夕帰りの子供たち 平成23年3月の日記
 

3月31日 迷わないなんて無理

 なんかギトギトした文章は読みたくない気分だ。ていうかたぶん初めて文章を書いてみてからというもの、私はギトギトした文章が嫌いなんだけど、あまりにみんなの文章がギトギトしてるから、そういうもんなんだと思うことにした。
 ギトギトした文章ってどういうもんかと問われると答えるのはなかなか難しいけど、純粋に文章として読みづらいのう、ってのが一番多いかな。なんだろうこれ、入ってこないや、って気持ち悪い感覚。読む気失せる感覚。
 私の文章は読みやすいでしょ、って自信満々に言うことはできないですね。だって私が私の文章は読みやすい、って思ってるとしても、だってそれって私のリズムで書いてるんだから私のリズムで読む時読みやすいのはそりゃそうだもん。
 たまに読みやすいって言われることあるけど、それもやっぱ一部の人だもの。それにあんまり多くない。
 たまたま私と同じリズムのひとなんだろう。
 リズムってのは多分句読点で決まるんでしょうなあ。
 私はたぶん句読点は太宰とか重松清とか宮沢賢治とかに習ったなあ。ははは。あー、全部男だわ。
 あー、でも小田和正やスガシカオとかからも随分コピったなあ。
 みんな男だなあ。
 私の文章って男っぽいかなあ。
 ああ、そういえば、お父さんが部屋に溜めてた学生時代のB判定のレポートとか、私随分読んでいたな。ちょっと活字中毒みたいなところあったからね。
 さらに男ですけど。
 
 一代記みたいのいつか書きたいな。はやく結婚してくんねえかな。え?誰が?
 なんでこんなに長く生きてるかなあ
 私ってもっと早く死ぬもんだと思ってたけど。

3月30日

 このへんに何を書けばいいのか、ちょっとやっぱりわかんないや。
 簡単にいえば私は理屈と屁理屈の違いが、はっはっは、わかんないんです。

 なんか一昨日いきなり父に呼び出されて昼ご飯をデニーズで食べて、あの、煩いでしょ、デニーズの昼時って、子供とかわんさといてさ。そういうのがもうあの人、お父さん、我慢ならないわけ。いらいらして、珈琲がちょっとすぐに来ないってだけでブチ切れたりするわけ。そいでウエイター呼んでさ、「コーヒー、まだなの。」って超怖い顔と声で言ってさ、そのウエイター先輩の弟なんだけどさ、なんかそのウエイターなんて私の顔知ってるから、こっち見て油断してたるんだ顔してんのね、それでいきなりお父さんが怒った声でもの言うじゃん。私なんて「このヒトはやばいの!おまえわかれよ!」みたいな感じでめっちゃ睨みつけてたし、つうかあの人年上なのに!で、あの人、ウエイター、ちょうびびってた。
 まああんな煩いとこ行ったらそういうことにはなるんだろうと思ってたんだけど。それでもなんでかデニーズいくって言って聞かないんだからさ、しょうがないからたまに付き合うわけよ。なんか最近お父さん、幼児化してきて、言うこと際限ないのよ。あれって長男で第一子の癖にさ、私の弟とおんなじくらいみっともない独り言みたいなことばっか言ってさ、なんか絡んでくれるのを待ってるの。私の悪口とか目の前でめっちゃ言うの。「そんなことない。」とか言うと嬉しがるから黙って聞いてるとさ、どうしてそんなに愛想がないんだ、とか、言うわけですよ。めっちゃ愛想笑いしてんのに。「いやいやいや、最近は天気が悪くて困っちゃうねえー、にやにや。」みたいな愛想笑いを一時間以上続けてるのにね。
 でね、「お前の言うことは昔からわけがわからんか、そうでなきゃ屁理屈ばっかりだ。」って言うわけです。それに「お前は文学かぶれのただのクズ。」って言うわけですよ。別にいいんだけどね。んなわけないと思うよ。私なぐられるからお父さんの前で屁理屈とかわけのわからんことそんなに言わないもん。だいたい黙ってるもん。ね、こんな感じで笑ってさ、もしくはなんか思いついたような無表情でさ。僕はあんなひどい時でさえお父さんの前では泣かなかったんだぜ。あんなに馬鹿らしいこともお父さんの前では声を立てて笑わんかったぜ。まあむかつくのはわかるけどさ。お父さんに外見が似てないのも気に触るってよく昔言ってたけどさ、いやわかるけどさ。お父さんはなんでも疑わなきゃ生きていけない人なのですよな。
 なんかたぶん全部屁理屈なのかもね。そういうことって言っちゃいけないんだろうけどね。実際お父さんの事とか理屈で語ってもなんにももはや解決できないしさ。
 お父さんは右の顔だけ笑って言うんだよね「おじいちゃんが言ってたのか?しかしそれは詭弁だよ。あんなじじい。なあここ、たばこ吸えないのか。」「吸えないよお父さん。」「ああ?ちょっとお父さんはたばこを吸ってくるからな。ゴホン。」「うん。」
 お母さんのお父さんを馬鹿にしやがった。
 くそがあ。
 別にいいんだけどね。おじいちゃんに直接聞こえるわけじゃないしさ。けどむかつくじゃねえか。好きかっていいやがって。あんただって若い頃のお母さんに「それは詭弁よ。」とかってよく言われてたじゃんか。お母さんに私が似てるからっていって腹いせか。
 べつにいいんだけどよお。チョコパフェ頼んでやろーっと。

あーつまんねーなみんなつまんなくなって

3月29日

 私はなんでもないときに他人に体を触られるのって嫌いなんですよ。
 
 要は、「あんた私の心も頭も分かんないから、体触るんっしょ。」と思っちゃうわけですよ。たぶん「わたし君の心も頭も分かんないから、体触ります。」って言ってくれれば、まあそんなこと誰もいわんだろうが、「あ、…そうですか、じゃあこの辺でお願いします。」って感じで私は受け答えると思います。けど、なんかこう、お互いに大して習慣化しているわけでもないのに、触られるっていうのは、いやなもんすね。

 てめえは触ってんだろと言われそうですけどね。なんかここでなんで私からは触ってんのかという説明をすると本気で友達いなくなるので説明するのは止すヨ。
 たまにいるじゃん、なんか男とかでさ、「ここで肩さわっときゃなんとかなる。」みたいな、いるじゃん。そういう風に企んでるということを、隠そうとしていない男っているのもたまにいて、まあ割とそういうやつらを私は好きなんですが、バレてないと思ってやってる男、私は分かってるからな、という感じね。そういうのに流される欲に理性の勝ってない女の人たち多くて素敵だね。
 かんけいないんだけどさー、今日ちょうかわいい子いてさー、しかもなんか私よりうまく話すしさー…
 一見、私は自分がうまく喋れないことに関してかなりこだわっていて、うまく喋れるように見える人を闇雲にほめたたえているように見えるかもしれないけど、その中で本気で私よりイイ!と思ってるのなんてごく一部であるよ。なんでも理屈っぽく話せたり、なんでも感情に正直に話せたり、つじつまの合わないことをやたらと正しい筋道のあることのように話せたりする人が、話すのうまい人、と言われたりしてるけど、私が好きなのってなかなか難しいんだよ。なんでも解体してみちゃうからさー。

