夕帰りの子供たち 平成22年12月26日から平成23年1月12日までの日記
 


1月12日 才能の先がけベジタブル

 私は再びどっきゅんする。今日作文集が学校で配られたら、大好きな子の作文が結構好きでどっきゅんする。彼女は間違っても私の作文を好きとか言わないだろうが、私は結構好き。最初はつまんなくて真ん中少し面白くてまとめの一文だけものすごい私の好みって言うとまた嫌われるんだろうけど。やっぱみんな文章うまいなあ。怖い怖い。
 
 最近は師匠の日記の過去ログの公開されていなかったやつがついに公開されたので寝食忘れて読みあさっている。
 父が一時間に五本のペースで家の電話を鳴らしやがるのでノイローゼになりかけ。ボー。父が私のことを一年ぶりくらいになっちゃんって呼ぶ。ボー。 
 
私:「……もしもし。」
父:「もしもし…やあなっちゃん、今週の土日はお父さんとおじいちゃんのお見まいに行くから予定を空けなさいね。」
私:「申し訳ないけどその日は試験があります。ほかの日に弟と二人で行きますから。」
父:「早くいかないと、手術が失敗したら会うのは葬式だぞ!」※通話始まって十秒かそこら。早くも怒鳴り始める。
私:「普通葬式とか言うか。」
父:「てめーホントにお母さんに似てきたな!焼きいれたろか!」
私:「えー…」
父:「電話だからって堂々としているね。うんうん。これは命の問題なんだよ。」
私:「はい。」
父:「だいたいお父さんは普通じゃない。」
私:「ああ、そうでした。って、何がですか。」
父:「お父さんにもいろいろあるんだ。お前にはまだわからない。いつか教えてやる。」
私:「……築地に引っ越すのはどうなったんですか。あの光るビル。いい車!」
父:「この家を処分するのがめんどくさい。」
私:「ふーん…そうか。てっきり今度こそ引っ越すのかと。そうかそうか。」
父:「土日は空けなさい。」
私:「無理ですよ。今週は。来週の土曜の午前中なら空いてます。」
父:「精神科の受付嬢じゃないんだからお父さんにあわせなさい。」
私:「あなたの目覚まし時計じゃないんですよ私は。」
父:「兎に角空けなさい!……ガシャッ(電話切れる。)」
私:「……チッ…ったく横暴だぜ。所轄をなんだと思ってやがるんでぃ。」
母:「ただいまー!…二人とも!寒いわねえ寒いわねえ。ちょっと、なっちゃん、こっちに来てこの荷物を持ってって!」
私:「一難去ってまた一難。泣きっ面に蜂。犬も歩けば棒に当たる。臥薪嘗胆。お母さん今行きます。」
弟:「お母さん!僕今日学校に行かなかった!」
母:「えッ…あんた…あんたいい加減にしなさいよ。おかあさんはねえ…おかあさんは…」
弟:「た、助けてきゃーなっちゃん。」
私:「関係ない。まとわりつくな腰をつかむな。お前も言わずにおけばよいものを!」
母:「なっちゃん、この牛乳を冷蔵庫に入れて。そして昨日買ってきた野菜ジュースをグラスに注いでもってきて、ね?」
私:「はーいただいまあー(てめーでやれっ!)」
母:「そういえばまたあの人(お父さん)電話かけてきたかしら。」
私:「んー?いや?かけてきませんよ。弟よ、君が学校をさぼってる間に誰かかけてきたかい。」
弟:「ガールフレンドがかけてきたよ。」
私:「ああそうかい。奪うぞ。」
弟:「なっちゃんきもちわるーい。きもいきもいきもいきもい。そういえばさっきお父となっちゃんしゃべってたよね。」
私:「いや、ボーイフレンドだから。ハハッ…いや、やっぱいまの取り消しで。」
母の殺気を後ろに感じる。もはや誰に対して何に対してお怒りなのか分からない。
私の家族は平面です。

1月12日 朝靄豚が出てくる人が出てくる
 
 もう昨日までのような苦ーい幼ーいことを書くのはしばらく休みだ。いまアイスクリイムを買ってくるからねと家で待つ子を座らせる冬の午後四時半。子供は白い軟い腕を伸ばして、炬燵のコンセントを力こめて押しこむ。野麦峠を思い出すとあなた、切なくならないか。
 私は常に学ばねば生きていけない。毎日悪意を込めて書くことは子供の叫び声でしかない。デートしよう。ずっと囲っておくからね。うむ。
さみしいねるほんがない。

心をまとめる鉛筆とがらす
空気をまとめる瞳をとがらす

1月11日 乗り越える
 
 脳死になったら困る。
 親族にべたべた触られると困る。嫌いな女の子や男の子にべたべた触られると困る。
 僕たち兄弟は死ぬなら木っ端みじんになりたいです。
どうして私と弟は小さいころから暇があれば、一番痛くなくて後に残らない死に方のことばかり話し合っている。そういうときはものすごく仲が良い。美しくないとお思いだろうが、美しくないけどなにより真実なんだから仕方ない。弟と私は互いに遺書だ。
 一緒に死んだらどうなるかということは考えぬ。お互いにそういうことは嫌いなんだ。いま初めて、殺し合うという可能性を考えた。でもそれってちょっと、両親に対する女の子の悪ふざけ的臭気を放っている。割と一般人なのである程度血なまぐさければ自覚なく楽しめるところが恐ろしい。しってるかいこういうのを煮詰めた中二病というんだよ。
 まったく世の中羨ましいことばかりだぜ。すべての人と他人だったら。常に朝パンを買いに行くような気持で、頭の回転は倍になるだろう。私は生まれてからずっと東京にいる。思い出の五駅となりに住んでいる。住んでいる。住んでいる。
 今日、歯医者に行った帰りに真っ暗で、本屋に寄って自転車にまたがりまっすぐで何もない道を急いで漕いでいるんだけど私はなんで漕ぐんだろう。夜は寒いけどとても優しく、広い。狭い場所に入ることは言葉が濁ることを意味している。私は言葉を濁し濁され、どこが真実か分からなくなる。母は酷い人だ。きれいな人だ。私は母をどうでもいいと思ってしまう。家に帰ってこなくていいと言われたら悪いけど二度と戻らないだろう。弟とも別れだ。我々は同じ過ぎるから、今は別れなければならない。
 嫌になる。嫌になる。嫌になる。私はできるだけ広い世界のことを考える。青森の旅館まで広がって、世界は途切れる。するとまた暗い湿った日本の冬が下りてくる。膜のように。黴の壁のように。キャッチーな合言葉がほしい。
 私は今、そこそこ大胆になりすぎている。気が付いたらツタヤの階段を力の限り蹴りつけていた。神様は酷いことする。
 朝の連続テレビ小説の主人公が言っていたんだ。「神様は酷いことする。」って。私は毎朝お好み焼きを見るのにそろそろ疲れて、「ゲゲゲのほうがいい。」って、一人の食卓で笑っていたんだ。家族がみんな蒸発した朝に。狂い蝉が叫んだ朝に。刹那を説いた地獄の朝に。ママが僕を捨ててパパが僕をおかした日に(これ初めて人が歌ってんの聞いた時は引きつったよ)。
 私は死んだりしない。絶対に。放水。

放哉
 
思うに私は一度廃人みたいな生活を味わって一人きりで、遠くにいる人に甘えて、でも彼らには会いに行くことも手紙を送ることも仕送りをすることもされることもしないで、死にたい死にたい死にたい情けない、そう思うばかりで一年たったらちゃんとして、今度はちゃんと玄関に座り込んだりしないで生きていけばいいのだろう。「ああ、よく死んだ!」みたいなかんじで。「すっきり!」って。ひとりにしてほしい。幼稚な願いだ。静養とかしてみたい。奥さまは別荘でご静養中でございます。はおー 。スカイプマイクとカメラを貢いでおくれ。と言ってみたいだけだ。

