことに関してなんて無責任なんで、知らねえよと思っていますけどね。フフフ。
 ミスタードーナッツでの勉強会に混ぜてもらいました。加藤氏のバリバリと喋りながら源氏物語を高速で和訳できる技術に脱帽。にゃ。
 
 【自分用メモ】
 大矢に中原中也の詩集を貸した。
 兎ちゃんに実況中継CDを貸した。
 内田に草枕を貸している。
 内田に模試を贈呈する。
 アマゾンで問題集参考書等購入。
 十四日、ブックオフが古本を受け取りに来る。
 英語シャドーウィング試験
 日本史、用語試験
 二十二日 河合塾模擬試験 記述。
 加藤に漫画を借りた。
 
 俺は寛容であることをやめたい。

5月6日
 
 五月八日、模試でした。
 帰ってきたら兎目になってた。
 電車アレルギーだからな。

5月5日 新五割引き
 
 冷蔵庫の中を割引シールのついてるものでいっぱいにして、
 そこだけ貴族な杯を出して、大好きな人と乾杯したい。きっと「乾杯」って感じがするだろうね。そういうのが今私を支えている希望である。二十歳最初のお酒を祖父と飲んだり、そういうのが私を生かしているものである。いつか名古屋に行ってみたいなあ、とかいうのが、厳しく辛い夢を見た後に夜中に思うことである。
 
 生き急ぐのをやめたから、やっと受験勉強ができる。でも絶対、何も忘れまいと思う。押し入れの人が戻ってきた。でもよなよな慰めてくれない。私が硬質になって気味悪いんだろう。
ごめんね。
 
 私の生き急いでたところが好きであった友達は、つまんなさそうにしている。
 親と自分と未来のために大学にちゃんと入って、そいで出て、大きくなろうと思う。
 
 後輩の西山と、ちゃぶ台を出して私の家で御茶漬け食べたい。
 旅館みたいに布団を敷いて、友達と朝を待ちたい。ただただ、私は自由になりたいな。
 そして緩やかに、家族や友達と一緒に正しくいきたい。離れ離れにならないで。

5月4日

 かぜが治りました。ずっと更新しなくてすみません。
 このごろ通学を自転車から徒歩にかえまして、そしたら行き帰りで独り言喋ってたら全部話し終わってしまうもので、書くことがないのであります。
 今日は老人ホームの前を通った時ちょっと面白いことを言っちゃって大笑いしました。

5月3日

 「ビリで入ってもトップで出ればいい」
 ってなことを、よく小学生の時に言っていた。まあ格好よさを追及していたわけだ。だが自分が中学校にトップで入ってビリで出た時からそういうことは言わなくなった。すっかりピーンと忘れていたのだ。
 昨日小学生の時の日記が一枚出てきて、ひたすらトップで出るんだ、と書いてるのみて思い出した。

 「別に今はトップとかどうだっていいんですけどお」とかいいながらも、トップの奴にのみわかるように対抗心を滲ませつつ、夜中に何回も弾丸がそやつの額に綺麗な穴をあけるのを想像して引き金を引く練習をし、朝にはそれをしまって学校に行く。学校でピストルをトキタケと呼ぼうとかよくわからないことを友達としゃべり、五十メートル走を久しぶりに走れば貧血で吐きそうになり、隣で御勉強家の誰かも同じようにしゃがみ込んでいるのを見れば「もう一本走ります!」とか言って走って目の前が真っ暗になったりし、隣にいる人に「俺様が吐くから穴を掘れ」とか言って顰蹙を買い、むこうの御勉強家が心配されて私は顰蹙を買ってるだけという立場を楽しむ。
 ため息交じりに助けられている自分と、ただ心配されている誰かという立場を堪能し、ただ「俺は…」という気分になる。
 私は広い世界で本当の感情というものと、友達というものを持っている。
 それで私は世界の狭い人たちを夢の中でもこっそり馬鹿にする。そしてたまに狭さにいらだつ。それで真夜中にはトキタケを打つ。スパット入ってスパット抜ける。ごろりと崩れる。
 彼らはそんなもんで崩れるプラスチックマネキンみたい。心があるべき場所に心を持ってきているだけだ。
 彼らがいうには、受験勉強も、学校も、人生も、友達も、あるべきだと言われるところに自分を持って行くだけだというのさ。

