夕帰りの子供たち 平成23年1月の日記(1月22日から31日)

1月31日 屈辱

 その晩白い女が、私部屋の窓の下に尋ねてきて、私は誰にも言えないくらい安堵して、ついつい窓を全開にしてそのひとにキスした。季節は正月を過ぎたばかりのまだ真冬であるので、白いシャツ一枚の体が一気に冷えた。彼女の指がステンレスの窓枠に置かれたように触れていた。
 それはやる瀬の無い夜だった。年がら年中の裏切りとは、まったく違った種類の、長い十七年の経験も、覚悟も、まるで役に立たぬ。全ては過ぎ去ったあとだったので、しかし私は、昔の美しい思い出を汚されるようなことには、もう耐え難い。そういう恋をしてきたし、それくらい長く生きた。
 冬は私どもにとって毒であります。
 そういって女の手を引き、入れてやって、真っ暗い台所からお酒を持って参り、布団に抱き込んで眠りました。底にはいっさいの真面目会話も、お互いの考えもなく、ただ二人の間の未だ破れぬ壁と、明日の朝の、光を待ち、この雪が早く止んでしまって、二人離れて生きていけるようにという願いが、そうなった時初めて、それでもお互いが二人で生きていけるという確信を、この手に握りあえるだろうと言う希望が、不安が、これまで幾千交わしてきた言葉の上に、かぶさっておりました。
 私たちは馬鹿です。
 いつ愚かになり下がるともしれない。
 細い腰の骨に抱きついて、私が眠りに沈みこもうとしている時、まだ彼女は酒を飲んでいました。
 私は彼女になにか歌ってほしかったのです。
 三日前に明かされた事実を、私は構わぬことにしました。けっきょく生きて行くしかないのです。

 あ、大丈夫だ。戻ってきた。調子が戻ってきた。ということは勉強に集中できなくなるということだ。あー楽しい。ほんものはこっち。
 戻りたては嫉妬が激しくなるのでよくないようです。というか嫉妬とかするんだ。うん、するよ。一瞬は。すぐ元通りだけど。
 ただ私だって二人きりで相手に伝えなきゃならないことがあるんだよ。そういう時に訪ねてくるな。んなこと言っても無駄だけど。
 三十日に書いたことは少し間違ってるかもとも思うけど、消すのももったいないからとっておきます。

1月30日 うちだ、おまえ入院してるってホント?