 あ、うお、焼肉食べに行く約束の時間である。帰ってからまた書くかもしれないです。ではね。(なんかえらそう。ふふふ。)

3月19日 ここで灯台
 
 たまに偏ったこと書いてるときもありますが次の日になったら違ってることもあるので、気持ち悪くっても長い目で見てくれると嬉しいです。あと、みんなおはなみ行こうね!もう咲いてきたみたいです。
 
 ところで私は文章書いてる時は割と過激な言葉遣いをしますが、文章でも「死ね」とかそういうことを私はあんまり言いませんね。会話でも言うわけがないです。言ったとしたらその時は酔ってたのです。誰かが「死ねばいいのに」と言っても「まったくそうだ。死ねばいい。」とか言うことはないですね。「あはは」とかそんなもんですね、私の反応は。まあそういう教育を受けて育ったからなのです。
 いや、だからなんだってことはないのですが、さすが幼少期の教育というのはすごいな、と今日突然に思いまして、こないだ会った時一緒に喫茶店でクレープを食べた友達は、クレープを食べるのが下手で、いや、別に世間一般の人の中では普通だと思うのですが、私と比べるとヘタで、彼女はいつも屋台のクレープを小さいころから食べていて、私はレストランとかホテルで皿にのったクレープを食べていた。
 だから彼女は皿にのってるクレープを食べるのをヘタで、私は上手、で、しかも私は屋台のクレープもうまく食べることができる。それは小さい頃はホテルやレストランで大金を払ってクレープを食べていたが、大きくなってからは学校帰りにもっと安いお金でクレープを食べるようになったから。
 まあクレープがなんちゃらとか、そんなのはどうでもいいけど、そのどうでもいいところが両方できる、とか、色々できる、とかいうので友達って増えるし、ちょっと魅力的だし、楽しいし、とにかく色々やってみたことがあるほうがよいと思う。
 たとえば私は「私が住んでる所には心の明るい人がいてほんとにうれしい。」と書くことがあるかもしれないが、私はここをよいところだと思うのと同時に「留学はさぞ刺激的で楽しいだろう。」と思っている。「こんな狭い世界に満足してはいけない。」とも思う。それは普通のことだと思うんだが、たまに「この街が好き」ってなると恋は盲目的なことになって、町の写真を撮ったり、歩いたり、宣伝したり、そういうことに人生を擦り減らしまくって、そこにブルドーザーやクレーンがやってきて都市開発を始めると「はっ」とするというような人がいる。私はそういう人がいるのを面白いと思いながらも、自分はそういう人にはなれないんじゃないかなと思っているし、そういう自分が死ねばいいとは思わない。だから大学というところが研究するところだって言われた時に、研究するってことなら、ずっと研究の対象を好きでいなければならないんだろうと思って、だから私は大学生をちゃんとやれる気がしない。
 まあ大学は行くけどね、やんなっちゃうんじゃないかなって思って。
 ちなみに今日の日記も起きてから十分くらいで書いたやつです。私の低血圧もだいぶ治って来たってことです?

明日は朝下高井戸に行く。それから祖師谷に帰る。

3月28日 寝坊の言い訳

 この世に朝が来なくなったら、寒いのが嫌である。
 花が咲かぬようになるのも、稲が育たぬのも、つまらない。こまる。
 しかしそれを心配しなくてよいと言うのなら、夜だけがある方が気持ちがいい。
 そろそろ朝昼夕方、そういう景色は分かってしまった。いまは夜をもっと知りたいから、眠るのが嫌だ。私が知らないのは夜だけであると思われる。しかも夜はとてもよさそうである。雨が降るのも雪が降るのも、星が見えるのも夜がいい。
 明るいところで見るものが近頃うるさくてしかたない。実際昼は人が騒いでうるさい。
 町も木も花も、輪郭だけ見えればそれでよい。花なんていっそ香りだけでよいよ。花の香りは、生き返る。
 東京に住んでもどかしいのは、自然の音が濁って聞こえること。私は例えば松の葉が風に吹かれるのを、純粋なそれの音として聴いたことは、たぶん一度も、まだない。
 ああしかし、夏の昼間は、たまに、これこそがと思うときがある。死にそうなのがよい。死にそうに暑いのに、人恋しくなることがあり、坂など下りていく。ふと日蔭があって、懐かしい人に会ったようになるのがよい。
 東京の野原は、決して膝の高さまで草が茂るということがない。草の根元を分けて歩く猫の尻尾はいつも丘の上から見える。夏もそんなものだから、公園に行っても、プラスチックの上に座らされているような気分で、そういう公園だとか野原だとかいう場所は、本当につまらない。土も本物かという気がしてくる。実際お台場だとか、ああいう場所にある土は、きっと土ではないんだろう。私は猫やミミズと一緒にだまされて、プラスチックの上にコンクリートの箱を立てて朝と夜はその中で眠っているのかも。
 とにかく、冬や、春、秋は夜がよい。人にも優しくなれる。
 近頃は貧弱な竹林を見つけて、捨ててあったプラスチックの机を拾ってきてその奥に置き、そこでほうじ茶を飲みながら午前を過ごす。夕方には神社である。徘徊老人のような過ごし方だ。
 竹林にいると、時々吐き気を催すような殺気を背後から感じることがあるが、そういう霊感の類は、積極的に無視して鈍感にならねばならないと思っている。ちなみに竹林の道でなくなった道を行くと、途中から二つに分かれており、一つは空き家に、一つは墓地に通じている。私はその空き家に、興味があるのである。もう一月ほど観察しているが、まるであの家の敷地には、風も吹かないような感じだ。

3月27日 なんだかんだいって自己犠牲臭がするところを改善すべき。
 
 ノンポリ大学の記念すべき初講義の録音を少し聴きなおしていて、
 はるき(一緒に講義受けてた子。後輩。)と芝浦先生にはほんとに悪いことをし続けてるな私は、と改めて思いました。
 つうか当時(去年の10月2日)の自分はほんとなんも喋んないねー。重いね。
 つうか私の声たまに芹沢さんに似てる。髪伸ばそうかな。
  
 この当時の私のことを思い出しながら聴いてたら、泣けてしまう。それにはいろんな理由があるけど、まずは当時の私の辛さを思い出す。それをいま結構違くなってしまった人間として見て、ああこれは酷いな、辛かっただろう。それにしても酷いな、と思って、これ、講義受けて帰るときほんと死にたかっただろうなと思うと、すごい生きづらい地点からは抜け出したな、という感じでありますが、やっぱこのころは幸せでもあった。
 工藤がこんなにくそったれな奴で、人間的な反応も示せない物体でいても捨てられないような時期は、もう来ないだろうし、他人と接していたいなら私は二度とあそこには戻ってはいけないんだろうね。私はある意味気持ち悪い人間で、自分が苦しくてたまらなかったところにもう一度戻りたいと思うことがよくある。戻ろうと思えば戻れる道をいつも用意しているつもりだし。けどまー、あのころの苦しさは並大抵の苦しさじゃない。だから詩を書いてたのかなあ。
 なんにせよ、あのまま大人にはなれない。
 素晴らしい人に会えてよかったね工藤。一生かけて恩返しせいよ。ただし染まればいいというものではない。周りを見て。ってこの一歩引いて見るところが昔からさめてるとか人間不信とかかわいくないとか言われるんだが、あの家庭で育ったらそうなるて(笑)
 ちなみに去年の私は人間不信でかわいくなかったかもしれないが、今は別に人間不信ではない、とは言い切れない。人間不信とそうでない人の境目が分からんし。まあかわいくないのは確かだな。かわいくてたまるかっての。かわいくもなれるようにしたいけど。
 変われなくなったら日記なんか書きたくないかもなあ。
 
 はるきはほんとすごくて大好きなんだが、ふと起きぬけの布団からがバット起き上がった瞬間なんかに、浅はかにも「こんのにくったらしいガキ!」とかって思ってしまうのは、やっぱ私にないものを持ってるからで、だから大好きなんだよねー。デレデレ
 私は好きだ!