5月2日

 先生が何か書かないかと誘ってくれたので何を書こうか一日中考えていた。
 敷地先生の現代文しかまじめにやらなかった。四月になった頃から、やっと学校に現代文の授業のある意味が分かってきた。たしかに、こう言う授業は日本人に必要だな。つうか人間に。
 敷地先生の授業聞いてたら現代文できないとかありえん。
 現代文の授業が楽しいと気付いてから、自分ならどうやって授業するかをひたすら考えて楽しくなってしまう。
 やっぱり私は、何かを「続けてる」人を尊敬する。
 何かに対する姿勢もそうだし、職業もそうだし、なんか、「続けてる」人がいるから、「続く希望」が生まれるんだと思う。
 
 うーん、私は国語の先生にはならないと思うな。でも楽しそうだ。


5月1日 酒を断つ
 
 二百冊ほど本を売る。僕は苦しい。ただしそれも最初の百冊までだ。
 俺はさようならをするのさ。この腐った世界に。生活に。なっちゃんもういらねいもん。本なんて。また買えばいいんだ。図書館のすごい大学に行けばいいんだもん。
 身軽にならないと。もう来年にはこの家から住居の後を抹殺しなくてはならないのだ。なぜかそれを強いられるほどにいつからか私は邪魔者扱い、というかなんか恐れられてる、のだ。
 ギターも一本残ってるんだけど、これ私のじゃないんだけど、持ち主は地球の裏側でロックをやってる勝手気ままな奴なのでいい加減にこの安物を預かっていられないよ。売るよ。麻薬にアディクトかもとか言ってる場合ではないよ。見ているんなら早くとりにきてくれよ。
 僕の時代の人たちは、みんなボロボロになっていきます。海外に行ったって同じなんだけど、やたらみんな逃げてゆきます。それで最後には快楽の海に腐ってゆきます。アーメン。

 僕はすごく
 面白い人間なんですから
 いつか書生を大事に養ってあげて、
 たくさん話などするつもりです。
 自分自身も、自信を持ってたのしいことをするつもりです。
 そのためにはいちにもににも、勉強です。
 むずかしいことはないでしょ。
 単純な幸せのために、僕は今必死にもなりかけます。
 
 アルバムなど見ていると
 やはり僕は貴族なのです。心が、なりきれないまま、燃えて焦れているのです。
 昨晩から熱が出ました。彼女がお母さんに作ってもらったサンドウィッチを、持ってきてくれました。彼女が窓を開けてくれました。夕暮れが来て、ひといきもなく夜が来ました。窓を閉めて彼女は帰りました。
 ただそんな僕に会いに来るその彼女は
 やはり貴族の心が分かっていないから時々僕をいら立たせて、下品だと思わせる。
 僕はまたとない人間なんだから、いつかはこの恩を返さなければと思う。とても余るくらいに、彼女にも素敵な思いをさせようと思う。僕は勉強がしたいのだ。勉強するために大学に行きます。この病気が腕をはなしてくれないと、こまる。

4月30日
 
 母さん御乱心
 家崩壊
 痴話喧嘩のような親子喧嘩
 僕乱心
 本棚横転
 母を売りに行く発言で大乱闘
 救急車騒ぎ
 風邪をひいて夢を見る
 四月末日も五月四日も大して変わらぬ憂鬱さかな
 次の日にはけろりと忘れる憎き母かな
 枕元に岩波が散乱している
 
 今度はあっちで騒ぎが…長い休みなんてやだなあ。
 夜になると…夜になるとでもないか…体温がものっそい高くてちょっと変でござる。
 集中して日記書けないです。なんだろな。
 ちょっと病院いくべかな。
 近頃日記が短くつまらないのはこういうわけです。
 それ以外にも、なんか他人が書いてる長い文章を読んで、世界せまいなあ、とか、嫌な書き方だなあとか、偏ってんなあ、とか思い過ぎて、自分のはどうなんだろうと、すこし怯えてるってのもあるんですけど。
 
 こういうときはなんか素敵な文句を引用したら楽しいけど、今の時代、歌でも何でも、引用して皆に分かってもらえるようなところに素敵なものがない。
 
 フッフッフ明日は十三時間も勉強できるらしいじゃないか。しかしとても体調が悪くて死にそうだ。そんなに勉強するより新宿でオレンジジュースでも飲みたい。

年表 メモ※ちょっと間違えてるかも
 
 ≪お嬢様時代≫→住居:世田谷区の丘
 0〜3歳 知らない              
 3〜6歳 弟を嫌がっていた時期        
 6〜8歳 身内に愛されて安心してた時期  
 ≪放浪時代≫→住居:転々
 8〜12歳 暗黒期 読書放棄
 ≪二次お嬢様時代≫→住居:世田谷区の丘
 12〜13歳 不良期 
 ≪脱貴族時代≫→住居:川沿い
 13〜14歳 死んでれら
 14〜 今に至る(現在17歳)
 