 今日は久しぶりに師匠とお会いしてカレーを食べました。
 好きな人に会うと、言葉が出てこなくて困る。見せたくないとか恥ずかしいとかそういうのとは別に、言葉をまとめきらないことがある。言葉は湧いてきても文にならない時がある。そういうのはだいたい後で考えなおしても伝わる文にはならない。たくさんの単語にしかならない。もっと頑張れわたし。
 もどかしくて他の人のまねをしちゃうこともあるが、そういうのを「ものすごく違う!」と思って嫌がっている部分もある。でもそういうふうになってしまったって、話すことは大切だと思える。まさか百パー、他人にすり替わるわけもないんだから。あとは成長。
 私が朝起きてすぐに書いた日記はテンション高すぎて痛々しい。読むに堪えない。(26、27、29日付けの日記などがそうです。)
 ああ、そういえば、アイポッドついに注文したのです。わーお。うむうむ。あまり使いすぎて馬鹿にならないようにしなくては。それにしても160ギガもあったらなんでも入る。(そう思ってるのは最初だけか?)案外ああいうのはすぐにいっぱいになるものなのかもな。本棚や部屋のように。それにしても人生で二番目に高い買い物をしてしまった。一番はデルのパソコン。
 ほんというと朝だとかそういうの関係なくテンション高すぎる気がする。高いと言うか馬鹿に明るい。そう、どうもネガティブなことは一切考えるのと別の部分でカタカタと綺麗に片づけられてしまって、目の前には布団と勉強道具とパソコンが取り残されている。
 そう、どうも、まるで、「寝なきゃ馬鹿になるから寝ろ。」「勉強しなきゃ馬鹿のままだから勉強しろ。」「もはやお前は日記なしでは馬鹿になるばかりだから日記書け。」と言われてるみたいだ。私はそんなんちょっとやだと思って、詩集とか読んでみる。が、しかしそういう時にはちっとも詩に素晴らしさが感ぜられない。そして詩を書けもしない。詩を上手く読めない時には詩を上手く書けないんだ、ということがここ最近は分かってきた。
 師匠に褒めてもらったような詩が書けた頃には、暗い部屋に座ってるだけで言葉が集まってきたもんだ。突き刺さってきたもんだ。いまこれ、密かな悩み。
 だいたい詩が書けない時には心が不気味に落ち着いている。静かだ。静かすぎる。
 そういう時には勉強しなきゃとふと忘れてたのに思い出す。勉強する。カリカリと。勉強してると気分がよくなるのでテンションが上がる。日記を書く。テンション高くて見てられない文章になる。恥ずかしい。寝る。起きる。日記書く。もっとテンション高い。慣れてくる。感性が馬鹿になる。
 物凄い勉強ができて外国語が何カ国語も喋れて、少し前まで私の周りに密集していた、世界に出ても怯えたり騒いだりはしゃいだりしない種類の人たちって、ある意味感性を失っているようなところがあって、彼らの心はいつもハイテンションで、一直線の向上心に突き動かされている。
 彼らを戸惑わせたり絶望に追い込んだりする方法を私は知らない。
 彼らは梅雨の季節になっても、湿ってるとか、憂鬱だとか、洗濯物が乾かなくって困るとか、そういうことを想わないんだと思う。湿度が高い、日中もあまり明るくない、湿度が高くそのうえ雨が降ってくるものだから洗濯物を乾かしにくい、と思うだけだ。そしてなにゆえか「まあ、なんとかなる。」「大丈夫。」と言って笑っている。彼らや彼らの周りの人や、彼らを尊敬する私たちの仲間は、肝が据わってるとか、経験値の違いだ、とか、言うけれど、私はちょっとあいつら、心が壊れてるんじゃないの、と思ってしまう。
 彼らの向上心は一直線なのだ。脇目をふらずに。ちょっと体育会系?
 彼らはあんまり失敗しない。物凄い勉強ができて何カ国語も喋れるから職にも困らない。調理師免許と教員免許と運転免許とトーイック900点持ってるみたいなもんだ。まず食いっぱぐれることはない。
 それでも彼らは謙遜を忘れず、人を愛する。でも彼らはちょっと心がおかしいように見える。私から見たら。なにか全てプラスチック製だ。彼らは決められた暴挙にしか出られない。
 彼らは楕円形の輪っかの中でうろうろうろうろ。楕円形の南の端には出世なぞがあり、北の端には自己犠牲がある。南の端にいた彼らの何人かは北の端に歩いて行く。北の端にあるのは地雷撤去ボランティアや貧しい国への食糧物資供給など、いろんな善いことがそろっている。なるほど彼らは一世一代の大仕事、出家するくらいのつもりでそれらの中から選んで、素晴らしい集中力でそれに取り組む。しかしそれはあまりにも極端で、お決まりの、定番の自己犠牲で、自分の心で隅々まで探した自己犠牲のつぎ込みどころとは思えない。
 南の端に残った人たちは正しい演説をする。明るい仕事、前向きな事。それを一生懸命する。私はその下で働くかもしれない。でもどうも、あわないシリコンケースかぶせられたみたいにブカブカしてしまう。何のせいか知らないが、彼らと私では世界の見え方が違うのかと感じてしまう。彼らは空に近い山に屹立しているが、私たちは低い、どべっとした山に草を抜きながら這いまわっている、そういう感じがする。私から見れば頭の言い彼らの言ってることは随分うわっついている。絵空事ではないよ。彼らが言うやり方でやれば実現できるもの。けど、なんか、喉の途中で張り付いてる。何が違うのかと、違うなら直すよと分別面で言われても、困惑。上手く説明できないよ。
 一生懸命で正しいのは分かるんだが、あんなに揺らがない人間には、ものっすごく危機にさらされているものや、ものっすごく必要とされてるものや、もしくはものっすごく無視されてるものしか認識できないんじゃないかと思ってしまう。揺らぎ、脇に目を取られることで、初めて見つけられる、地味に困っている人や、取り除けない不安にさらされているものや、あったらつながりが取り戻せたり、もっとみんなが温かくなるんだ、というようなものだってあるんじゃないかと思う。
 私は向上心というものを「いいなあ」と思うけど、ぴんっと一直線でなくてもいいと思う。迷って、揺らいで、自分が正しいのかといつも疑い、芸術とも言えない、学問とも言えないようなものからも何かをつかみ取り、自分の息にしみこませて生きて行く。
 どんなデータも分析し尽くし、知り尽くしたように見える人にも、データ化されていない部分は分からないし、平野にも住まわず、山にも住まわず、崖の横にくっつけた小さな場所でもそもそと生活しているような者のことは知る由もない。そのもそっとした部分をまるで無視してるのに、そういう気もしないで生きて行くことは強さだ。賢さだ。賢いものにとっての普通だ。しかしやっぱり、彼らの長所を尊重しつつ、彼ら自信に補い、彼らを支え、彼らに支えられなければ、ほんとの意味で綿密な、進歩は望めないと思う。
 そしてわたしは最近ハイテンションだから妙に嫌な気分なのだ。そういう方向に走り出してしまうと、いろいろ分からなくなるから。そして自分が楕円形のなかをうろうろうろうろしていることも気付けなくなってしまうから。