ほんとのこというと今文章にしてまで書きたいことなんて何にもないんだけどたぶん後で書いといてよかったって思うから頑張って書きます。読んでくれてありがとです。
 同級生や変な方面の友達が見てるって言うのは全然楽しいんだけど、師と後輩(とくに千歳船橋に住んでるやつ)が見ているのでちょっと書くのだるくなるときもある。
 やや体調悪い。
 あー、なんかかきたいものがあるとしたら、ものすごく愛にあふれた親子の話とか。いやおふざけじゃなくてほんとにね。「愛にあふれた」とか言ってる時点で少し胡散臭いね。でも風景描写とか、ものすごく本気でやって。でも自分が親子をどうやって書くのか想像できない。修行不足。そして私はお話が書けない。そして私は感想も言えない。まだまだ全然だめな奴だ。その不器用さが良いとか言ってくる人を私は一生、世界で一番好きにはならないだろう。
 そういえば本を拾って古本屋に売る商売はもうやめることにした。理由はお母さんに見つかりそうになったから。やめどきかなあと思うから。
 
 そういえば私はホームページをやって居ながら、みんなが私の日記を見てるということをいまだによく分かってないんです。同級生の多くは私の書いてることがよくわからないと言う。よくわからないというか字が多いという。ってな感じだからそんなに緊張してるってわけでもないし。デザインも考えなきゃいけないのかな、文字ばっかりだとだめなのかな、とかも思うけど、あんまり本気でかえる気がない。でも、こうしたらもっと見やすいとかいうのがあったら教えてください。もっとうまく文章書け、とか。自分でも大いにそう思うので。

やや やや やや やや やや

3月26日 成★学園のおしゃれな連中
 
  校長先生は卒業式のスピーチでで陸奥宗光のこと「陸奥みつむね」とか言い間違えた。校長先生ぜっこうちょうだな。
 学校長がおやめになったからぜっこうちょうは進化してがっこうちょうになるんだろうか。
 ノーコメントで。
 化学の先生の言ってることが嘘じゃないなら、成★学園高等学校の卒業生は同窓生と結婚する率がかなり高いらしい。ノーコメントで。
 私の代の卒業式は水鉄砲持ち込んでもいいのかなあ。持ち込んでもいいけれど使わないでくださいとか言われそう、プッ
 学校長とかもはや石油王みたいなもんだよな。あっはっは。
 黒塗りの車に乗ってきたらいつでも十円玉スタンバイ。
 もしかして将来教師になったら成城学園に戻ってきてぜっこうちょうの恥ずかしい話をぜっこうちょうにしてぜっこうちょうと仲良くなってぜっこうちょうとオレンジジュースくらいのみたいもんだ。ねがわくばぜっこうちょうの座がほしい。あーブッポウソウ。
 兄貴の文章が載ってるっていうから「読書のすすめ」(とてもむかし学校で配られた薄い本)を探したけど、なるほど捨てたようだ。全部読んだはずなんだけど、捨てたということは、べつにその文章はそんなに好きじゃなかったんだと思う。うん。なぜかなあ。なんかたぶん、当時の私は、あれを読んで酷く疲れたか、そうじゃなければ「テンションたけーな。」と思ったか、「この文章書いてる人の名前、どこかで見た。いまはめんどい。」とか「紹介してる本が高価すぎる。ふざけんな。」とかって思ったんだろう。
 当時の私は今ここに私が書いている文章をみたら、「いまはめんどい。」と思うか、「放送大学で喋ってるおじいさんせんせいくらいトロい。」と思っただろう。
 今の私が当時の私の前に現れたら「え?何があったの。」って感じだと思うがぶっちゃけ現われたくない。なぜかって、私はいつもやる気とか負けず嫌いとか、絶対やりとおす精神のスイッチが入るのが突然で、しかもきっかけがよくわからなかったりするので、今の私を見て変な方向に私のスイッチが入っちゃったら、っていうかなんかだめだよ、絶対今の私を見たらそれを当時の私は避けようとするし、そしたら絶対今と同じ人を好きじゃないし、ヘタしたら誰のことも好きじゃなくってお母さんのこともお父さんのことも弟のことも大嫌いなままで、もしかしてとっくに殺してるかもしれないし自分が死んでる可能性も高い。
 私は拾ってもらったんです。そのことを忘れちゃいけない。そして自分を拾ったのだ。

3月25日 鳥
 
 私は近頃、家の裏庭的な高台の神社に毎日少なくとも一回は行くのですが、別にお祈りするというわけじゃなくて、いつからかわからない朝早くから必死でお祈りしているお爺さんを見たり、神社の裏の倉庫の裏のじめじめしたところにいる、どこから来ていつからそこにいるのか分からない車いすのお婆さんを見たり、水や木造の社務所を見たり、また社務所の縁側に腰かけたり、よくわからない位置に落ちている電球を拾い上げて磨いたり、不気味なくらい建物のたっていない、たぶん今から道路になる場所に、神社の階段を下りて飛び出したり、芸術的な配置で立っている死にそうな松や死にそうな林や豊かな竹林や、私しか買いに行かないんじゃないかってくらいの目立たない直売所(ここらで母の好きなルッコラを扱っている直売所はここだけ)を眺めたり、フライドチキンを食べることもあるし読書をすることもある。公園が隣にあるのでブランコもよい。ジャングルジムもよい。ベンチもよい。
 しかし今日歩いて行ったら不気味なくらい空が広い建物のない場所は一層寒々しく、木は一層死にそうになっているように見え、いつもいるお婆さんはいないしお祈りのお爺さんは昨日より必死だった。しかも彼は新しいスニーカーを履いていた。お爺さんの頭の周りには異常な数の黒い鳥が飛び交い、その中の何匹かはどこでもらってきたのか分からないパンのごちそうをくわえて目を輝かせている。こんなことは今までなかったはずだ。おおお。
 ああこわかった。
 そんなわけで私は逃げたが、振り返った時建物がひとつもない空に雀が大量に飛んでいて「すげえ」と思いました。明日はその何にもない場所の写真でも撮ってアップできたらな、と思います。さらに恐ろしいことになってたら無理だけど。三脚ほしいな。