1月11日 国語のB欄万能感
 
 国語の便らんが配られました。これから歯を削りに行きます。はっきり言ってもう金がねえ。歯を削るのに金銭がいるとは…悪い国だよここは。悪い国だよここは。
 昨日は色々とびっくりなことを書きましたが、実際そんなにそういうことについて気にしてるわけではないのです。今日帰り道を一人で歩いているときはそう思いました。そう。毎日気分が変わる。考え方も変わる。どんなことでも感じる。昨日と同じことを考えてる暇はない。熟さないわけだ。落ち着きがないってわけだ。なのにどうしよう。日記を書いている時には未来の自分に書いておきたいことがたくさんある。未来っていつだ。明日死ぬかもしれないのに。それにしたって少しは最期の気分のために。日々許されない将来について話すのはもううんざりだ。出掛けるならついて行く。別れるかもしれないけど。
 学校が午前でおわって勉強しようとしてなぜか男の子と二人でカラオケ。しかも4時間。まあそれもあってお金がないんだが。自業自得か。成城の高級な男の子の前でカリガリとかムックとかユニコーンとか中村一義とか歌う。はっはっは俺は本物。※私がこうやって歌えるのは同級生の前でだけという噂もある。
 歌う曲がなくならない自分に成長を感じる。
 べつにいいけどこのホームページ始めてからずっと一緒に遊んだ人をまるで無視するような日記を書いている。誰も印象的なことを喋らないせいでもある。だが私は少し落ち着きを取り戻すべき。みんなの「そうだねそうねえうんだよねーだねそうかもねー…」そういう言葉の一つ一つを覚えておくべきなの(か?)。ひまじゃない。だがしかし…そういうことが必要なんだろう彼らの成績維持とストレス軽減や定期的の脳のしわを広げて風を通すことのために。しかしもはや私にはそのどれも必要じゃないんで。そもそも成績とか言ってるから成績ってものができたわけで、ストレスって言葉を使わなかったらストレスなんてないし、脳のしわとかいわなきゃ脳にしわなんかできない。…なんかいろいろ、ご心配なく。
 どうして私ほどかつて勉強のできた人が進学校じゃない授業料のたくさんかかる学校にいるんだよ。最悪だ。しかしまあ進学校でもなんでやって感じの大学へ行く人もいるしな。別に人の学歴なんて、気にしないけど、自分のはするよ。ほんとに他人の学歴なんてどうでもいいんだ。ただ学歴について災難に会ってる時にみんながみんなどこの大学受けるんだって聞くから思わず使いもしない借金をしちゃいそうです。金の問題だけど金の問題じゃなんだ。だからもういいんだよ。親戚に会ってた私の時間と命と金と笑顔が無駄だった。
 全部お父さんのせいだ。怨んでる。憎んでる。でももういいよ。遅いんだ。自分で何とかするしかないよ。もうお父さんの言うことなんて何一つきかないぞ。嘘だけど。いざとなったら滋賀県で日本酒作るから、もういいんだ。でもたぶんもう誰の世話にもならないでいくよ。世話になった人の親にお礼をするよ。
 育ててくれたことは感謝してる。けどさよなら。高校卒業とともにあんたらとはさよならだ。こんなところで腐るのは嫌だ。もっと生きたい。笑う。
 あとひと月もないです受験まで。嘘です。来年です。国立は諦めたのではなく先送りしました。自分なりのけじめです。それとお父さんにはもう一銭も出してもらいません。さよならです。幸せになれないとしても。
 ひとつ言えることは、大学へは数年のうちはいかないかもしれない。でも勉強することをやめてクズになり下がるようなことはしない。
 数年と言ってるうちに数十年たつかもしれない。でももう二度と金のことで貧しくなんてなりたくない。生きてて良かったといつか思うよ。これからどんどん文章も何も書けなくなっていって捨ててしまったとしても、今日や昨日、一昨日、日記を楽しんで書いていた時のことを一生忘れない。宝だ。
 出来ないことなら今死ぬ。はみ出して軽蔑されるのもどうでもいい。だって彼らみんな私のことをだましたんだ。だからこれでいいんだ。初めて自分の思うように生きるって。
 「死んでもいいんだよ」っていうのは魔の言葉。
 やまゆりに会いたい。会いたいというよりは見ていたい。

1月10日 夜の順子
 
 箱根へ行くお金はどこから出たんだろうと考えると血が見たくて夜も眠れません。もう二日起きてるのに、おさまりきらないんです。罪も犯して何ものにもなりきれないで死ぬのは嫌だ。私は負け続けても心を捨てられる。そういうことを考えてたら朝方電信柱にもたれて目覚めました。声もなく。富士に雪が降ったのだ。視界が柔らかく滲む。いつだってあの一文に泣かされる。
 夜の順子に関しては図表でチェックしてください。
 ああ幹にしがみついて嗚咽を漏らすような気分で新学期が来る。せんせい、私は机といすの間に挟まっていられない。ヨ。
 あーあーあーあーあーもういいよやめようこんな正真正銘まねごとは。しかもヘタ。別にまねとかじゃねえし。こっちにも色々あるんだよ。…読むと抜けなくなっちまうんだよ。読むと抜けなくなっちゃうっていうのはたぶん真似が上手って言うのとは違うよ。距離が違うよ。
 ああ、どんなときも沈んだりしない顔で、青々とした木に登って白いシャツ、擦り切れたジーパン、下着とか着ないで半袖シャツの袖から風が入り込んでくるのを気持ちいいなって思いながら髪の毛を触って、ふさわしいことばを使おう。
 あからさまに寂しがったり掻きむしったりしないで、刹那でなくて良いもしも男なら。もしも完全なる女でも。それか家族がいなければ。青い季節はもっと…綺麗事なんかじゃないってば。
 先生のこと好きですよ僕はとか言い続けていたい。誰もそこにいなくても、一人でも、そう今よりもっとふさわしい言葉で。
 私は言い続ける。そうですかそうですかそうですね。そういやそうかもしれない。そうそう。はい。知ってます。分かってます。羨ましいです。私なんか死ねばいい。僕になる。そしたらいつまでもどんなことがあっても、ふさわしい言葉で、体と心にほんとにピタッと合ってる言葉で、会うたび会わないたび言うことがある。本当に生きてる言葉だ。
 だから、そのまえに家族を虐殺、自分を……つぁー!だめだなー…これを始めるとかなり非人道的なことになるんですよ。このまま行くしかないよ。それなりに何時だって使える言葉はあるんだから。
 
ピーエス、私に進路のことをきくでない。誰にも言えない理由がないわけじゃないんだ。ただちょっと色々と特殊なんだよー。←逃げ

 全部嘘かもね。
 どうして私が死にたいとかこんな世界っとか書けても言えないのか分からない。ほんとはわかってる。それってたぶん「大好き素敵だから生きている。」ていうのが動脈だとしたら前者は静脈で、ちょっと心臓にきまり悪いんだよ。
 フッ…もてるやつはこういうことを書くんだぜ。
 ありえんって。血を吐く思いでなまけてるんだ。
 もういい加減にしろ自分。明るい言葉を綺麗に遊ぶ女のこの日記を読むたびにレキシ。轢死。僕はもう何も分からない。昨日の僕は今日いない。愛しても愛し返してはくれないってそういうもんなんだね。そういうもんなんだって。ほんとだめだ。うるさい。だまれ。分かるものかお前なんかに。
 そう、私はいつも言いたい。「わかるものかお前なんかに」「だまれ」
 チューハイ缶投げ捨てて噛みしめる言葉は、「分かってください」。
 
 土木や私の本気の作品、生きる努力、さびれないで考え続けることが、何が悪い。お前ら貴族が、ペーパーワークが、ネクタイとスーツ、デジタルパーマやブルジョアを鼻にかけるブルジョアが、東大卒の学歴夫婦が、てめえ…なんぼのもんだ。「小さいころから大変で、気持ちも分かるけど、あなたもどうにかし…」「おばさまになにがお分かりになります。どうにかする?お分かりでない。ほんとうに。」だまれ。わかってください。