1月31日 bitterly

 わりと女の子好みの恋愛をしてきたと思う。
 女の子と付き合っていると流行りの小説を書いてるみたいな気分になりました。
 意外と未練たらしい性質なので、今でも誰とも付き合わず、なんとなく彼女のことを思い出さないでもない。それでも三度目の春が来てしまう。ので、また公園に呼んでお話でもしようかと思う。
 激しく、苦々しく、敵意に満ちて辛辣に、あのころをまだ好きです。
 
 今日はそのことは関係ない女の子の誕生日だったんだけど、誕生日おめでとうって言ったらなんか思い出してしまって。別に二人が似てるってわけではないんだが、ちょっと感じるところがあって、近づき過ぎると苦くるしいです。素晴らしい日々だったほんとうに。それとは別に、ハッピーバースデー。
 今からは負けない。君らに生きざまを見せる。というか君に。あなたの好きだった地雷爆発しそうな童謡を入れ忘れたりしない。私は嫌いだけど。
 あー、なんかかなり王道な理由で寂しい。早く明日にならないか。


1月29日
 友人にディズニーランドに誘われたが断った。ごめんね。
 もう知ってる人も多いかもしれないが私はディズニーランドとかディズニーシーとか、よみうりランドとか、嫌いなんですう。
 そしていまは、お金のかかる遊びも、嫌いなんで(好きな人と行くカラオケは除く)!
 私はたぶん、一人でやる電子ゲームも嫌いなんです。みんなでやったら楽しいだろうけどね。つうか一人でやっても楽しいけど、あれは楽しいだけじゃないかな。
 私が喜ぶのは家に招くとか安いご飯一緒に食べようとか、ぶらんこしようとか、そういうお誘いです。あ、あと、たまには映画見に行こうとか。
 なんかやたら「!」を使う回数が増えてきたが、冬から春にうつりかわる時の妙なテンションのせいと思って許して下さい。