3月24日 自信について
 
 自信というのはどこから来るんだろう。自信をつけるためには
 母は外国語を学ぶことだという。そして留学することだという。
 父は独立することだという。留学もまた効果的という。よい大学へ行き、よい就職をし、高給を稼ぐことだという。
 母の父はどうだ。あの人は何も言いはしない。なのにあの人はきっと寿命まで生きてゆけるのだ。恥ずかしさとは全く無縁のような、戸惑いともかけ離れたような顔をなさって、でもちゃんと人の心を持っている。
 確かに彼はいろんな国の言葉を喋れるし、留学をしたし、よい大学を出て良い就職をして高い給料を稼いだ。でもそれは、父が言う一連のこととは違うのだ絶対に。
 祖父は支えてくれた人、育ててくれた人に、あんなにも自立しながらも感謝して生きてきた。成長してきた。
 父は自分のために育ち、生きてきた。それゆえ何もかも気が向いたら壊していく。
 祖父は壊されても壊さないのだ。
 幼稚なことは最も恥ずべきことかもしれない。
 祖父には自信なんて呼ぶものはないのかもしれないな。若いうちにしか心の底からは使わない言葉かも。
 私が今文字で書いてあるものの中で一番気になっているものは祖父の日記である。それに比べれば別に他のものは読めなくってもいいのだ。結局文字で書いてあるものなんてのは、人生の一部にはなりえるかもしれないけど所詮作品なんだから、日記であっても小説であっても、直接見たり直接話を聴いたり眺めることに比べればたいして興味を持てない。だけど祖父の人生の一部なら見たい。
 私は自信がほしいけど、自信とかいうもので道を狭めたくない。本物の自信を持っている人を、私は見たことがないし、一番間違えやすいものの中に入るだろう。
 
 まあ起きて三分後に書いた文章なんてこんなもんだ。なぜ起きてすぐにこれを書いたのかよくわかんないけどお父さんに対してキレてるってことは確かだわ。

3月23日 サタデーナイト
 
 寂しいとかいつも言ってるけども、自業自得なのです。
 友達はたくさんいるのに友達と会うことをしない。お付き合いしたい人はたくさんいるしそういう人と仲良くなる機会はいくらでもあるのに、まあ要は怠けているわけであって、だったら寂しいとか言うな、なのですがね。部活やっといたほうがよかったなー。ほんと私は勇気がなくて困る。
 しかしまあ、寂しいと思わなかったらこんなに日記とか書いていないだろうなと思います。
 サーテ、
 こうなったら花見だ。このままだと人との付き合いもなく、停滞した友情と好意と悪意があるのみで一向につまらないから
 さっさと大学に入ろう。←ウワー
 受験って邪魔じゃないか
 楽しいけど
 受験がたのしいというよりは切迫した状況でする勉強がたのしいんだけど。
 母が「大学に入ることをあきらめちゃだめよ!!」って割としばしば言ってくる。母子家庭の典型的お母さん。
 もちろん彼女の言ってる大学ってのはその辺の偏差値低い大学なんか含まれてないからね。マーチとかしらね、って感じだからね。こないだお父さんと電話したら「マーチって何?へえ、今はそういうふうに言うんだな。どういう大学が入ってんの?あー…ふーん、どうりで俺が知らないわけだね。」って言ってたYO!
 まあそうですよね。正しい反応だ。
 一か月前までなんで東大受けないんだふざけてんのかって言ってたからね。ふざけてねーよ。うちのお父さん普通に私のこと「文学かぶれのただのクズ!」とか言うからね。とってもひどい。気分はもう戦争。
 一年生の時に出した進路希望書、あれに日大の映像学科て書いてあるんだけど、なにかがあってあれがお父さんのとこに渡ったら酷いことになるな。映画撮りたいなとか思ってたんですよ。まあ。なんかもうちょっと楽観的に考えてたというかパーだったから。とにかくお父さんは少し勝手が過ぎる。私が優しいからって。

3月24日 AK臭
 
 私ってかわいくない子供になってきたなあ、って思ったらもう17歳だもん大人なんだね。 
3月23日
 
 なんだよあなたは。みんなに幸せになってほしいとか言いながら、あんなにあなたのこと好きでいてくれる人を寂しくさせて。せいぜい結婚でもしてその相手だけでも幸せにすべきだ。きついこといっちゃったあらー。

3月22日 ずっと

 お父さんが人間として未熟すぎて、もしくは退化し過ぎてて虚しいです。とか思いながら祖師谷のブックオフに行って、漫画のコーナーを眺めていたら、「気分はもう戦争」とかいう漫画があって、あれなんかこれってどこかで見た。と思ったらお父さんの部屋のダンボールの中に入ってた漫画なのでした。買おうかとちょっとだけ思ってやめた。
 汚いななんか。こういうのはよくない。ださすぎるんだよありえないだろ。
 
 午後、元彼の今彼K君がご飯食べさせてくれるって言うからそのまま自転車に乗って下高井戸まで行き、和菓子屋の上の彼の家で八宝菜を食べる。これ非常に美味。わたしとても喜んだ。帰りに真っ赤な和菓子をもらう。K君のママほんといい人。ありがとうありがとう。いつだったか私が体育着を袋ごと商店街に落とし物した時に洗って干して次の日渡してくれた。おばちゃん年取ったなあ、と思ったらちょっとお世辞言ってしまった。
 それから再び自転車を出して、経堂で元彼を拾い、祖師谷大蔵でカラオケする。K君がムックとか歌ってて、「そういうの歌うんだー。」って言ってたら元彼が「上手いよね。」って笑っててずいぶん寂しくなって、「これはいけない感じだ。」と思いながらカクテル歌って、上手く歌えなかったけど、そういう問題じゃなくて「おいおいこの雰囲気!」とか思って硝子の少年歌って、「やっちまった」とか思わないでもなかったけど、元彼が「どっちなのよ。」って言ったらKも笑ってたからまあいいや。もちろん元彼は懐かしのあの曲で締めっ
 
 それから三人で神社に行ってでれーっとして、お互いにアイポッドとか交換して、ちょういちゃいちゃして、こないだおなか壊した話とかして、なんでか下北沢に行くかねとかいう話になって、いやまじ、それだけはないよ嫌だよと言ってやめて、だって学校の友達にあったら嫌だもの。とくにA子とくにA子とくにA子!
 あの二人はとても広く温かく思い合ってていい感じ。すきすぎておえってなる。ここまで書いて思ったんだけど、私Kにここのアドレス教えたわ。まあいいか。
 私も彼氏とか作ればいいんですけどね。なんかラッド好きとかルーキーズかっけえとか言ってるやつが多すぎて、たぶんちょっと無理があるし、そのへんで作った彼氏を連れて、K君たちとダブルデートできるかって言われたらなかなか無理だしね。そもそも彼氏できたら師匠にそいつ紹介できるのかと言われたらテキトーにはできません今となっては。中学生で男の子と付き合うのと高校生で付き合うのとでは結構違うしな。
彼女はもうやめる。と思う。

リンクページを充実させようと思うのでブログとかやってる人でリンクしてもよいという人は教えてくださいな。一昨日嫌なものを見て日記を書く力をなくしたので更新できませんでしたすみません。今夜書きます。かならず。

レンホウさんうぜーぐはーラッドのくそやろーちゃんとそれについて書く気も起きないぞ。ものすごく苦笑い。
 
水道水が飲めなかったら我が家の人は何を飲めばいいのか。息を吸いたい!