私に関する年表を私より詳細に作れる変な人がいたらいいな。

4月29日

 優秀な後輩が相手にされてなくて苦しい。
 昼過ぎ起きて、気の利かないメールを何通か書いた。
 どれも、すでに頑張っている人にもうちょっと頑張ればよいとか、疲れている人によく休めとか言ったことを書いたもので、我ながら言ってる方が疲れてる。
 勉強したい。勉強しなきゃ近付かないぞ。
 
 常人の大学生が階段でコーヒー飲んでる私に話しかけ、ドイツ語の講義だったと言う。私はドイツ語の講義がどんなものなのかわからない。英語を習ったときみたいな手順でドイツ語を習うんだろうか。
 ドイツ語もフランス語も中国語も習いたい。
 他にももっとたくさん習いたい。
 たぶん私はみんなが私をそういうやつだと思ってるほど日本語に固執しないぜ。というより色々混ぜて文章を書きたい。
 私はタバコを吸わないけど、昔庶民が吸っていたらしい朝日という体に悪い煙草のパッケージの絵が好き。 もちろん味も手触りも知らん。

4月27日 
 
 工事のおっさんがつなぎを泥まみれにして大雨の中走ってきて、公園の入り口で立ち止まり、スイレンの黄色い花を見ていた。
 
 二日経ち、
 青年が工事用のつなぎを泥まみれにして大雨の中走ってきて、もっと泥まみれで私の肩をがしりとつかみ、「僕は物書きだぞ!」と言ってきた。私の死んだ兄のように思えた。兄が物書きだったら私は何を捨てても兄に書かせていただろう。とか思った。
 私は、「うん、そうか。」と言った。
 雨も風もすごかった。
 それは夢だった。
 
 起きたら綺麗に晴れていて、ブランコをするにはちょっと餓鬼が増えすぎる、そういう時刻だった。あすこに咲いているのはそういえばスイセンではなく蘭だ。

4月26日 映画ばかり見ていると
 
 なんか最近課題とかでやたら映画を観ている。特に外国の映画。
 そのせいで最後に見た映画の主演の喋り方が自分に伝染ってしまっている。最近ずっとそんななので毎週喋り方が変わる娘にお母さんは超恐怖している。私も私が自分の子供だったら怖くてたまらない。表面に関しては絶対把握できない不確定さで生きている娘だから。
 
 しかしね、私は色々真似するし、伝染するし、動かされるけど、結局家に帰って本棚の前に横になれば、ただの畳の上の孤独や水練で、なんもかも重苦しくてたまらないだけの子供なのだ。
 ぽかあんとしてるのだ。
 魚になれる男の子の話とか考えて、朝方ブランコをしては木の声を聞きたがってるのだ。だって寂しいんだもん。
 
 お母さんが私と弟のことをめんどくさがっている。お父さんは卑劣に面白がっている。か弱い奴め。
 めんどくさがられるのはしょうがないと思う。わたしも弟がめんどくさい。ていうかもう知らんぞ。所詮他人だ。ドーセ出ていくのだ。
 そんなわけがあるかっ
 でもそればかり考えているわけではない。恋をしたみたいに急に外に気を取られている。

4月25日

 30日は人生で初めて演劇を見ました。
 ほんとはもっと前に一度見る予定だったのですが地震で中止になったので昨日30日が初です。
 始めてが成城学園中学校演劇部の演劇でよかった。
 一年でもぼけっとしてたらほんとに損するもので、私の中学校生活は結構損だったと思う。みなさんシャンとしましょう。
 
 それとは別に私は嫌な人と付き合うための協調性がさりげなくお本格的になくなってきたのでいじめられるかもしれない。はっはっは。知ったことかい。
 だってでもさぁ、やらなきゃならん事がこんなにわんさかあるのにスーパーのこんにゃくみたいに無心で無筋力で生きているわけにはいかないのですよ。

 生涯学習団体に入った。練馬区に引っ越すかな。

4月24日 海ちゃんと文子

 部屋を整理して大量に本やCDを嫌々処分していたら古いノートやメモをホッチキスでまとめたやつがいっぱい出てきて、「なんかこの前引っ越しした時も何となく捨てられなくて持ってきたんだな」と思いつつどことなく恥ずかしく、「昔の方が変態だ」と思ったりして、なんとなく捨てられず、海ちゃんと文子のお話などを発掘し、こんなの書いたことも憶えてねえ。しかしすごい字がきれいだなあ。 と思いながら三時間くらいお茶を飲みながらノートたちを眺め、たまに吐きそうな気持になりました。
 
 うみちゃんとぶんこは結構好きです。大切なところで飽きたのか書くのをやめてしまってるから書きたそうかなあ。
 なんか今の私の生活を予期したような記述もあってドキリとさせられる。ツバメノートとか買っちゃって、この金持ち娘!
 