 私はもともと一人きりの人間なので、一人きりでも生きて行けるが、思い出がなくなったりしたら狂うだろうし、愛する人が死んだりしたら、葬式に行って絶望せざるをえないだろうし、愛する人が病気になったら、行って林檎を剥いてやらないではいられないだろう。愛する人が一緒に酒飲んでと電話してきたら土から身を起してでも酒瓶片手に出かけていくだろうし。
 要するにこれって、本当に一人きりにはなれないってことだと思う。そして愛する人をほんとに好きってことだろう。
 好きなんだけど、違うところが多すぎるから、ちょっとつっかかっちゃう。
 私が彼らを安心させたら、ぜんぶおいて謝りに行くから、そしたらあの日みたいに林檎を。

1月28日
 
 私は今、五人くらいの人の日記を定期的に読ませていただいている。
 一人は私に2週に一度メールで日記を送ってくれる。(満13歳)
 二人はこのホームぺージのリンクページでもおなじみ。にしまきさんとジャッキーさんの。これは毎日読ませていただいてます。
 もう一人、同い年の女の子の少人数にだけ公開してる日記。これは随分前、たぶん4年近く前からしばらく、ものっすごくべたべたして、はたから見れば、いやはたから見えないところでその関係は繰り広げられていたが、結構キケンなくらい仲良しだった女の子。いまはそんなに会わないしべたべたもしないが、結構仲良し。ソフトバンクにケータイを変えてからはけっこう電話をしている。
 などなど。
 私は当分新しい表現の場を設けることはないと思う。新しくブログ作るとか、こことは違うところで日記を書くとか。ここが好きなのです。まだはじめて半年とかなのに、このホームページには随分といろんな生きがいや、気付きを与えてもらった。感謝だ。
 ホームページを作ることを教えてくれた人と、支えてくれた人、みてくれる人、みんなに。これからもちょいちょい書きながら毎日頑張ろうと思います。

1月27日
 
 学校へ行くと、受験まっただ中の三年生がなんとも荒んだ空気をまとっていて一階が怖いです。
 中一の時のらいばるに電話して大学の進路を決めたって言って報告したら「あまえなんでそれなら中学の時○城学園なんかに移ったの!?」と言われた。うんほんとにそう思います。学費払えんのとか、色々言われたが、最後に「僕もそこ受けるよ。第一じゃないけど。」と言っていた。おお!絶対受かれよとか言っていた。「あんた東大に推薦入学するとか変なこと言ってなかった?」と思い出して言ったら「恥ずかしいからやめて。」と笑っていた。第一志望は東京大学だそうだ。さすが。
 やっぱ受験にはらいばるが居ないとな。うむ。
 中一の時のテストだと一番を二人で奪い合うことになるが大学受験は二人で合格することができるっていうのがまた一味違っていいね!と言っても彼はバリバリ受験校の人なのでものすごく私が遅れてるってことは確かだが、私が寝てたり遊んだりしてた時間も彼は朝七時から学校で自習の授業してたんだからそりゃそうだー。
 アイポッドクラシック買えるだけのお金がたまったから買おうと思う。ってことも報告したら羨ましがってた。彼のはシャッフルで、容量が足りないらしい。
 私のことをまだらいばると思ってくれているらしくて、おまえは学歴なんて気にしない方の職業に就くのかと思ってたけどまた学校内で会えるかもしれないね、と喜んでくれた。それは嬉しかったんだけど、なんかあまりにも喜んでくれて、が、が、が、が、頑張らなきゃ…って思いました。
 大学受からなかったら一年お金稼ぎながら浪人してそれで受からなかったら本気でどんなチャンスにも縋りついて仕事しよう。
 こういうの書くのはがらじゃないんだけど夜明けまで電話して電話代物凄いことになって、とても楽しかったから、書いてしまった。久しぶりに息を吸って話した。私とその男の子は学校で競っていたけど、もっと遠い将来へ向けて、あの時は小さな競争をしてたにすぎないのかもしれない。これからもずっと競い続けられるのなら嬉しいことだ。
 私が大学に受からなくて就職しても、その仕事を極めれば、彼は私を軽蔑しないという。昔からそう言っていた。世の中にはいろんな仕事があって、それぞれの人がその仕事や勉強を、愛し、死なないで本気になってれば、ぼくはこの社会をこんなに軽蔑しはしないと言っていた。
 彼と机を並べて勉強した頃のように、今日からは窓を開けて、寒空を見上げながら勉強しようと思う。「お前死んだら殺すから」と言っておるのだ彼は。うむ。死なない。
 人間同士の付き合いと思い出っていうのはホントに素晴らしいと思う。勉学への向上心を思い出せ。
 彼にこのホームページを教えられないことは言うまでもない。そのうちに教える。
 ああ!僕の人生はこれからだ!