3月21日
 お母さんはいいなあ
 昔好きだった人の子供である私がいて。
 しかもその私はお母さんが大好きで、
 しかも私はお父さんより賢くて、
 思いやりがあって、
 もう十何年間もずっとお母さんと一緒にいて、
 お母さんを大好きで、
 お母さんが今よりきれいだったときのことも知っていて、
 お母さんが忘れてもお母さんの昔の話をしっかり代わりに覚えていて、
 お母さんが好きになった人を知っていて、
 これからもずっと私はお母さんが好きで、
 私はずっとお母さんが好きだった人の子供で。
 そしてお母さんの子供でもあって、
 私は羨ましくて仕方ないよ。

3月20日
 
 今日はお母さんが弟のゲーム機をとり上げていたよ。
 こんなひも大学に入って一人暮らしでもして後で読み返せばいい思い出なんだろうか。
 わかんない。けど楽しみだからちゃんとやる。
 四月中に色々終わらせなくちゃいけないことがある。まにあわん。ひっしだ。
 おとうと高校行くのかな。わからん。楽しみとも言い切れないけど来るんだからちゃんとやろう。
 たぶん来年からすごく大変だと思うけど、やるしかないし、やりたいから、やるべきだから、やるよ。女だしそれもしょうがないし。
 幸せとかいうのは良くわかないが、よくわかんないどころか、私が幸せとか口走ってる時は上の空かそれとも幸せというべき時だと考えてるだけかのどちらかでしかない気もするが、たぶん何人かでいたら、その全員が幸せでなければ、そこに本当の幸せはないんでしょう。そのほかの不完全な誰かだけの幸せをみんなの幸せだと思ってしまうのは失敗で、間違いで、幸せはかなり貴重で、純度が高い、狂おしいほどのもので、そんじょそこらの薄汚れた気分のなかに味わえるようなものではないんだろう。
 何年たっても振り返れば、幸せで正しかったと思える、そして考えられる過去の瞬間を分かち合える関係はいいかもなあ。
 でもそんなんいらないかも。
 というか幸せってなんだろう。手抜きの表現のように使われてる気もする。
 
 それと、私が「○○って言うべきだ。」と思ってる時は、だいたいそんなでもない時なんです。「え、そんなこと言わなくても全然いいじゃん。」って。
 弟がぐれてるからもうほんとだめだ。家が煩いぞ。
 私は柔軟性と行動力を鍛えていこうと思う。

3月19日
 
 恐ろしい事に、きのうの日記、いつ書いたのか覚えてない。私が書いたんでしょうか。多分私が書いたんですが、だって私の句読点の打ち方だから多分私が書いたんですが、なんかきのう酔っ払ってたぽくて、プラダを着た時に悪魔に心を奪われました―みたいな感じで、なんだろう、ものすごい嫌です。きもいな。
 教訓として残しとくけど。すいません。プラダを着た悪魔みたのが悪いんだろうな。

 まじほんと、あーゆーの書くんならやめたほうがいいんですと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

3月18日

 一寸おとなになっちゃったよー
 どうだい世界が輝いて見えるだろ
 みえるかぼけい
 
 あーまじ、もういやだ。戻せないもんか。受け入れるだけってか。
 はっはっは。

 んな馬鹿な。私がそんな簡単に子供を手放すわけないだろう。
 ど、ど、ど、どうでもいいねもうね。どうでもいいからこそふらふらどっか行ったりせずにたった一人を見ているべきなんだろうね。結局失敗する女の子の秋は、そんな日に芯からどうでもよくなっちゃって、もう取り返しがつかないところにしがみついちゃうから汚くなるんだよ。
 銭湯に行って、放心、ふらふらしながら道路に出て、あかにしを凹して、家に帰って悪いけど呑んで、髪をザックザック切って、そろそろ孤独感が表情に表面化。だが私はまだ貞操も「初めて付き合った券」も守り通す気なんで、それどころか「初めて手をつないで歩いた券」も守り通すので、だめですだめです。だがいったい私は誰を待って、いつを待って、何を待って、いるんだと、思う?
 うるさいんですよ。
 あーあ、私は何を言ってるのか。 泣ける。
 
 でもきっとこの孤独感は思春期と関係していると思うんだよね。恥ずかしながらこれは主になんとかっていう欲と関係してるんだと思うんだよね。だって別に私は完全に孤独というわけじゃないんですもんね。
 いいか、さあ勉強。つうかほんとのところ勉強って何だ。弟に古文の問題集踏みつけられて萎えた。おやじも毎日電話してくるんじゃねえよ。「なっちゃんワセダ受けるの、ケイオウ受けるのー?」って聞いてくるんじゃねえですよ。「なっちゃん」とか…「早慶」とか…はっはっは。受けませんよ。やだね私を誰だと思ってるのか。お父さんと同じ大学に行くわけがない。なぜなら、お父さんがよろこぶから。はっはっは。
 嫌だもうほんとに。泣けばいい。大学へ行くとか、俗になる。かもね。
 親に対する無意識の怯えと、勉強に対する狭い妙な接し方が私をこんなにくそなやつたらしめているんじゃないかと思う。
 ちょっと変なかんじでアナログなタイプのENGLISH−JAPANESEが崩壊した。もはや今日はなんもかもテキトーだ。これどうやって接着したらいいんだ。
 
 読書
 勉強
 散歩
 
 しばらくはこの三つができてたら幸せということにしようか。いや無理だね。いや、するんだ。この贅沢工藤め。

3月17日 

 春が来て、梅が咲いて、
 道を歩いていると去年のことばっかり思い出して、切ないような嬉しいような優越感のような、恥ずかしいような二度と帰りたくないというような思いや、まあ去年には去年の苦しさがあり、今には今の、なんかがあるんですが、どうも昨日の事より去年の事の方が覚えている。一年くらいたたないと思いだせるようにならないようだ。
 昨日なくした鍵の事は分からなくても、一年前にどこかになくしてきてしまった、あんまり重要でもない求人雑誌の事を不意に思い出したりします。一年経ってから「ああ、あすこに落としたのか」とか思い当たったりする。
 一年前に他人が私に聞かせてたことの意味を今日、スーパーへの道の途中で一瞬にして理解したりする。
 私はいったいいつのために生きているんでしょうね。
 死なないという約束は、いくらしてもいいのだ。
 ただなんかだめだ。さみしい。
 体の中のいとみみずが弱っているに違いない。
 一年前の事は生々しすぎて嬉しい。
 私の書いているもん読んで才能ないってあんたら言うけどね、あんたら言わなくても才能なんてないからね。才能よりこれまでみたことかんがえたこと、やってみたこと、これ大事。才能もなんもないよ。才能なんて優しい人に褒めてもらえる場所にしか存在しえないものなんだと思うよ。才能あるとか、将来物書きになれるとか、冗談で言ってるんじゃなかったら一体何を言ってるの。媚。