1月9日 性癖

 人生には何年間かもてる時期があるんだと聞くよ。甘えてはいけない甘えては。なにを言いたいかっていうとね、弄びかたが分からなきゃ私にはこの状況はちっとも楽しくなんてないんだと言うことだよ。女の子の方が好きだし。あはは。
 私は女の子の悪ふざけを憎んでいる。しかしあっちも私のことを憎むんなら良いのに、あっちは私のことを軽蔑してると言う。なんという屈辱。だから私は夜這いで彼女の部屋の窓に上って、いい足してるねとか下劣な事を言う。ちっともどきどきしない。そんな趣味なんかないからだ。女の子が悪い。
 男の子ならよかった。あ、これは禁句だ。
 泣くということと、男の子ならよかったのにとこぼすこと、これはあんまりやっちゃいけない。その瞬間ブチッと切れてしまうよ。これまで言葉をつんで考えたことと思ったことすべて。
 私は幼稚に確信したふりをしている。彼にあって私になくて、素晴らしい彼とどうしようもない私の、その違いを決定づけているもの、それは自分の性別を受け入れているか否かという、それだけであると。それだけっちゅうことはないけど、そこから派生するいろんなもののせいで私はこの膜を破れないで、いや、そういう意味じゃないから。あーもうさいあく。だからこういうのは禁句だって言ってんじゃんか。ハハハ。
 好きだけど殴って「お前女の子とお付き合いせずに人生やり直してみてください。」と懇願したい。そんなことはくだらなくて禁句なんだ。禁じられてるんだよ。わかるかい。なんで私が男の子じゃないんだろうって、ほんと、ほんとに思わない?もっと色んなことが言えたし出来たし、もっとほんとに正しいことになっていたのに。台本が書けたら。あの子が遊びに来てくれたら。あの子が許してくれたら。あの子が来てくれなくても明日は男の子になれたら。
 私の幸せはあなたの半分だ。
 僕をステージに胸倉掴んで押しつけて上履きの足で何もかも踏みつけて死ねって罵ってくれ。今だ今だ今だ今だ!!!今だって時にいつもおまえはいない。
 おじいちゃんごめんね。ほんとごめん。
 殺せ…殺してくれ。僕は無敵だったんだ。泣きもしなかったんだ。それが強烈に主張するプライドと両性のせいで死と闘ってるんだ。いやそれ以上。だけどホープは。
 でもだってわかるかいでもこれこそ、一番美しい季節が無駄になっていくっていう感覚さ。私は考えちゃうから知ってるんだよ。実感として肌に感じるんだよ。おじいちゃんごめんね。

 だめだわ殺してよ。だめだわだめだわだめだわだめだわ。
 雪の中で霜柱を渾身込めて抉り散らし、くだらない予定を作ってから私は思った。
「この一日。この金。この命……全部を無駄に使うことになる…。」
 とりあえずどこまでもわたしはだめなんだと分かった。とりあえず勉強をして書けと言われたものを書かなければと思った。最後の望みも最初の望みも望みでしかない。
 ああ馬鹿だ馬鹿だ無知だ無知だ、酷い日だ。恥ずべき殺意の日だ。
 命のことをわたしは考える。
 十二歳から濃い部分から薄い部分へ浮かび上がってきた。卵の黄身と白身くらい違う色と濃さ。日々に注ぐ熱いお湯の感覚。真夜中の共感と不信。年中祭りをやってるような私の孤独。死にたい。若いということを思い知らされて指先まで緑に水を湛えてのびのびしている。そうだから、若いから。死にたいが見える。
 せめて弟が三人、妹が二人いてくれたなら、役に立たない兄貴の一人でもいてくれたなら!私はこんなに自分のことを考えなかった。今までとは違うけど、今までと同じように。
 なぜ人を殺してはいけないのかという問いは、なるほどたしかに彼を殺そうと考えてる人の言うことではないかもしれない。人を殺してからアイスクリーム食べて一服はおかしい。たしかに!しかしどうかな忘れてはいけないよね。私たちは変なんで。普通じゃない。お前なんか殺してたら時間の無駄だよ。というのは確かに本当は人を殺さない奴の言うことかもしれない。ただみんなと同じ物差しで測られたら湾曲は入らないんだ。
 首を絞めるとかそういう生ぬるいのは好きな人にしかやってほしくない。けど自虐的な目をしてやるなよ。弟をいじめるお母さんに見てもらえないお兄ちゃんみたいな目をして私の首を絞めるな。甘美な震えに酔うんじゃない。そいつは単なる暴力への快感にかなり似ている。
 長剣で突き刺してほしい。
 痛いんだろうなあ。肉が。ほんと、死にたいとか言うやつは死ねばいいって、そりゃそうだよ。そりゃそうだ。でもわからないじゃないかよ。なにも。まだいける場所があるはずなんだよ。この脆弱な精神。死ぬべきはこの精神だよ。五年たったのにまだサンショウウオの幻影が見える。

ふつうに飲みすぎちゃったということは内緒だ。禁じられた遊びをしてしまったことは内緒だ。一応言っておくと私が「ふつう」とか使い始めるとそうとうどーでもいい気分なのです。 
 
 馬鹿みたいに忙しいのに一日だけ仕事もなくて人もいなくて本もなくて言いたいこともなくて、義務もノルマもない、そうなっちゃうと目が虚ろ。私はたぶん箱根に行ったら、温泉がどれだけ素敵なものか忘れるだろう。そしてなぜか仕事をしているだれかの横顔を思い出す。なんか、ごめん、的な気分で。
 何もかも不完全なようではあるけど、これで完成でも別にいい。しかし死んだように生きてるわけでもなく死ぬために生きてるわけでもないはずの今日この頃であります。しかしそれにしてもなんでもここんとここんなにどうでもいい感じになってしまうんだろう。ぜんぜんどうでもよくなんてないんだが。
 つーか明日たぶんすごい落ち着かないと思う。電話してほしい。がつがつ考えようという気持ちと色々に辟易している気持ちが発泡しとる。なんか仲間外れ感半端ない。気持ちいいくらい一人にしてくれよ。と、いいながらケータイを箱根に持って行って電話してくれよとまで言ってる始末。
 受験生っぽいこと言っていいとしたら、「受験なんてどうでもいいよもう。勉強してないけど。」とか言うね私は。なんか言っちゃいけない空気だから言わないけどさ。
 コロセー普通の人間ですまなかった。