1月26日 高学歴ほしい

 がんばります。勉強します。と、そのことばっかり考えてたら書くことがないのです。すいません。
 大学の奨学金について学校の先生と相談しようと思う。もらえるもんはもらっとけ的な。
 私の通ってる高校はケチくさいんですよ。私立校の癖に役所くらい融通がきかないんですよ。奨学金出せよー。と校長に会うたびに言おうと思うんだが校長はちょっと見た目が怖いので思ってるだけです。まじで奨学金だせよ。補助金だせよう。


1月25日 ぼくだけが他の人と違う

 ぼくだけが他の人とちがうと言い張るのはそろそろやめだ。その言い方はよくない。ぼくは他の人と違うもの持ってる。ということにしない?とかなんかわかったような顔して小学生に話していたら「いやだよぼく。」と言われて感激する。いやだね。たしかに。そりゃあいやだろうよ。「じゃあ私はそういうことにする。」と言ったら「それもいいんじゃね?」と肉まんにかじりつきながら言っていた。自分より年下の子供が屋外に出た時に発揮する面白さに惚れてしまう。子供はかっこいい。大人は何かと疲れてるから付き合う方も疲れるで。大人はでかくて嫌な欲を持ってるし、思わないし、眠りたがるし、積んできたものにばかり気を配るし。
 何も積んでいないことに気を配る年齢と、積んできたものに気を配る年齢の間で、妙にすっきりとした言葉の使い方をする子供がちょっとだけいる。そういうのを恋人にしたい。いろいろな問題があるが。恋人と言えば…て、なんかここで楽しい話でもあればいいんだが、あいにく全然楽しくないのでお話ししない。
 なんかこう、さ、妙に心が広いのも、男は良いけど女はだめかもなあ。女には女の心の狭さがあって、そういう変なところで歪んでる浴槽が私は嫌いで、どうもその凹凸のせいでトラブルしか起きなくて、でも女は「雨降って地固まる!」をいつも期待していて、少女漫画ああああああ、て思いますが、今は携帯小説ううううう、てのもあって、どうでもいいんだが、心の広すぎる大河のような女は不気味らしいですね。女の子かわいいけどどこか悪ふざけ的な事が好きだからなあ。それも結構踏み外しちゃいけないところで悪ふざけするのが好きなんだよね。ホームで男の子突き飛ばすみたいな。そしてたまに事故るわけです。女の子がする噂話なんて全てがなんか江國香織風だよ。まあもう女の子の話はやめですわ。
 なんか江國香織馬鹿にしたみたいなこと書いてますけど、江國香織結構好きだったし読んでたのです。でも私はいつもはまるってことはあっても中毒になったり「えくにかおり命!」とかいう状態にはならないので、いつも対象と距離を置いて鑑賞してるので、別にあれが女の子のぐだぐだだったんだと今気付いても、あんなの読んで、時間の無駄だったわ、とか思わないです。江國香織はかわいらしいんだ、と思うだけであります。
 今にムキになって昔のことを後悔するなんて、やだなあと思う。そう静かな延長線上に居るんだからね。色んなもの引きいれ、また除きながら、大きくなったんだもんな。いまさら自分の発言の不出来さ以外に何を恥ずかしがることあるだろうか。場をぶち壊したあの言葉や例の言葉にはいつになっても赤面ですが。
 最近更新してなかったのは評論の宿題の代筆をいくつか頼まれたからです。ははは。進級にかかわるとか言ってたので書いてあげました。結構うまく行ったのもあればまだいけそうなのもあり、結構面白かったです。人の名前使ってると色んな書き方とかチャレンジするので途中で詰まったり、面白い。ということが分かっただけで私の評論に費やした時間は有意義だった。なんかこのホームページ開いてから初めて有意義ってことば使った気がする。恐ろしい。
 けど、有意義ってけっこう大変な言葉だと思うのです。なかなか有意義だなんて、言いきれませんわ。更新滞りすみません。
 あと「夕帰り」の横に季節を入れました。明日になったら消すかもしれませんがちょっとお洒落だとか思う。しかし何事もお洒落だとか言い始めると腐敗し始める気もする。おしゃれは別に最後でいいんだ本当は。
 お金が入ったので参考書一冊買いました。日本史を始めよかと思う。来週月曜日はお友達のお家のりっぱだと噂のソファーを見せてもらいます。前々から気になっていたのです。