3月16日 

 今日は一日中、誰にも聞こえないところで文句ばっかり言っていた。
 
「っくっそ、ちったあ落ち着きやがれ」
「なんてことだ、都会は嫌なところだ。」
「俺は牛乳をいつも通り買いたいだけなんだ!」
「くっそ良い日和に、何が勉強だくそが。」
 
 私は何と言っても、牛乳を手に入れるために隣となり街まで歩きまわった。一つ目のスーパーで手に入ると思ったのに、もう大地震が起きてから一週間もたつのに、十近くもスーパーを回らないと手に入らないんだ牛乳も、野菜も、トイレットペーパーも!
 なんだ東京は。一番いやなところだ。
 別に私はそんなに牛乳に執着しない。
 あれば必ず飲むけれど。
 お母さんと弟が「牛乳がない」と一日に何回も私の顔を見て言うので、私は面倒だと思いながらもそれを顔に出さず買いに行くのだ。
 私はもはやこんな食べ物の無い街では暮らしたくない。なんでカセットコンロなどに群がるのだ。ここは東京ぞ。夜中その辺で寝ていたって厚着すれば死ぬことはないのだ。
 弟はほんとに嫌だな。嫌だ。
 弟は嫌だ。ほんとうに、汚らしいことを言う。何を食わせたらあなるのか。
 弟は何をするにしても考えが浅く、人を傷つける。弟はまったく思いやりにも常識にも欠けている。おぼっちゃまだ。
 私は近頃かなり、飯を作ってやるのが嫌だ。でもきっといい奴なんだよ。

3月15日 疾風暴雨霹靂
 
 弁護もしなければ反駁もせぬ。心中、反省もなければ自責もない。
 そんな人間は、だめだー。
 っとか言っとくのは楽しいし、もっと上手い言葉を考えればもっと痛快。
 だが別にそれで寂しくなくなるわけもない。
 乱暴な光りまくる、残酷なとこを満足させるだけで。

 お兄ちゃんは良いなあ。弟より、お兄ちゃんがいたほうが、なんかそれは、ちょっと望みがあるよなあ。
 
 私は考えてることじゃなくて、思ってることを、思った時に隣にいる人に話したい。疲れちゃうんだもん。


3月14日 あの夏

 昼過ぎ目覚め、私は晴れてる空を見ていた。なんだか秋のような感じがした。タオルケットの上に組んだ指を、ほどいたり組んだりして、どくどく迫っては引いて行く気持ち悪い感じに困惑していた。寒くて脱ぎ捨ててあったバスローブを引っ張って羽織った。
 彼女について思い出していたいと思う。
 宣言してしまいたい。無理だけど。
 あの子は、夏にはいつも私のそばにいるのだ。私と双子のように生き、私の分身のように指先で絡め取るように、会話はまるで孤独を知らないように、こんな肌の寒さを感じさせるようなことは、絶対にしないことだ。
 
 死にたいとか言わないよ。あの夏か。あの夏は苦しかったんだよ。孤独を超える速さで例の人の存在が近づいてきた。それはそれは臓器も何もかも捨ててしまってもすべて取り込んでしまう覚悟だったのだ。言葉を持って生きていける最期の可能性だったと思う。苦しかったんだよ。山を見ても道路を見ても、何一つ悲しいとか嬉しいとか思う暇もなかった。
 便所があんなに怖いと感じたのはあの夏きりだった。
 これまでの面影が涼しい影になって背中をなでるようで、見るたび込み上げた。
 脳みそが左に寄ったみたいに、いつも首をまげて左へ傾けて左の歯を全部噛みしめていないと全部空気が漏れて全然歩けなくなりそうだった。
 表情というものを求められても困ったな。背骨がみっつ足りなかった。
 悲しいことは、もうなんでもかんでもある。悲しい間に良いことがあるような事は、あの夏まで無かった。
苦いものを自分に取り込んでからは、なんとか進化して、行き詰っていた成長を再び始めた。なにもかもの繊細な関係を、前よりは見えるようになったつもりだ。悲しい事と良い事は表裏一体とまでは分からないが、よく見ればそれは、悲しくも、嬉しくもない、ただの風だったという場合、見極められるようになった。
 そろそろそんなことはどうでもよくなっているくらいだ。力を入れずともそんなものを見ることは易しい。
 むせかえるような気持ちを忘れた。妄想に溶け込めなくなった。肉体のむせかえる甘い匂いを作りだせるその心を忘れた。それだけは自分のものにできると言う、冷静になってしまえば何の足しにもならぬ指先の技を忘れた。寂しい。
 私はそろそろ全部なにもかも、生きていける形に収まろうとしているけれど、だめなくらい寂しい。腕の白さ、前髪の肩に触れる感触を覚えている。秋のような気がする。
 地震の後直売所のある神社の石垣に沿った通りを歩いていると、石垣の上から寒い風が吹き下ろしてきて、見上げると松があり、息を吸うと、彼女に会う。夏の匂いがする。あれほどの苦しみと一緒に忘れたものを、今どんな激痛を味わったら取り戻せる。
 彼女に愛されているという、綺麗な映画みたいな、と嫌な奴は言うでしょうが、夜中黄色い電球の下に、その白い足で踏みこんでくる息使いが、冬のような夏のような、割り切った匂いで、やってきて、私は立ちあがって水を二人分コップに入れて、ひとつをテーブルに置く。でも、今年の冬はひとりだったよ。
 言葉を殺さず生きてることには満足するよ。でも冬、ひとりだった。苦しいねえ。君と会いたかったよ。
 もうだめだから、愛されないなりの強い光を、この手に持つことにする。


3月14日 体が管

 だめだ死にそうだ。コンビニにいってもぽかりが売ってないんだ。脱水症状になったら死ぬんだ。
 あーもうすんません。明日になったらほんとにちゃんと書きなおすんで。生きてたら。


3月13日 「好きなのにっ」的なせりふが多いな。

 今日小学校と中学校一年生のときに一緒の学校にいた人から、その子が出した同人誌が届きました。てゆーか別に頼んでないんだけど!十冊も来たんだけど!
 てゆーかぜんぶBL本なんだけど!俺はBLものは読まねエ!
 ばっ…ばかな…こんな…こんなものがお母様に見つかったら……はっはっはっは。迷惑な奴だまったく。
 な…なんだ、この破廉恥なイラストは、死ね!なんだこの…アグネスが怒りそうな本は!
 ショタ…趣味…だ、と!
 
 腹下しました。いやまじで。
 水を飲むと最長でも三十分くらいの間に上から下まで落ちる。水が臓器を通る音がする。多分どこかまずいところに穴があいているにきまっている。私の胃は、腸は、機能しているのか!