1月8日 はこねー はーい
 
 私はもう、つまらないプライドは押し鎮めてしまったのであーる。つまんないからね。
 と、言いたいところだが、ただ今の私にはものすごくやる気がないからそう言うだけかもしれない。はっきり言って私は今かなりかっこ悪い。
 私は今一生懸命やっているはずのことにものすごく完膚なきまでに興味がわかない。興味がない。無理をして興味があると自分に思いこませることも出来ないくらいに興味がない。しかしご身分上やらねばならぬ。
 私は今さらながら後輩も先輩もいなくて同級生だけがいればよかったと思っている。私は元気な時、後輩を見れば後輩にあって自分にないことを習得しようとし、先輩を見ればその素晴らしいところを習得しようとがっつく。その結果後輩は私のことを嫌いになり、先輩は私のことを好きになる。
 私が冬になったりして何もかも嫌になって衰えてくると、後輩と同じことは決してやりたくなくなり、後輩にあって自分にないものを「そんなもんは、ねえ…」と思いながらも褒める。そしてそれを自分に取り入れるのではなく自分の代わりにそれを後輩にやらせる。後輩は私のことを好きになる。先輩の持ってるものを習得しようとはせず、自分の持ってるものは素敵だという気持ちが強まり、先輩には逆らう。先輩に逆らうために色々な分野について勉強するうちに知識は広くなるが、先輩には嫌われる。
 結局いつでも自分は手広くやりすぎてしまう。一貫性もなく、すべてに置いて未熟で、落ち着きがなく、いらいらしては窓から放り投げるみたいにやめてしまう。「わあっ!もういらないっ!」てなふうに。
 私を好きな人に言わせるとこうだ。「工藤はくるくると色を変える、まるでとっても楽しい光体のようであるぜ。」「色々やってるみたいだけど私は根本的に彼女が好きです。」「いろいろあるけど尊敬してます。」
 私は思う。「よくわかりません。あなたたちの言ってることが。」ほんとによくわからないのだ。そしてたまにそう言われてもその人のことすらよく覚えていない。信者とかファンとかに色々言われるってこういう気分だろうか。しらない。
 私を嫌いな人に言わせるとこうだ。「おとこおんな。」「何を考えてるのか分からないから友達になれないわ。」「デリカシーがない。」「どう考えてるかじゃなくてあなたの意見が聞きたいのよ私たち。」とかとか。
 私は言う。「すいません。たしかに。でもどうすれば?」
 もっと自分を出せとか言われる。しかし私は自分というのがなんなのか、よくわからないで困惑している。自分というのがいったいどれなのか、もしむかし私に人格障害だと言ったあの医者が、今ここに現れて「それが人格障害だっつーの。」と言ったら、私はかなり腑に落ちるだろう。
 どうも自分が自分の人格を持ったという記憶もない。なんか小さい頃は全部受動的で、中学生くらいから高校に上がるくらいまではかなり無感情に近い。そしていつも捨てられる瞬間、こちらからも捨てようという心構えだ。それだけがあった。よくわからない。本当に意味が分からない。Oさんはこういう時こういうことを言うだろうね、とか、Yさんはこういう時こういうことを言うだろうが、Pさんがきっとこう言って反対するだろう。とか、そういうことは結構役立つ形で言える。しかし私の中ではそれが響き合うだけで、自分の声というものはない。自分の感情とは関係ない冷静な色々を踏まえた言葉を吐くだけで、極めて感情が加わっているという感じは薄い。
 文章を書く時には、咄嗟にぐわっと色々を動かして、ちょうど揺れた方向に任せて、その方向に感情移入して書いているだけのような気さえしてくる。でもそうすると正反対の方向にむけても書けるかもしれないということになる。私の考えでなく思いとか意見であったりというものはいったいどこにある?わからない。現代文の問題で、長ったらしい問題文を読んでも、結局この問いに対してどういうことを答えたらいいのか分からなかったらたぶんこんな気分だろう。数ある似たような答えの中でどれを出せばいいのだろうかというのではなく、莫大な棚の中のさらに莫大な量のファイルの中で、「ええと、まずはどの辺を掴みとってお見せいたしましょうか。」みたいな、非常に私がばかみたいな感じになる。
 他人からすれば「お見せいたしましょうかじゃなくて、あなたはどれなの。資料を見に来たわけじゃないのだよ。」という感じでしょうが、私は「どれなのって、どういう意味すか?」とか、そういう段階なので、「結果としてこういうのが正しいと考えます。」というのは言えても、「こういうのが正しいと思いたい。」的なことは言いにくいのであって、言ってしまうとなんか気持ち悪い、みたいな、そういうかんじで、きっと何を言うにもいろんな人が何をその発言について思うかていうのを時に考え過ぎてきたせいだろうと思うのですが、なんかもうこれは人間観察という域を超えて、自分まで人に逆観察されてるような感じになって、だめだな、これは、て思います。
 たとえば今夜、ジャンプ漫画の銀魂という漫画について私がブログに「今日貸してもらったので読みました。おもしろいね!好きだよ!」みたいなことを書こうと考えようとする。まあ別に社交辞令の範囲なのでそれが自分で本当にそう思ってることなのか、なんてことは考えない。が、それを公開しようとすると色々と恐怖が湧いてくる。あれを下品だと思ってる人もいるだろうな、とか思ってくる。そういうのはみんなにもあるだろう。
 みんなのブログを見ていると良く見るのは「今日ゆきちゃんと話題のあのアニメ映画を見てきました。私はとっても楽しかった。(ちょっと後ろの子供がうるさかったっけどね!それにちょっと空気が悪かった。実を言うとポップコーンがあんまりおいしくなかった。アハハ)」
みたいな、やたらカッコをつけたり絵文字を多用したりしてるやつ。
 あれを書く時、その人は心の中で、「ゆきちゃんはあの映画を見て楽しいって言ってくれたから楽しかったのは同じだろうけど、子供がうるさかったことや、空気が悪かったこと、ポップコーンのキャラメルが苦かったことなどを、私より気にしているのかもしれない!」と思って書き足してるんだと思ってしまうんだが、私はそういうのを他人がやってるのは別に気にならないが、自分でやるのは嫌だ!と思う。
 同じように顔文字や絵文字や文字の大きさや色を変えることに関しても、この文章だとこの感情が伝わりきってないのかも!と思って付けてるんじゃないかとか感じてしまい、自分はそう感じられるのが嫌なので文章だけで日記を書いている。いちおうそういうこだわりとも言えないようなこだわりでこんな風に文字だけ(たまに写真も)のサイトになってるんだが、正直なところではかなり怖いことも多くて、その点自分のことをフラットに、褒めもせずけなしもせず書くのは退屈で安全である。だがつまんない。そしてそれってブログ?…なので書いているとくるりみたいだぜ、と思ってうんざりする。
 くるりが嫌いって言うのにも結構勇気がいる。しかしくるりが嫌いなくらいならまだ大丈夫だ。これが、くるりが嫌いで嵐が嫌いでバンプもラッドウィンプスも浜崎あゆみも、小栗旬もモーツァルトもバナナも、いにおもデスノート描いてる人も、毎週木曜日のあのドラマも全部嫌いだ!とか言っちゃうと、それだけで、こういう人か、と思われる。仲良くなれないな、とか、流行りのものは嫌いな人なんだ!とか。くるりが好きじゃないって言うだけで、流行りのものは嫌いなんだ!とかいう早合点の人もいて、ほんとどこに地雷が埋まってんのかと、笑っちゃうようなこともある。
 しかしまあ、自分が何考えてんのか分かんないで、他人には勝手に人の性格を解釈すんなよというのは随分勝手な話で、だから私は勝手な解釈だなあ、まったく、と思っても、怖い、やだーとか言ったり書いたりするだけで、てめえやめろよこのやろう、とはならないわけであるが、要はちゃんとしない私が悪いんである。でも言いたいことは、ほんとに、誤解が怖いって言うことで、それが解消できる誤解ならまだしも、きっと自分でも気付かないまま解消できない誤解のほうが多いんだと思うとものすごく慎重にならなくてはいけないと思う。とくに学校のみんなも読んでくれているし。て、こんなふうに弱みを吐きだすような文章を書いちゃうと夏になって神秘的不思議ちゃんを気取ろうとした時に邪魔になっちゃうんだけどね。なんか夏になると神がかりたくなるんですよ。迷惑な話でしょうけどね。へへへ。
 ちょっと長くなりすぎて自分でも何を書きたかったのかわかんなくなりました。若気の至りっつうことで御許しを。冬から春にかけてこういうことは増えるかもしれませんが、何かとお許しを。一応あすから箱根へ行って一泊二日するから書けない文長くしようという心はありました。17歳の冬です。
しかしなんだかなあ、ココまで読んでいただいていうのもなんですが、ぜんぶ「そんな気がしてるだけで実際は大丈夫だよ。突き詰めて考え過ぎただけでふつうにみんなそんなかんじだから。」と言えなくもない、というところが、困ったところだなあ。

1月7日 人がいない

 新鮮な魚をお寿司にするのが上手なのが御寿司屋さんで、真っ白な布一枚からシャツを縫うのが上手なのが服屋さん。新鮮なお寿司が売ってるのは今やスーパー。シャツが売ってるのは今やスーパー。
 御寿司屋さんや服屋さんとは会話ができたがスーパーとは出来ない。スーパーのお寿司を作っているのは御寿司屋さんなのか?それとも機械か。わっからない。
 友達の一人は御寿司を握ってるお寿司屋さんや布を切ってる服屋さんを思い浮かべるとそれだけで映像がセピア色だと言う。私は服屋さんが布を切っているのを見たことがない。想像しようとすると、布をハサミが裁っていく、音だけが聴こえる。しょりしょりしょり、って。祖母が布を切っているのを横で見たことがあるからだ。でもよく考えると服屋さんはもっと切れる上等のハサミを持っていて、裁つ時滑らせるから、ザーッ、って音がするのかもしれない。ううむ。
 お寿司屋さんが握っているお寿司を食べるのには、かなりの労働が必要だ。稼がないと食べられない。しかし自分で作って自分で食べるのは、なんだか、ばかみたい。だ。自分で作るなら同じ材料で海鮮丼にしてしまうだろう。
 なんだか、何をするにも、何を食べるにも、人の気配というものを感じられないと損だなあ、しかし人の手から受け取ろうと思うと、なんでもお金が要るんだなあ、と思う今日この頃、人はだ恋しい冬の寒い日です。
  なんかもっとみんな、職業とか学歴レベルを超えて、ある人が極めた技であったり知識であったりを認め、尊敬すべきだ。なんでどこへ行っても「どこ大卒ですか」とか「どこ大志望なの」「おかあさん、えらい?」ていわれにゃならん。私たちはたぶん、小学校もろくに通わず、中学校も通わず、高校を途中でやめたけど金属の勉強は必死でやっています、というような人を、外から見ればどんなにだらしない生活をしていたって根本では軽蔑すべきじゃなくて、どっちかっていうと尊敬すべきだ。
 スーパーマーケットみたいなのは、一見万能を求めているようだけど、全部が並みで、すさまじいはずれもないけど、天才的な豆腐はない。天才的にうまいネギもない。そういうところで生まれてからずっと買い物をしてる人は土のついた大根に出会うことはないし、白菜の大きいのを抱いた時の胃にもたれる重さも知らない。
 そんなふうにするんならいっそ万能を求めれば良い。
 私たちはたぶんほんとうは、授業を受けないで騒いでるけどある作家の話になると賢くしゃべり始める人や、絵ばっかり書いてて授業の成績はオール1とかいう人や、奇抜すぎる発想のせいで馬鹿に見える少年を、本気で馬鹿にしてはいけない。たぶん。ほんとうは。誰かがいう「だめなやつ」というのが、ほんとうに「だめなやつ」であることなんか、なかなかないんですから。こんなふうに書くと優しい人みたいだが、私は何に対しても興味を表さない人や、勉強しないのに勉強してる人を馬鹿にするやつ、のぼりつめてもないのに周りを見失って音楽やら文章やら、やってる人がすごく嫌いだ。いろんな意味で死んでいる。
 