 学歴を自慢して黙らせることができるのは大人だけで、子供はんなこと知らん。辟易するだけ。「へーすごいねー」と遠くから眺めるだけ。
 学歴を自慢して素直になってもらえるのは保護者だけ。子供はんなことしらねー。「だから?」と思うだけ。子供は「学歴なんてあってもクソなやつなんてわんさといるんだ」と、そういうことを考えるのが以外と好き。自己満的学歴の自慢は自らの心にいつか深い傷を残す。いつの日かまるっきり無視される日だって来るかもしれないんだ。
 たまに「この人に慶応卒って言う学歴がなかったことにしてみたらどうなるかな。」と思うことがある。丸腰でぶらぶらしてる高校時代にもどしてから、その人が学歴以外のどんな方法で自信を作るのか、見てみたい。それとも自身は学歴抜きで作れないのか?大人になるとそうなのか?

 程度の低い大学と言われて実態も割と程度の低い大学に、通っている大学生が、ものすごく自信がなくてくそやろうな部分にあふれていることってのは多々ある。まずそういう人はやる気がない。今から何やっても無駄って意識にとらわれている。何かとルックスやこれまでの経験のせいにする。
 たしかにそういう人は多い。
 だけど、環境がすべてじゃない。と、思ってそういう人は勉強しなかったり、十分に勉強しなかったり、勉強したけど低い偏差値の学校にしか受からないようにしたんじゃないのか。それじゃなかったらなんなんだ。どーでもいー、と思ったのかい。それはちょっと救いようがないかな。いや、救いようのない人間なんていないんだと思うけど、まるでよいことを言うみたいだけど、大学はお金を稼げば何回でもはいれるし、人生はいつでもやり直せるはず。
 まだ三十にもならないうちから毎日ガラスの置物みたいになまったりひえたりしてぼおっとして、食べて、別に変わる気もなく覚悟もなく「このままじゃやばーい」とか思ってまた明日が来るような生活をしている人たちは、長生きするにしても早死にするにしても時間の無駄遣い過ぎる。子供ができたらココしばらくの年月のことを、どう語ってやるんだか。遠い昔少年だった時のことばかり話すんだろうか、ちょうどあなたが今子供らに会ったら懐かしいような顔をしてお話しするように。あのときは、あのくらいのときは、って。
 だらしない人たち、あなたはあたかも昔の自分を懐かしみ、愛しているような顔をしてるが、どんどんその頃の輝きを殺しながら年をとっている。昔の自分の誇らしさを一つ一つ曇らせながらおじさんおばさんになる。
 親は死ぬし兄弟も死ぬ。友達も死ぬ。なんであなたはそれがわかってるだろ。なのにゆっくり生きていく。親や兄弟や友人に悪影響を与えながら。周りが同じ温度でいてくれるのを心地よく思いながら。
 「かけがえのない命なんだぜー」とかいう歌を聴いてるのに、「かけがえのない命なんだぜ―」ってこと分かってなーいんですね。
 もっと動いて、誰かのためになれ。もっと動いて人を笑わせればいい。できないなら一人きりになればいい。だらしない姿さらすくらいなら、だらしないひと広場に行けばいい。そこではみんなだらしなくて、どーでもいいーが口癖で、犯罪も犯罪なんて呼ばないような場所で、きっと嫌になっちまうさ。息も詰まるさ。そして誰かはそこで、しっかりしようの演説をやるんだ。自分もだらしなかったくせにね。だらしない広場にできただらしない国はだんだんしっかりしてきて、そしたらこっちにもどってきなよ。
 低学歴ってだけで諦めんな。仕事なんていくらでもあるよ。親元離れて田舎に行くのがそんなに苦しく悲しく悲鳴を上げる様な地獄絵図だろうか。ねえやまざきさん、なんでそんなこだわるのか私にはわからん。田舎で雇ってくれるって言うんなら行けばいいのに。あんたどんどん死んで行くぜ。