3月12日 グッバイ・センキュー

 あまったるい性格とか、幼い性格とか、暗い性格とか、とんがってる性格とか、のっぺりな性格とか、誰かに言われたりしたら、高い塀に囲まれて他のところへ飛んで行けない。自分がそこで終わったらやだ。
 とんがってる性格とか言われて、「そっか私はとんがってるの。」と思って、書くものも喋ることも、朝の挨拶も、全部がとんがってしまったら、あまりにも、臨機応変さがなくって、一辺倒で、金太郎飴だ。
 「お前は素直なよい子だ。」と言われて「ほんとは反抗的で悪い部分だってある。」って言い張って、「悪い子」と「良い子」のどちらかにしか目が向けられなくなるのなら、それはただの反抗期です。
 図面に近付き過ぎ。全体像を見よ。図面に近付き過ぎて、それが図面であるってことさえ忘れたりして、だったら図面が置かれた机と部屋、さっきお姉さんが出してくれたお茶を見よ。お姉さんを見て、お礼を言おう。
 
 「あの人の恋人になりたい」っていうのと、「ううん、違うのあの人は友達なんだもん」って言うところで煮詰まるなら、その前に、「あの人」とどういう距離感、どういう関係でいたいのかちゃんと考えたいものだ。「あの人」との間にある、何を守り続けたいのか、考えたいものだ。
 遠くにいる今でさえ持ってるものは、近付いたってなくすわけない、というのは違うらしいから。
 今まで別々に暮らしてた親子が一緒に住み始めたら喧嘩ばっかして仲が悪くなるとか、そういう話ってきくじゃない?

 生きてると、自然に、「クリームパフェ食べたいけどカロリーが高いからやめた方がよいのか。」とか「結婚したいけどリスクが怖い。」とかいう問題に出会ってしまう。「私はとんがってる性格なのか、柔らかい性格なのか。」とか。
 考えかたを知らないと、そこで悩んでしまう。私は悩むってことが好きじゃない。考えるのは生きていくためにするけど。それだってあんまり好きじゃない気がするよ。何が好きかって、感じることが好きなのですけど、そればっかやってたら死にたいものみたら即死のうとしちゃうし、可愛い子歩いてたら持って帰っちゃうし、生きていけないわけです。
 「クリームパフェを食べるか食べないか。」ではなく、「そっちにあるあんみつはいかがですか。」と言ってくれる人が、気付けない人には、最初は必要なんだと思う。お母さんが昔々あれは太陽だと教えてくれたみたいに。だって長年図面をつんのめってみてきた人は、誰かに引っ張ってもらわないと顔を上げると言う発想がないし、「視界=図面」という環境で成長したから。そしてそこにはずっと、気付く機会が射しこまなかったから。
 「結婚するかしないか。」ではなく、「このまま少し付き合ってから同棲してみてはどうか。」とか「私はとんがってる性格なのか、柔らかい性格なのか。」ではなく、「そんな言葉でまとめなくてもいいじゃない。場合に寄るよそんなの。」とか、可能性は溢れてるよねー。
 まあ苦しいからってこれをやりすぎて、甘ったれた方向に転がり落ちないように。
 
 なんつうか、人生とか日常の規則正しい升目に塗り残しがあると人はどうしたって塗りつぶして安心したいものですが、あえて放置しといて、時が来たら塗るようにうした方がいいときもある。
 息子が生まれたら、お前はどこの幼稚園に入ってどこの小学校へ進み、どこどこ中学以上のレベルの中学校に受かり、そこの高校へ行き、あの大学に入る。そしてちゃんと就職。
 とかって決めるより、「がっこういきなよ」とか言ってやって、「お母さん僕慶応大学に入りたい。」って息子が言ってきたら、「うん、じゃあちょっとお母さんも頑張るわ。」とか言って頑張って働く。みたいな。
 まあどっちがいいのかなんて、人生最後になっても分からないのかもしれないけど。でも、にんげんだもの。

 ってー、こんなこと書いてると「お前ほんとはそんなこと思ってないにきまってるよ。」と言われたりするんですけど、確かに私はこんなこと思ってない時もあるし、思ってない部分もありますが、こういうふうに「考えてる」んです。判断の時には「考えてる」ことを、はみ出しちゃった「思ってる」ことより優先することが多いだろうと思います。なんか「考えてる」ことの集合体が、私の「主義」みたいなものになっていくから。
 もちろんその主義ってのは、「全ての人にやさしく。」とか「人殺しはみんな大嫌い。」とか、そんな視野を狭くするようなものではない。
 私の中の基本的な方針というのは、たとえば、「人の事情を考える。」とか「距離を置いて考える。」とかがそうです。
 その結果「やさしい」とか「人の嫌がることをしない」とか「どんな仕事でもできそう」とか言われてるけど、それは主義みたいなものそのものじゃなくて、主義みたいなものと一緒に生活した、その結果でしかないのです。 なーんて、はっはっは。

3月11日 何を言う、僕は明日が好きだ

 勉強と家事ばっかりしてて地震とか山火事とかおきると、なんかこんなとこにボケっと座ってて命を無駄遣いしてる気分になるあれ。
 小学生の時は自衛隊員になりたくて、中学生の時は巡査になりたかったのはたぶんこういうわけだろう。死にたいとか言うのはよくないって思うが、救いたいって言うのも、場合によってはよくないことかも。
 そういう気持ちの、底のところに何があるのか、そういうことを考えたくないからこそ私は昔から上の人じゃなくって偉い人じゃなくって、ヒラになりたかったんです。それは逃げだし、ほんとは偉くなりたくないわけがない。
 偉くなって孤独になりたくないと言うのもある。
 お父さん見てたらそうなったと言えるかもしれない。仕事なんて何でもいいなあ、親がいなくなったらますます仕事なんてなんでもいい。
 今ぶりを焼いたらとってもいい匂いがして、いらっときた。こんなんやだなあ。みんな無事だと良いな。明日は学校。


3月10日

 地震で本棚の本が根こそぎ落ちて本をかきわけ、座布団を敷き、カップラーメンを食べました。 どういうわけか学校でもらった赤本だけ落ちなかった。
 電車が止まって母は歩いて朝帰りした。
 地震の直後、ドア開けといたら友達が「私死んじゃう」と言って家に入ってきたので「oh…」とか言ってたら彼女が勝手に神聖かまってちゃんの実況中継を見てたので私も見て、「の子ぱにくってるー」とか言って、彼女のブルーバイクで二人乗りしてスーパーに行ったら「商品が散乱しているのでしばらく開店を見合わせます。」とか書いてて、死んだらやだねとか言いつつ、神戸屋に入ってパンを買わせ、家に帰って弟に食べさせ、リビングに布団を敷いて三人で寝て、ボランティア行きたいとか朝一時になって彼女が言いだした。
 やめときなと言ってヨーグルト。ガスが止まってる。
 スカイプにメッセージが溜まってる。が、しかし全部地震と関係ない。いい加減本返せとか、今度家行くから牛乳三本買っとけとか、明日うち来る?とか、こいつらどうなってんの。
 冷めた気持ち。家出の朝と同じくらい。
 まあ揺さぶられたから。弟がびびりすぎてて困る。

3月9日 生

 お年寄りは守るもの子供も守るもの。親は守るもの。
 そんなことあたりまえですよ。
 なんでみんな地方の人は東京さくるんだか。よくわかんないなー。事情があるのはわかるけど。
 