 眠れない日フラッと出かけて行ってフイッと他人に出会って話せる場所がほしい。コンビニよりゆっくりで、コンビニと同じくらい温かくて涼しくて、コンビニより人が人としていられる場所がほしい。わたしはなんかもう、ふつうに疲れたし。

1月7日 ノルウェイの森見に行った。
 
 珍しく何も言いたいことがない昼には自分が十六時間も寝たということを考えてどうでもいいけど、ほんとに死ぬまで何か言い続けていたいということをさし障りのない言葉で御母さんに伝えてアフタヌーンティータイム。弟に恥じないように生きるということは結構難しいことで、ただ外に出たら手がしびれていま以上に何も言いたいことなんてなくなってしまうんだろ。くるりみたいになって、死んだように生きていたくない。何万回も同じことを繰り返してなんて言いたくない。たとえ何万回も同じことばかり繰り返しているとしても、言っていいとは限らないでしょ。言うな。

どうでもいいことでいじくってたらまたカウンタのカウント消した。やだなあ。

※私は別に神聖かまってちゃんを嫌いなわけじゃないんですよ。
援助交際してる友達のことを「ありえねえな、あいつ。」って言うようなもので、要するにやりたいことが人でなしとまでは言わないがちょっと手段が気に食わないな、と、そう言いたいわけで、いや、んー、ちょっと言いにくいけど苦手、です。しかしかまってちゃんファンはすごいですね。ハハハあんまり怖いこと言わないでくれよ。好きなこと言うのも嫌いなこと言うのも色々きわどい世界だ。
しかしいつか言うから。「表に出ようぜ」と。へへへ

九日から一泊二日、箱根へ行きます。よい休日を。

1月6日 私に長期休暇を与えるな
 
 今日はもう日記書くのよそうかと思って寝ようと思っていたんですが、つうか寝てたんですが、私の日記を読んでくださってる方と電話でおはなし出来たのでちゃんと日記を書きます。
 
 なんかもう、今日一日は本当のこと言っちゃうと朝から友達に家に呼び付けられて逃げようと思ったら家の前までやってきて、なにこいつ犯罪者の目をしてるとか思ってたら家に連れていかれて神聖かまってちゃんとか聞かされて神聖かまってちゃんの歌詞がいかにいいかという話も聞かされて、嫌な気分になってて、それについてはいくら書いても良い気分にならないので書くのはやめます。
 そんなわけで帰ってきて寝てたら昼の二時で、あーさいあく、もうやだ、なんてともだちだよ。とか思ってたら弟の友達が「こんにちわっす!」と言ってずかずか入ってきて、隣の弟の部屋からゲームの機関銃打つ音とか聞こえてきて、ずっと二時間くらいそればっかりで発狂しそうになり、神社に行ってミカン食べてたらものすごく寂しくなり、しかもさむい。というわけで帰ってきたらスナック菓子が食べ散らかされており、もう苛々する気も起きない、という一日で、ほんとに蜜柑がおいしかっのと師匠とスカイプしたこと意外に碌なことのない一日だったなあ、とか思ったから日記書くのやめようと思ったんですが、最後に良いことがあってよかった。フッ…女子高生にもこんな日はあるのです。それにしても酷い日記だ。脳みそが完全に神聖かまってちゃんの「死ねよ佐藤!」っていう絶叫に侵されている。
 あの人も人の子なら普通あの歌うたえないでしょ。狂気発散とか精神病とかそういう前におまえ人の子だろ。もういいけど。もういいけどさあ。
 
 どうしてかっこいい工藤さんがあんな失礼な友達と付き合ってるんだ。
 かっこいい工藤さんにもいろいろ事情がある、とか言う前に今日は家の前まで来てたんだからそういうの関係ないんだよ。けどあいつもいろいろあるんだよ。わかってるけど!わかってるけど嫌じゃないか。
 聞いたものや読んだものにすぐ侵される自分の言葉を呪いたいです。なんとなく今日の日記、かまってちゃんテイストだ…失礼しました。ろれつがまわってなかったのは里芋食べた時に口のなか火傷したのと眠かったせいです。

 私は毎晩料理をするのですが、今日は鮭の塩焼きと里芋の煮っ転がしと味噌汁とキャベツのツナサラダと白いご飯です。料理をしている間私はすっかり自分ひとりで生きている気分になります。なんという開放感。なんという責任の少なさ。
 弟を呼んで食べてもらってちょっと塩が薄いとかうまいとか言ってもらっている時のなんとも何か違う感じ目指しちゃいけない感じ。友達がそれに近いことを話している。根本はそこに近いのかは分からない。ちょっと今晩そわそわしてるのは昼間に友達のお父さんが坂をべろんべろんによっぱらって降りてくるのを豪徳寺で見たからで、それ自体は昔からのことで、ただ昔からのことが昔住んでいた街では今日も行われ続けているということに、汚い気分が再発して、これは流行りの音楽で紛らわせるのだが、流行りの音楽はどう考えてもそのために作られているのではなくて、余計なところが抉れるのです。
 ところで一体自分の父親は豪徳寺周辺どんなふうに現在暮らしているのかという、それもまた私の気になるところで、しかしながら今は汚い言葉にしかならないから嫌なのです。くだらないこととか書いちゃいそうなのです。

 私は毎晩料理をするのですが、今日は鮭の塩焼きと里芋の煮っ転がしと味噌汁とキャベツのツナサラダと白いご飯です。料理をしている間私はすっかり自分ひとりで生きている気分になります。なんという開放感。なんという責任の少なさ。
 私は今日の品を完璧に作る。ああみわこみわこ見ておいで今日が有意義に終わろうとしている。ああみわこみわこ見ておいで遠く沈んだ太陽が裏側を駆け抜けている。みわこみわこ、死んだ妹よ。みわこみわこ君のいない食卓はみわこみわこ私を憤慨させる暗い屋外の色。みわこみわこ、私は最後に歌う。みわこを呼ぶ歌ね。

息を吸いたい。今年も、本物の親不孝者にだけはならない。しかし心がどんどん貧しくなる。優しくすべき人に会わないからだろう。ちゃんとした大学に行ってちゃんと就職すれば養子がもらえるだろうか!はああ。