1月24日 脳充血

 「脳充血」という語は工藤語かと思っていたら小池友七作詞、小山作之助作曲の「寄宿舎の古釣瓶」という歌の歌詞に同じのがあるよと大学生に教わった。大学生はやっぱ色々知ってるのです。
 岩波文庫の「日本唱歌集」にも収録されています。

 寄宿舎の古釣瓶 小池友七
 一、
   繩こそ朽ちたれ この古つるべ
   桶こそいためれ この古つるべ
   学期試験の準備につとめし
   幾千の学生が脳充血を
   冷やして癒さん氷となりぬ
   彼等が事業を助けん為に
   雨の日雪の日つるべのなわの
   休まる時なく汲まれしつるべ
   屋根もる月こそ昔を知らめ

 二、
   箍こそはねたれ この古つるべ
   苔こそむしたれ この古つるべ
   運動会の 競技にきおいし
   幾そのチャンピオンが背中の汗を
   洗いて落さん浴湯となりぬ
   彼等が元気を回さん為に
   夏の日冬の日轆轤(ろくろ)の音の
   絶えにし暇なく汲まれしつるべ
   軒ふく風こそ昔を知らめ

 最近の音楽に飽きたら古い歌も聴いてみてください。結構素敵なのあります。あと、岩波の「日本唱歌集」は面白いです。詩が綺麗です。しかしようつべで調べようとするとミクに歌わせてたりしてたまにげんなりする。 


1月23日
 
 自転車が崩壊しそうでひやひやしてたけど先輩が直してくれて助かりました。ほんっとありがと。ブレーキも締めなおしてくれてありがと。
 22日我が高校は入試休みでありました。が、私は間違えて学校に行ってしまいました。なんか英語科の教師にめっちゃ怒られた。別に新入生の試験の邪魔もしていないのに。つか校舎の中に入ってすらいないのに。馬鹿ってめっちゃ言われたぞ。別にいいけど。萎える。
 午後は英検の勉強をしていた。
 24日、
 敷きっぱなしの布団の上で、図書館でずっと前に予約してたのがやっと順番回ってきた早稲田と慶応と立教のいろんな学部の赤本を解く。かなり遅かりし感漂うタイミングだが、しっかり難しいから問題ない。
 