 母が地震で帰れない。
 父は実家にいる。ずっと実家にいる。それで私は安心。
 弟をどうにかものにすることを考えたら自分のことなんかけっこうどうでもいいね。だがしかし、姉は損だ。
 親が死んで弟が独立したら一人で朝は目玉焼き食べてる。
 誰も私に電話してこないってことはまあいろいろこういうことなんだよ。知ってる知ってる。お母さんの電話だって弟大丈夫かって電話だったもんね。
 だから言ってんじゃん。
 愛されている人とそうでない人がいるってこと。
 私は私の行動による成果を愛されてるんだー。
 まじ勘弁。誰か私を利益としてじゃなく、生活の助けとしてじゃなく、裁判のネタとしてじゃなく、普通に愛して心配しろよ。
 
 あーあ私より年下の一部を除いた人たちはみんな私のまねをする。真似すんなし。全部いつかの私だ。思い上がんな工藤。誰もお前の真似などしてない。お前が凡人だというだけで!ああ。もうなにもない。弟は私より優秀にならなくちゃいけない。ほんとにそうだ。そうでなきゃいけない。なんだっていいんだ。

3月8日 愛がかえってこない
 
 「人ラブ!俺は人間を愛している!だからこそ!!……人間の方も俺を愛するべきだよねぇ」
はっはっはっは
別に私はデュラララに興味ない。


3月7日
 私は暗記なんか大嫌いだし字なんか書きたくもないの!
 なんかちゃんと説明するような書き出しだけど何も説明できない。嫌になってるだけだから。
 子供を狭い部屋に閉じ込めて、体が冷えるからと言って窓を閉めて、外の光だけ見えるカーテンの前に机を置いて、本棚には参考書を綺麗に並べ、布団もやる気が失せないように綺麗にたたんで端に追いやり、ポットにお茶を入れておやつも脇机に置いて、「さあここから出ちゃダメよ。勉強しなさい。」って言ったって、勉強みたいなことしかできないよ。うわーん。
 
 私はたぶんちゃんと大学を受験します。ぶっちゃけ大学なんかどうでもいいけど、ていうかよくわかんないんだけど、やりたいことがあって、そこへ向かうには大学を通過しといた方がよいから。それに大学で色んな人に会えるし、色々知るつもりだし。
 まあ実はもう一つ理由があって、「親を安心させるため」ていうのもある。
 もう少し細かいところまで言うとお父さんに見せるためっていうのもある。もっと汚い話になると、お父さんの親戚に見せつける、っていうのもある。
 そのへんは自分でもクソだと思う。
 
 小学校の時私は日能研に通っていて、最初は面白そうだったから一カ月だけ通ってみることにしてたんだけど、そのうちに「もういいかな」と思った。それで「もういいです」ってお母さんに言ったら、ちょっと困った顔されて、後でお父さんに呼び出されて、「続けなさい」と言われた。私は仕方ないからそれから二年間通い続け、六年生に上がる前の最後の塾の授業を受けた後夜の八時に逃亡した。
 それで私の父方の祖母が、お母さんがかけた電話で埼玉から飛んできて、夜が明けるころに私は登戸で警察に捕まった。そのころはいつも財布に二万くらい持ってたのでどこまで行くにも余裕だったが、私は移動することにも疲れてしまって捕まってちょっと安心した。家に帰ると祖母がいた。私はその祖母を好きじゃなかったが、しょうがないから話せと言われるままにわけを話した。
 その晩は祖母と父がずっと口論していて私はベランダに押し込められてそこで寝なきゃいけなかった。朝の11時くらいに目が覚めて、お隣の区議会議員のおばさんが「大丈夫?」って言って隣のベランダから伸ばした手で私の腕を引っ張って起こしてくれた。気がつくとその隣のと隣の家の人も私の方を見ていた。私は瞬時に、父が祖母を殺したんだと思った。それで、わざと何にも思わないふりをして、「何かあったんですか?」と言った。
 父は祖母を殺してなかった。そりゃそうだ。
 そのかわりついさっき祖母が怒って出ていったと区議会議員のおばさんは言った。いまでは随分有名になっちゃったおばさんだ。それから、弟さんが泣きわめいてた、と。私は嫌な予感がした。弟は首の骨がずれちゃったことがある。いつのまにかなってたと言うけど、私は今でも父がやったんだと思っている。殺してやりたい奴だ。
 そういうわけで弟がまた何かされて首の骨をずらしたんじゃないかと思った。でも窓のカギはしっかりロックされてて、家の中は妙に静かだ。目を凝らして見ると床に何か液体が広がっている。ぞっとしたがよく見ると透明だったので、ウイスキーか水か、そういうものだろうと思った。
 区議会議員のおばさんは我が家の事情について、もう十年以上もお隣同士なのでよく知っていた。
 その日は夜になっても中に入れてもらえなかったので私はもうどうにでもなれと思って座っていた。逆側のお隣さんがおにぎりをくれて、それを食べた。夜中になってお隣さんのお父さんが私をベランダから家に入れてくれた。私は次の日の昼にそこの家のお父さんが警察を呼ぶまでそこにいた。警察が来てもお父さんは家にいなかったのでなんにもならなかった。
 弟はやっぱり再入院だった。
 私は相変わらず塾に通わされて、家の方も荒れた。そこに弟がいなくて本当によかった。塾から帰ってくると家じゅうのものが壊れてることもたまにあった。たまにはお母さんがいないこともあった。しばらく私は塾に行くのが待ち遠しくてたまらなくなった。
 何の細かい感情もなかった。私の感情の半分以上はあの時期に死んだと思う。
 「受験したくない。」とある日塾の先生に言ったら、「親のためにがんばれ」と言われた。しょうがないから母のために頑張った。
 でももう一回家出して、ついに塾をやめさせられた。
 お父さんはだんだん薬漬けのどろんとした目になった。
 いまもそういう目で座っている。あの時と同じ場所で、同じウイスキーを飲んで。
 もう語るまい。


3月6日
 長らく更新せずにいてすみません。

 弟と私は三歳違いでありまして、そろそろ弟も私も受験生ってわけですが、二人とも全然勉強しないので、母がそろそろいきなりぶっちぎれまして、ようするには裁判とか色々上手く行ってないらしいですが、とにかくぶっちぎれたのでこの一週間くらいの間は母の目につくところでは兎に角勉強し続け、母が帰ってくると「今日やったものを見せなさい」というので兎に角字を書いたノートを量産し、「ばかやろーこんなことってあるか!」と思いながらもお母さん死んだら困るから弟と二人でやってたんです。
 そんな感じでやってたら、字を書いたびっしり暗記用のコクヨキャンパスノートが二冊もできまして、指痛いし、怖いし、心死ぬしで、なんかもういやんなってまして、老けたんです。ちなみに何一つ暗記してませんたぶん。
 昨日卒業式があったのですが疲れ過ぎて二時間黙って座ってられなかった。もちろん騒いださ。
 こうやって受験生というのはつまんなくなるんでしょう。死にたい。
 もう一人暮らししたい。ちゃんと勉強するから!
 お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化お母さんがお父さん化…あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 私が引っ越したら誰がご飯作るのかね。なんかすごく文章を書く気も文章の技術も落ちている。もともとないようなものだが。  


 

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