1月5日 我が家は日経新聞
 
 我が家は日経新聞を購読しているんだが、朝日新聞のほうが洗剤とかくれるよって隣のおばさんが自慢してきたのでこっちはトイレットペーパーがもらえますー、って言い返しておいた。それに私は日経新聞の記者さんが書く記事がなかなか好きだ。て、そんなこと昨日一昨日の日記に引き続きどうでもよさがハンパないですよね。
 どうも年始となるとのほほんとしてしまって、そう言えば失恋的なのを数年ぶりに味わったので「あー私も馬鹿だなあ」みたいな逆にのほほんと、あー、肩凝った。みたいな気分になっているわけでして、今日は三時間ほどぼろいクリーニング店の暇なおばあさんと日経新聞の本日の夕刊の記事について話していたわけで、結局私に面白い本を貸してやると言ってたクリーニング屋の息子は合コンとか何とかで帰ってこないし、つうかその前に私はよく今年のミカンの出来の話と日経新聞の記事の話だけで三時間も楽しんでたなと家に帰ってから感心してたんだが、家より暖かいからいいよなあ。
 一週間ほど家の掃除をしていない。ひどい。ひどいぐだぐだだ。そろそろ夜布団の中で考えることもなくなってきたので眠くて仕方なくなるまで本を読んで寝るのだが、あんまり頭に入らない。記憶力の衰えが著しくもうそろそろ脳みそなくなるんじゃないかと思ったりして別に危機感もなく、呑んだ茶のことも覚えていないありさまで、なんか失恋した女子高生って感じじゃないか!とか思いつつ、どうしようもないなこれは。
 お隣のおばさんに「受験って再来年?」とかきかれたりして、「いやー来年だよおばさん。」とか答えたら「あんた勉強してんの?それにしてもあんたのうち野菜がよく減るわねえ。」「食べてますから。つかなんで知ってんの。」「おたくベランダで野菜冷やしてるじゃない。」「おばさん見てんの?覗いてんのね。」「あらあら覗いてるんじゃないわよ。見えてんの。」てなだらだらぐだぐださで、なんか朝と夕方にそこの階段に座ってココア飲んでるだめな娘か息子かわかんないけどさあ、みたいなお子さん、くらいにしか見られていない。別にいいけど。煙草吸ってないだけよしとしてほしい。
 なんでもいいけど歯医者に行って来たんですよね。レントゲンって高いのね。なんか歯が虫歯以外のことで結構欠損しているようで、「全部埋めなくちゃいけませんねえ」とか言われて「いや、そんなん全部埋めたらお金かかるので虫歯だけでいいんです。」と言ったら女医さんに笑われた。あそこの人受付の人から女医さんまでどうしてあんなに美人なのか。成城学園の歯医者ってやーねー。村上ハイツの前を通って帰宅。村上ハイツを見た瞬間に気分がものすごく悪くなるいつものパターン。なのに分かってても村上ハイツの前を通っちゃうんだよナー。向かいの写真館を気に入ってるからということにしておいてほしい。
 歯は11日に削るらしい。どうせやるなら今やれよ。半殺しだよ。色々な問題で麻酔はなしで削ります。わーい。
 7日は出掛けるのだぜ。二人で映画を見る。相手はクリスマスパーティーで工藤と出来てるんじゃないかって噂されてた、あの女の子なの。
 髪を切ったらスースーします。夏の頃と同じ髪型です。
 年始は街に人がいないしゴミはやや溢れてるので私は心が平和でたまりません。そう、こんな日記を書いちゃうほどに。いまお金が不自由じゃない程度に懐にあるので、アイスクリイムなど舐めています。私なんかにいまさらお金を与えても、甘いもの食べてるか参考書買って興奮してるか、ゴミの山の中で本のことしか考えていないか、ノートに呪文を書きつけて俺はいつでも好きな時に好きなジュースが飲めるんだと喜んでいるか、そんなどうでもいい、結局はもっともっと非常識でだめな、しかし憎らしいことに法には触れない人間になるだけで、しかしいくら金があると言ったって医者に払うのは嫌だ、と、そういうわけです。みなさんお元気でまたあした。ぽわーん。
 背中に出来てた傷のかさぶたが剥がれてなおった。
 ある日朝方神社に隣接する他人の家の前で憂さ晴らしでわざとこけたときに予想外にジャリッとした段差にゴリッと擦って出来た傷だが、大したことないと思っていたらワイシャツに結構大きなしみができるくらい血が出て「WOW!」と思っていたけど人に見せて「HAHAHA!」っていうにはちょっときわどい部分なので急に叩かれたりすると内心「あいうえお!!!!!」と思いながらも「ぜーんぜんいたくありましぇーん」というふうを装っていたんだが、結構風呂に入るたびに「何やってんだよ俺は…」と自虐的に笑わずにはいられなかった。
 私は悪くない。私をこういう気分にさせる世の中と人の不在がいけない。

1月4日 静かな町
 
 まだ町は静かだがスーパーだけが昨日よりにぎわっている。一升瓶が増える。パチンコ屋の前に落ちている銀色の球を拾っている男の子がいる。あれって拾っていっぱい集めてパチンコ屋に持ってくとお菓子くれるんだったような気が。子供だけだと思うけど。
 だめですねなんか。失恋した気分だ。アイポッド買おうかなあ。とかいって買わないんだけどね。今日は元気。
 
 人生初の虫歯ができた。私にも虫歯はできるんだな。体の劣化が始まる予感。せめて外見がそこそこよいうちに青春しなくては。コワイヨー
 歯医者は医者なので金がかかる。

1月3日 生徒。

 大事な人に習ったことを全部忘れるとか諦めるとかするなら死んだ方がいいな、と思った正月3日でした。

 大量に捨てられたゴミ捨て場から溢れるゴミを踏み分けて道路に出て笑う。一升瓶がスーパー前に並べられている。友達の電話に応えて宴会を断ったあとでワインを一杯だけ飲む。安い安いワイン喉に染みる。世界中だれもがどこかで私を馬鹿にしていてもかまわない。酒の魔力。ほかほかになる。 ほんとはもっともっと。
 裏切られた後感謝し続けることを私は餓鬼なのでできないだろうが、裏切られると知っていてその人から学ぶことはできる。その人が教えてくれたことにはせめて感謝を。
 もう寂しいからってほかの人と遊ぶのはやめたよ。なんか間違ってるしあまりにも女だからね。あまりにも酒臭いからね。本当の話をするから。いつ死ぬかなんて知るか。
 私はもう誰かになろうとは思わないと思う。最後だった。あれはあまりにも自分の恐怖心を無理やりに殺し過ぎた。
 酒臭い人で寂れた祖師谷大蔵。年始の東京は人が少なくてとてもいいよ。空気がきれいで富士見橋からは富士山が、屋上からは新宿の茶色い建物が見える。誰だって私か。
 リズムそのもの空っぽになって知識を詰め込んで目玉が赤くなって入院した友達にもうかけてやる言葉はない。ことばねむる。だれだってさいごはそこか。みんなサラリーマンか。軸のぶれた努力家か。
 もう言葉になる狂気はしばらくないと思う。土にすりよる。花を!
 あまりにも人格がぶれる。許してくれ昨日と違ったとしても。だよ。派手にやりたい。吐きださないとどこへいくか。これはだめだな。自分が痛い。
 祖父からもらったお金を横から伸びてきた手に「受験準備金」として持っていかれたことは気分に関係していないとも言えないが、いったいぜんたいいくつ大学を受けると考えたらあんなに毎年貯金するんだ。別に私のお金はあなたのお金、ですけど。今日は半日寝ていた。二日寝ないでいたからね。
 男はもういいよほんとに。…少し前に女はもういいよとか言ってた気がするけど。もうどっちもいいよ。許す。なんでも手広くやりすぎるのが私の悪い癖だ。
 結婚するかね。しかしいま結婚したら親子みたいになるよ。年の差とか言う話ではない。私は家族とあんまり親子みたいじゃないから、結婚したら親子みたいになるよ。それは嫌だなあ。
この世でたった三人の人には効かないらしい無敵な僕のゴシップ効果。

わー…女の子が悪い。
私は入れ物。

1月2日 映画を見る人々
 
 映画を沢山見るとなにか素敵なことが起きるんだろうか。映画を多く見てる人が多いけども、素敵なことが起きているようには私の目には見えない。し、映画を大事にしているって感じでもない。彼らはいったい何のために映画を見てるんだろう。そしてなぜ見てるだけなんだろう。よくわからない。
 お金もかかるし、私は映画を見たり絵を描いたりしているとなんだか現実逃避しているような気分で落ち着かない。たまになら良いと思うが。すごく好きなら良いと思うが。
 ある友達は映画館に行ったりツタヤで映画を借りてきたりすると、速記文字ですべてセリフや背景、光の具合などをメモしている。最初にあれを見たときはかなり感動した。そして映画が終わるとそのメモを見ながら、あのセリフがよかった、あの表情はどうだった、とか、あの場面がどうだった、とか本当に楽しそうに話す。そして忘れたころに会話に織り交ぜてきたりするからなかなかプロである。しかし聞いてみると彼は映画が好きなわけではなく、映画を見るのが好きなわけでもなく、映画を見た後にそのメモを見て思い出すのが好きなんだそうだ。はっきり言ってやつはなかなかかっこいい。あまりにかっこいいので、彼と同じ映画を「もっかいみよう」と言われるままに何度も見たこともあった。黒沢映画なんかで私が見たやつはだいたい彼か母と一緒に見た。こないだはあれを一緒に二回見た。ダウン・バイ・ローという映画。なかなか楽しいです。一人じゃ映画なんて見ないので余計に楽しい。
 
 私の母は映画を撮りたいとしきりに言っている。昔はよく撮っていたらしい。彼女は割と大人の素敵な女性風なのでだいたい初対面の人は「そうかそうか、こういう穏やかな人なんだな。」と思って油断するが、自分で作った映画のプロットの話を始めると嘘みたいに興奮して娘の私もびびる。
 なのに撮っていた映画は別にアクション映画とかそういうのではなく、比較的穏やかな、たとえばこないだ撮りたいと言っていたのは、ある古本屋の主人がレジに座って作業しているのを延々と撮るという、私が思うに「めがね」みたいなノリの映画なんじゃないかっていう、非常にのんびりとしてるはずの映画で、しかし母はほんとにそれについて話していると楽しいらしく、ものすごく興奮している。彼女を見てると、映画作るのってホント楽しいのかもしれないなあ、と思う。彼女曰く、「映画は見るより作るほうが絶対楽しいし、映画の本当の楽しさは作ってみないと分からない。」
 
