夕帰りの子供たち 平成23年4月の日記 前半
4月21日
眠れないので友達のために朗読でも作ってみる。
私の友達に、非常に苛々している奴がいる。いんや、苛々していると言うよりは、追い詰められて、逃げなければならないのに片足首を繋がれているみたいに、いつも「ああどうしようああどうしよう!」とじたばた泣きそうになっている感じである。
地元で幼いころから遊んだが、六歳になり、同じ小学校に入学して、驚いた。彼は一人だけ国語の時間に音読ができないのである。先生にどこからどこまで読めと言われると、彼は最初大きすぎる声で読みだす。しかしだんだん声が震え、片が震え、顔が赤くなり、切れ切れになり、最後には「もう読めないです」と言ってすとんと椅子に座ってしまう。
名前順でいつも私は彼の二つ後ろだった。彼が火照った体を必死で冷ましている頃に私は涼しい声で音読を完ぺきにするのだった。それが六年間続いた。
私は当時けっこう良い声をしていた。私は音読が好きで、みんなが座って音読の練習をするのに、自分だけは練習の時から張り切って立って練習していた。まあその当時から勝手な事に本気になって、勝手な時に興味が失せる、協調性の無い人間だったのだとも言える。
私は小学校三年生くらいの時私の身勝手さはピークに達し、友達らしい友達もいなかった。ただみんな私の身勝手すぎるのを笑って、楽しんでいるだけで、みんなまさかあいつと深い関係にはなるまい、なれますまい、と思っていたらしい。そんな時にも、私はなかなか良い声をしていた。私の音読はなるほどけっこうに鉄壁だった。でもって、先生に何か褒められると、「大したことないです」なんてものすごく反抗的な声で言って、授業中だのに教科書をパンッと閉じてしまった。
まあ私がどこかで、音読というのはどうやってするべきものなのか、知ったか教えられたかしたから、みんなより音読らしくできたんだと、それだけなんだと思う。
だけどあの焦ってばかりの彼は、私のことを覚えていて、彼がパソコンを買うとその中に録音機能がついてるのを知って、私と盛んにスカイプして、朗読を作れと言う。どうやら彼は今でも焦ってばかりで、本も読めず、普通の高校に行くこともできなかったらしい。なんたらかんたらという高校に行ってるらしいが、聞いたんだけど、もう忘れた。
朗読なんて、その辺にいくらでもあるだろうと言ったら、あの朗読者という感じの、雰囲気のこもりすぎた読み方は余計に苛立って聞けないんだと言う。私に絶対に冷静に、雰囲気を込めずに読むように言う。何を読むんだと聞くと、芥川とか、太宰とか、漱石とか、そういうものなら読んでくれるだろう?という。ラノベとか言われたらばさっと断るつもりであったのに、私は断れなくなって、暇な時にな、とかそんなことを言って、それにしてはわりと頑張って、朗読のデータを送ってやっている。彼に頼まれたのがちょうど今年の元旦ぐらいだ。
最近ならわりと慣れてきて長く読んで、送ることができるが、この前漱石の文鳥を頼まれて読んだ最初のデータをアイポッドに入れて聞いたら、よくもこんなものを送ったものだと思うような、酷いものだった。あれについては彼も「文鳥は朗読するにはつまらなかったんだろう」とコメントしていた。こないだ下北沢へ行く電車の中で聞いたら、私のひどさにニヤニヤしちまってだめだった。しかし漱石も、文鳥、元日、自転車日記、うんたらかんたら…と行くうちにだんだん上手くなった。まあ文鳥が一番面倒でつまらなかった。私がどれくらいの苦痛に耐えてくれるか、試されたような気もする。
文鳥のやつは途中でため息が出そうになって、あわてて止めたようなのもあった。
しかしこないだ彼が全部データを大事に保存しているとか言うものだから、私はパソコンからデータを抜いて、ディスクに焼いてしまった。私がディスクに焼いてパソコンからデータを消してしまったら、それは喪失と同じことである。結局ディスクは紛失するのです。
私の葬式にはあれが紛れ込んだりしないことを願う。第一親切でさえないのだ。自分がそれなりに楽しい時もあるからやったのだ。
うんまあそういうわけで、私なりに彼の注文を解釈した結果の得意な朗読…というよりも文字を音に変換したようなやつ、は今でも続いている。
今日みたいな眠れない日に作る。
いま漱石にさすがに飽きて、芥川にも飽きてきたところだが、太宰を読むのはまだ嫌だ。なんでもだ。 失敗園なんて、棒読みで解釈できるかね。ハハハ