 日本史の資料集か国語便覧に顔写真載りたい。首相秘書にもなりたい。でも遊びたい。ぶんこを見てたら、というか読んでたらとってもいい気分になった。
 なんかネットに日記書くの疲れてきちゃった。気持ち削がれるからなあ。

4月23日
 
 後輩が自転車に乗っていて電柱にぶつかり、たんこぶができたとか言ってたので叱ろうと思っていたんだけど学校では会えなかった。わたしのほうこそ今朝飲んだ牛乳が腐っていたようで授業でドッヂボールをやりながら吐きそうだった。吐かなかったなんて奇跡だと思えるほど気持ち悪かった。私の胃の中にはその時コップ一杯ぶんの牛乳しか入っていなかった!
 おお花子
 もうどうだっていいのだ、もうどうだっていいのだ。函館はまだ冬か。ひいばあちゃんが生きてた頃は鮭のいずしが毎年ござった。
 あれがないと随分寂しいんだから、いっぺん甦って食べさせてほしい。
 私は悪い孫なのでお父さんの方のおじいちゃんとおばあちゃんに会いに行きたくない。気にしてはいるんだぜ、ぼくは。
 とても気にしている。だが気にかけてるだけじゃ何にもならぬ。
 彼らの知らないところで私の背は伸び、夢は増え、瞳は変わる。絶望し、期待され、彼らが知り得ぬことを成し遂げる。彼らが知り得ぬところで。すべては彼らに見えない場所で。
 私は若いからそれを悲しいと思わない。だけど大人は違うだろう。あんなに可愛がってやったのにと思ってるんだろうね。
 会いたくないだけじゃないんだよ。色々あるんだ。わかるだろう。
 私が千葉まで行って探したおばさんは元気だった。津波は来たけど大丈夫だと。よかった。

4月22日

 栗原みなちゃんという小学校の時だけ一緒だった女の子を近頃よく思い出す。
 楠の通学路を歩いた毎日を懐かしく思います。
 しょうがっこうの時同じ学校だった人なんて、高校生になったら見失ってしまうものだなあ。
 そういうのをつなぎとめるためにミクシーとかツイッターとかは役立つんだろうな。歪んじゃいそうだからあんまりやりたくないんだけど、高校卒業したらやるかもな。結構高校では良い友達できたし。
 ちなみに来年の今頃は毎週木曜日は新宿の某所に必ずいる予定なので私がツイッターとかミクシーとかやってなくても会いに来てくれるよな!?
 場所はちょっと物騒なイメージの、実際にも多分物騒な場所ですので気をつけてきてくれないと困りますぜ。ココ
 来年から住むところは杉並区か練馬区になりそうです。
 ツイッターとかミクシーとかやってなくても遊びに来てくれるよな!?
 うーん、…ツイッターはたぶんやらないだろうな。いろんなこと思ったり感じたりし過ぎて呟ききれないし、そもそも湧き出た中のどれが呟くに値するものなのか分からないし考えている暇もないし、そんなこと考えていたらノイローゼになる。
 最近家族が羊のようになっているので私は羊小屋にいる気分だ。
 弟が部屋で天井からブラーンてなっている夢を見たので友達に話したらどんびきされた。
 今日学校でぼんやり体育の授業を眺めていたら派手な女の子の友達が「あ成る拡張」という文字いれたクラスTシャツを着て笑っていた。私は額の皮と皮下脂肪が頭蓋骨からはがれた気がしました。そして「ああ、もうぼくは…」といいました。僕はもういやです!

ログ格納しました→ログのページ

私も年なので怖いことが増えてきた。
家に帰ったら小包が届いていた。中身はなんか早稲田の赤本。
もちろん父の仕業だ。はっはっは。あの人の寂しさと狂気が怖い。
でも太った体をかがめて小包にガムテープ貼ってるのを思い浮かべたらちょっとうれしかった。不覚だな。電話電話。
たぶん私は母と友達みたいになるより早く、父と友達になるんだろう。

 

 

inserted by FC2 system