 私の母は大学では法学をやってた人である。何故映画をやめたのかときくと、やめなきゃよかったといつも言う。私も、映画をやっておけばよかったのにねと思う。しかしまあ、法学やってなければ私の実の父とも出会わず、私も弟も生まれなかったであろうわけであります。結局それによいも悪いもないのかもしれませんな。
 
 私は自分の日記がどんどんひどくなってるのは分かりますが、やめないで続けようと思います。頑張って。たまには見にきて下さると嬉しいです。
 ではやっと収入が入ったのでひと月ぶりに自分で本を買うよ!ちょう嬉しい。今年もよろしく。

1月1日
 おみくじによると私にとって本年は辛抱の年である。辛抱ね。辛抱。よし。
 
 なんか鏡を見たら自分の目が人間じゃない色に濁って光ってるんだが、たぶんこれはあれだよね。元旦だけだよね。きっと治るね。
 年賀状が結構いっぱい来てびっくりだ。わーい。
 年賀状と言えば、夏の頃に私と師匠の写真を撮ってくださったあるお方にあけおめメールを送ろうとしたら、前にパソコンがバグった時にメールアドレスを紛失してしまったようで、送れなかった…。もしこれを読んでくださっていたら大変お手数ですが私宛にメールを送って下さると嬉しいです。
 
 あと、このホームページのリンクページから跡かたもなく消えうせたものがありますが、あのリンク先のサイト様は閉鎖したらしいです。つまんないなあ。残念だなあ。
 正月というのは、来るのが嫌だ、怖いと思っていても、1月1日になってしまえば対して何の苦しみもないものでした。去年と同じ人と同じ神社に行き、甘酒を飲み、夜景を見て、おしゃべりし、楽しいことをしたので、もうほんと、よい日でした。迷惑を掛けまくりでしたが。
 
 初詣から帰って一度寝、起き、母方の祖父が送ってくれたおせちを食べ、家族三人で母方の祖父にあいさつに行き、母方の祖父に暖かいコートをもらい、お年玉をもらい、話をし、寿司を食べさせてもらい、またいつもの延長で、なにもかも与えてもらって自転車漕いで三人で家に帰りました。弟は書き初めをし、私は別に好きとも言えないような元旦の詩を書き、嫌になり、でも今日の日があまりにも与えられたものに溢れていて、幸せでないとはどうして言えましょう。
 
 私にお母さんは一人しかいないが、お父さんはあちこちに分散している。昔住んでいた家の近所に住む同級生のお父さんは私のお父さんでもあり、十二歳の時濡れ鼠の私を拾った男もまた私の父であって、実の父も、私の父である。彼らは何度も私いろんな溝から引っ張り上げたが、まだそこにいろと言うだけで、なぜそこにいなくてはいけないのか教えてくれなかった。それゆえ私はこんなにもどうでもいい気持ちでここにいる。実は逃げたい。
 
 しかし母の父に当たる人を前にすると、私はこの人が死んでしまうまで、消えも死にもしてはいけないんだと、思う。彼には本当に感謝してもしきれず、尊敬してもしきれない。父や母の期待を裏切れても唯一この人の期待を裏切ることなんてできないと思う。私が今一番悔しいことは、彼が生きているうちに恩を返しきれる自信がないということだ。
 彼がいなくなってしまったら、この世に、本気で感謝する人などいなくなるのかもしれない。彼にこれ以上の迷惑はとても、と思う。彼に私が苦しみを作ることなどできない。私はもう17年以上も、あの人に大切にしてもらっているのだと思うと、世の中には本当に信じていい人間がいるんだと、やっと信じていいような気になれる。本当に大切な人だ。面と向かっては言えやしないが。
 こんなことを書くのも、祖父についてじっくり書くのもかなり私としては例外だが、元日くらい、いいじゃないか。しかしどうしても、私より祖父が先に死んでしまう。そういう仕組みが苦しいな。
 どうしても一人前にならなくてはいけない。しかしもう、本当はぎりぎりで、本当はもうこんなところにいたくないのだ。消えちゃいたいのだ。儚くなりたいのだ。しかしきっと、それを知ってて辛抱と私に言うんだろうね。
 
みなさん、ことしも夕帰りともども、よろしくおねがいいたします。本年も病院にぶち込まれることなく、ここ東京都世田谷区で辛抱していこうと思います。

12月31日 よいお年を! 

12月30日 茶摘みの歌(文部省唱歌)

夏も近づく八十八夜
野にも山にも若葉が茂る
あれに見えるは
茶摘ぢやないか
あかねだすきに菅の笠

日和つづきの今日此の頃を、
心のどかに摘みつつ歌ふ
摘めよ 摘め摘め
摘まねばならぬ
摘まにや日本の茶にならぬ
 
文部省唱歌とは(ウィキペディア)

 

 

12月29日 お正月の歌
 
 お正月の歌(もういくつねるとお正月ってやつ)って滝廉太郎の作曲だったのですね。作詞は東くめ(「鳩ぽっぽ」や「雪やこんこ」の歌詞を書いた人)だそうです。東くめさんすごい人だなー。
 しかしお正月の歌、これほど年末の貧乏人を苛立たせ追い詰める歌はなかなかないと思われる。しかもサミットというスーパーに行くと広い店内の隅々まで、明るいはしゃいだ子供の声でお正月の歌が流れている。当然値引きの時間に合わせてスーパー内を徘徊し、半額商品を漁っている私は発狂しそうになる。だめであるよ。あれは。
 まあ日ごろからサミットの店内BGMについては聴きすぎてうんざりしているのであるが。面白いですな、こういうのは。記憶ではオオゼキはわりとなんでもかけていた気がする。
 
 そういえば最近早稲田アカデミーの授業用日本史資料集をゲットしまして、とても助かっている。どこでゲットしたかと言われるとゴミ捨て場なんですが、なんで捨てるんだ、って感じの素晴らしいもの捨てますよな。他人は。※ゴミ捨て場からゴミ拾うのは犯罪です。真似しないで。
 
 今日は先輩が「学歴が邪魔になる」と悩みを打ち明けるふりして、「俺慶応に入ったんだぜーすごいだろーすごいだろー」と自慢してきたので電話を朝から二回ブチったのに懲りもせずに三回目かけてきて、なんだこいつ私のこと好きなのかとか思ったらほんとに自慢だけで、一時間も無駄にした。入るだけなら頭が良くて勉強すれば誰でもできる。とにかく有名大学に入ると人は幸せな気分になるんだということは分かった。きっとあの人これ以上勉強しようと思わないんだろうな。南無阿弥陀仏。大学入ってからのほうが人生長いというのに。嫌だなあ。本でも読めよな。
 
 みっともない人は嫌です。みっともない人にならないようにします。なんでもいいが右足の小指が痛くて腫れてる。折ったか?
 あはは、なんかこの無理やりに冷静にとどめようとしているとんちんかんな感じ、私ごと死ね!あーあ。面白いことないかなあ。面白いこと起こしたいよ。面白い仲間がいないかなあ。見つけに行こう。そうしよう。

メールフォームからメッセージを送るときに、必ずしもメールアドレスを入力しなくてもメールを送れるようにしました。添付ファイル(500KBまで)もつけられるようにしました。メールをいただけるととても嬉しいのでよろしければ何か送ってください。あとメールをくださった方々、ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
12月28日 チェンジ
 
 今日も起きたら十時過ぎでありました。こんなことじゃいかん。
 長い休みが来ると痩せるのは別に深刻な悩みがあるとかじゃなくって、ただ毎日学校があるときには学食で食べている390円の唐揚げ丼を、休みだと食べないからで、それを補うべくコンビニのフライドチキンをほぼ毎日食べて、かつ肉野菜いためとか食べているんだが、それでも痩せるってことはあのから揚げ丼、ものすごい栄養あるんですね。気をつけないと。さすが学生食堂。
 そんなわけで、体力がだんだん弱ってきてるようで、何をするにもパワフルでない。一リットルのピーチティーを飲み干すのに二日もかかるし。カレー一杯半食べただけで胃が痛くなるし。こんなんでは今に聴きたい音楽も体力の問題で聴けなくなるし、本を読むにもまっすぐ座って居られないとかそういうことになるぜ。
 誰か心配して美味しいもの持ってこいよー。…こんなんだめだな。もっとお涙頂戴な感じでいかないと。
 この冬休みはお涙頂戴文の書き方を学ぼうと思う。