 病床六尺(正岡子規)を買った。読んだことない。暇の時に読む。
 友人に頼まれていたので宮沢賢治の短編(岩波の)も買う。弟に「読む?」って勧めてみるが即答で断られる。「読む?」「や」
 弟は本を読まない人なのです。つまんない。岩波文庫ってかわゆいですよな。パラフィン紙時代も帯の色が楽しくて好きである。お金があったら岩波文庫の本棚作って全部並べたい。ちょう儲かってない感じのぼろい本屋で、「岩波文庫全部ください!」って言いたいなあ。ってなことをお金持だった頃にはよく行ってたが、別に今は、………いや、やっぱほしいです。でもちょう儲かってない本屋でとか言ってる所が、ものすごい偉そうで嫌な金持ち娘だなあ。いやだいやだ。ちょっとずつ読みたいものを買えばよい。借りればよい。立ち読みすればよい。
 本は安く売ってる所見つけるまで待てばそれなりに安く買えるから助かる。好きだ。食費より本にお金をかける生活に戻るんじゃないかと思うほどまた本を読み始めています。勉強しろ。だ。ちなみに私の食費はひと月三十日一日三食で二万くらいだけど、ちょっと我が家では肉を食べすぎなので私が全部メニュー考えられるならもうちと安くなるだろう。うむ。
 本を読みたいあまり拒食症になるんじゃないかとか本気で心配してくれる友達が好きだ。思われてるほど読んでません。

グーグルで「特殊清掃」って検索したら、自分は何も知らずに楽に生きてきたんだと気付いた。一人で風呂に入れない。一人で入るしかないけど。

1月23日 やっぱなんかちがう
 
 25日は小論提出。課題本は「死なないでいる理由」鷲田清一著。
 どうしよう私にはいま書きたいことがない。現在24日夜七時半。一文字も書けません。
 私は考え過ぎて、せっかくの快晴をだめにした。羽生さんの将棋を見るしかない。
 ほんとにどうするかなあ。夜だから出掛けたい。もう怒られてもいいから出掛けようと思います。人生五十年は長い。
 一緒に行きたい人が多くいる。
 クリスマスに「クリスマスには幸せを分け合うともっと幸せになれますというお話をしたいのですがココをあけていただけませんか」って文句で教会からやって来た髪の長いおばさんを寂しさまぎれに家に入れてあげたら住みついちゃって、幸せを分け合ってるような感じで、今日なんか洗濯をしてくれた。お風呂場で洗剤の箱を持って、「使いきっちゃったんですけど、新しいのってあります?」って笑っていた。もうこの家には何もないのですが、私はここのところちょっと、勤勉勤労の幸せをおぼえたと思う。
 なんでこうも結局だめなのか。もう人間として終わってるレベル。なんでだなんでだなんでなんでなんでなんでなんでだ!
 今週は医者に行って、貧血を治し、血圧を上げて、普通に暮らせるようにします。さすがに家族に気付かれるレベルになってきたので治します。反省。
 部屋に21日の新聞が広げたままだ。今日銀行のカードを作るための手続きをした。色々のためにこつこつ貯めんと。人生無計画化進む。不安はない。はっきりいってこれしきのこと、なんでもない。
 特別頭がよくないと、集団生活ってのは楽しめないんじゃなかろうかとか、最近よく思います。特別頭がよくないと人と話なんてできないんじゃないかと思います。本当に話をするんなら。私はかなり、ここ数日真面目なようです。ほんとにもうしわけない。楽しく過ごします。

英検終了。これで受からなかったらこんどは二級すっ飛ばして準一級受けるぞ。
作文提出やらなんやらで忙しくって、全然更新できずごめんなさい。学校から帰ったら更新します。行って来ます。

1月22日  
心にようやく快晴くる。
やりたいことをやれない時、いろんな道筋を考えて、ようやく無限にある道筋のなかからたどっていけそうな道を見つける。遠回りで一筋縄ではいかないだろうが、自分の理想や夢、目標が社会や大人や世の中で認められる道を見つける。そうなったらそこが私が私を残したまま唯一生きていける場所なのだから、やるしかない。行くしかない。
厄介な道だとしても、これができるんだという時の喜びは他のものとは比べ物にならない。


 


トップ  プロフィール  リンク集




戻る

 
inserted by FC2 system