 なんにもわからないから体の隅々までの細胞が無駄になっていくのを感じる。どうしようかなあ。きつい。なんか色々とピークを過ぎた感じがある。夏になればよみがえることを祈りつつ、待てないとも思う。まだ人生折り返し地点には早い。はず。

 年末に一日だけ暇とか、悪夢だな。さむいせまいさみしい。3S!もうわやや。
 あ、やばい。宿題の本読まなきゃだ。宿題の本を買う金を工面せねばだ。ウワー…それから本読んで評論書くんであった。ヤダー。夢がない。期待にこたえる。夢がない。
 見てくださっている方々には申し訳ないが最近自分が書いてた詩や日記は本調子ではない。なんかだんだんずれてきているんだと思う。力を無くしてきているようでもある。私はたぶん家を出たほうがいいと思う。それからたぶん、ちゃんと後何年かは、学生で居続けたほうがいいのだと思う。大学卒業まで。そういうことは分かっているがね。そういうことが分かってる所で何なんだ、という感じでありますね。高二病だ。

12月27日 夜 
 
 なんという嫌な空気に満たされた日記!これではいかん有害だ。
 
 今日夕方、自宅マンションのゴミ捨て場で本を拾っていたら、掃除のおじちゃんに見つかって通報されそうになった。最悪。気分最悪。
 資源である前に本なのに、もったいないと思っただけなんだよ僕ァ。さみしいじゃないか。あまりにも心がないじゃないか。私が悪いんだけどね。どう考えても。
 
 学校に数学の試験再提出してきたのじゃー。ポイっと出して帰るつもりが延々二時間担任と面談の続きをするはめに。家庭のことを母があらかた担任に喋ったようで面倒くさいことこの上ない。だいたい恥ずかしい。
 先生の淹れてくださったお茶、おいしゅうございました。
 職員室から出てダッシュ、公園に足を踏み入れた時、落ち葉のうず高く積っているのに気付く。わー生きてるー。しかし体が寒さで痺れて地面から離れているように感じる。霜柱が残っているのを踏みながら丘の斜面をぐるぐる回っていたら自分が頭のおかしい人に思えてくる。これでいいのさこれでいいのさ。
 
 丘に座って空っぽの財布の中の大量のレシートの皺を伸ばして重ねているとき、間から五百円玉が出てきた時の喜びと言ったら!
 久しぶりにピーチティーの一リットルパックをコンビニで買い、寒さも気にせず飲みながら歩く。青い空黄色い雲、ダ。ダバダバ。
 
 NHKドラマ坂の上の雲で廣瀬さんと子規が死んでしまった。結構役者好きだったんだが。仕方ない。歴史だものな。
 あれに出てくる本郷房太郎は私の親戚です。ものすごい遠い親戚ですが。
 
 やけになりたい。馬鹿らしいけど。やけになったことがないかもしれない。やけ酒とか、「もうやけや!」とか裏返った声で叫んだりしてだな、だめだ、ふー、無理だよ。
 夜一人で寝ていると笑いがこみ上げて来てたまらん。ここ三日くらい。それと関係あるのかは分からないが、体が火照って妙な感じだ。
 
 本当に家族が重いな。やっぱりだめなものはだめなのか。
 誰もいない。お金もないので働きたいが、母が嫌がる。
 ふたりでお茶でも飲みたいもんや。でもお茶したい相手は、みんな疲れて休みたいという。しゃーないことだな。寂しいが。別になんも、本当は大袈裟なものなど要らんのだ。

12月27日 朝
 
 過ぎたら笑い話になり得るような困難に押しつぶされて考えることや感じることをやめたら絶対後で後悔するということを最近学んだ。
 私は面白いところを通って行きたい。なるたけ寂しくない道を選んで。それでほんの一瞬、ほんの数年悲しく苦しい所へ出たからと言って、そこで何か大切なことを捨ててしまったら、それは一生の敗北で、つまんない大人はそうやって出来上がると思う。
 
 打ちのめされても寝たら起き上がること、それが大切だ。自分は十代最後の輝かしい時代を生きていると忘れてはいけない。あんまり諦めないでください。一年余分にかかっても諦めないでください。二年余分にかかっても諦めないでください。諦めて死んだように生きていくのが幸せですか、そうなっちゃうとおもうよ。やるせない。
 疲れて発表しないでほしいぜほんと。伝染るから。ちょっと引っ込んでよみがえればいいと思う。
 てなこと言ってもうちのお父さんは私がちゃんと学歴とって留学して、金わんさか稼ぐようにならないと聞いてくれないんだってよ。さすがについて行く気にならないぜ。さいなら、ですよ。

12月26日 Xゾ
 
 さみしすぎるぞ。感情がどうとかいうより、純粋に人がいない。みんな里帰り、旅行、塾、だのと言って出払っているので誰も遊んでくれない。夏の頃なんて週に三日は家に誰かが来てたし、週に二日は誰かの家に出かけてたのに、11月入ってからみんないなくなって、つまんない。寂しい。
 
 勉強する気が起きないので一週間くらいどこかに泊まっていたいがお金もない。いま十円しかない。昼飯は明日からクッキーとパンの耳で昼ごはんは凌ぐしかない。家にはお金あるかもしれないけど私にはない。
 本棚から本を売りまくらないと、生き繋げない。
 年末なのにこの貧しさはなんだ!年越せるのかね。越すけどさ。
 
 今日は昼ごろ高井戸の老人ホームに行って母方の祖母に会ってきたが、完全に私のことを忘れたようだ。仕方ないがさみしい。ああいう所へ行くと気分がどんよりするなあ、やはり。
 老人ホームの長い廊下が「あさがお通り」と名づけられていることを祖母が入所してから三年経った今日初めて気付いて、ああなんかいいなあ、と思った。ひまわりでも菊でも、コスモスでもなく、あさがおってとこが、いい。しかし老人ホームの水槽の金魚が行くたびに半減しているのは気が萎える。
 好きじゃないんです。老人ホームって。湿度、温度、光を完璧に管理された四角い部屋でつまらなさそうに、とりあえず怪我しないように配慮されて生きている家族を見るのが嫌で。
 みんな親と住めばいいのに。
 地方から都会へ出てきた人が週末に家に帰るために、なんで新幹線の料金がもっと安くならないのだろう。思いやりないなあ。つーか交通関係の料金高すぎでしょ。自転車は素晴らしすぎでしょ。
 
 なんでうちのお母さんは自分のお父さんの家の近くに住まないんだろうなあ。なんでうちのお母さんは美人だったし、今も美人っぽいのに萎びていくほうに走るんだろうなあ。なんでうちのお父さんは何にも分かんないんだろう。なんでうちのお父さん私にひとでなしとか言ってくるんだろう。いやだなあ。だってもう、みっともないよそんなのはね。弟は何故一日中布団を敷いてゲームをしているんだろう。私たち兄弟はなぜこんなに無駄が多いんだろう。最適化が嫌いだからって言ってもこれはひどすぎるよな。俺たちは滅びる。
 
 家族がバラバラになって俺たちは滅びる。いつか両親の結果に恐れをなして結婚しない俺たちはぼろアパートの一室で語りかける人もなく滅びる。老人ホームのアスパラにもなれず。それが恐怖だ。あまりにも先の先まで不安が詰まりすぎていて思わず本とか読んでいる。嫌いだ。きっと彼もそんなふうにして思わずゲームをしているのかもしれない。
 
 なぜ家族で裁判することが必要なんだろう。それがわからない。結婚ってめんどくさいし怖いんだなあ、って思ってしまう。それって、普通じゃないか。
 やめよう!暗い話!
 家族の話=暗い話、っていうこの感じ、間違ってる。ぜったい。家族ってもっと…なんなんだろう。…うん、なんですかね!
 同い年の友達が結婚する。結婚か。結婚するか。誰と?フフフ…知らない。
 
 雑念を払って思考がバリバリッと一直線になっていく感じ。この感じ。信じられるのはこれだけ、ダー!
 
 古本屋と自宅を往復しすぎて疲れたんだと思う。今日、三回くらい。時間とカネ時間とカネ。なんと酷い高校生だこと!手に技が、脳に英語力がほしい。
 こんな、モロ自分のために書いている文章が一体なんになると思います?つか私何になれると思います?なんにでもなれるなんて嘘だぜ。なれるものにはなるが。とりあえず一番面白いとこ通って行こっか。この苦しさはなんだ。みんななんでそんなだだっぴろい幸せを語ってるんだ。私はここにいる。あなたもでしょ。そんなの本当なの?ああ、ドリームね。


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