朝が来たぞ。今日は学校だぞ。あーあ。
4月20日 群れ咲く
群れ咲く緑
窓の外一面に朝目を覚ますと同時に鼓膜を突き抜け後頭部の骸骨にべたっと張り付く緑。驚愕である。
朝からすこぶる憂鬱の目玉焼きにホットサンドである。
ああ春だと…
まるで夏じゃないかい。
暑さの無いことを除けば、…この雨、…この暑苦しい人々、…この湿気に、…この虫の多さ。
群れ咲く緑
胃にくる響きだろう。
近頃は電車に乗らない。
金がないのもあるし、電車の中で勉強しようとふと思いつき、単語なんか覚えたりするのが嫌なせいもある。しかし一番の理由は、ここのところ嫉妬をしない。まったく一瞬の嫉妬もないということである。私は嫉妬すると電車に乗りたがるという性質のある女なのである。
近頃月に一回は、うどんを食べます。食べに行きます。
店に食べに行くのではない。人の家に食べに行くのだ。
その家の息子が、「うどん、ほら。」というの聞きたさに食べに行く。土産には季節の和菓子が喜ばれる。あのマザコン。彼のお母さんは和菓子が大好きで、私がいつもの和菓子屋の包みをぶら下げて団地の階段をぼんやり上り、インターホンを押すと、あのぎーっとなる音をたてるドアを開けて、あら、と私よりその包みを長く見つめながら可愛らしく言う。息子の年にしてはその母親が若いことは他人の事情。私は気にしないことにしているが、可愛らしい喜び方をするので私もついあまり豊かでない財布から何百円か多く出して三人で二つずつ食べられるように買って行く。たまにはより色の多い和菓子を買おうと、五キロ離れたおしゃれな店に買いに行くこともある。
母親もこれほどなら、女や家族としてでなく、生活を明るくしてくれるものとして大好きになってしまうのも無理はない。
その息子の方は、料理がうまい。母親は食事を作らない。父親は遠洋漁業がなんたらで家にはいない。
今日行ってみたら、息子はヤッパリいつもの調子で、私が、「テレビを見たい」と言ったら「見ればよかろう」。「黒い万年筆がほしい」「買ったらよかろう」「ナツメが書いた正岡子規を知っている?」「正岡が夏目に金を借りる」「うんそう」「和菓子を買ってきた」「知っている」「お母さんが喜ぶね」「ありがとうもうじき帰ってくるよ」
お母さんの話になると私にも優しい。
私と彼がテレビを見ていると、つまらなすぎて私はニュースが見たいという。彼は見たらよかろうという。二分くらいニュースを見て毎日同じことばかり報道するんだなと思って、BSを見ようと言ってみる。見たらよかろうと彼は言う。彼は別にどの番組も本当には見ていないのである。そんなものに集中したりしていないのである。そんなのは、ちょっと気持ちの上澄みのところに反射させてるくらいなもので、執着しない。どうでもいいことに執着しないところが付き合っていて気が楽だ。私に少し似ている。
しばらくしてお母さんが帰ってくる。ぱあっと明るくなる。私までそういうスイッチがうつってしまった。お母さんがいるとき息子は活発で、ばたばたと料理を始め、しばらくして「うどん、ほら」と言っておいしそうなおいしいうどんを出してくれる。
夕方までいて、和菓子を食べる。お茶を飲む。だんだん息子が、早く帰れという目つきで私を見るので、今度から来るなと言われたら嫌だと思うから、わかりましたわかりましたという調子で帰る。
その日眠るまで、私は孤独ではない。次の朝また出かけて行きたくなる。それを一月こらえて、また和菓子を買って出掛けて行く。結局赤い万年筆で頑張っている。
4月19日 黒いお城
松原の家の生活は、陰険で自堕落であった。
お金はある。よい景色もあり、周りに自分の家ほど今風の建物はなかった。丘の上に立っていた。綺麗なガラスが外から見えるように張ってあった。しかし家族に必要なあらゆる目に見えない物が病んでいた。
家のお隣には故細川博士のお家がござった。
季節になると博士の家の塀のところの柿の木から、柿がおびただしく落ちて、道路のアスファルトがオレンジ色になり、酸っぱい匂いがした。鳥が群がって「止まれ」の白文字が見えないくらいであった。そういう光景に私は子供時代、慣れていた。
細川博士のお家の柿を私はずいぶん食べもした。あの厚い塀にも何度も上ったわけである。ただしその当時は、細川博士がどのような人物であるのかは知らなかった。
細川博士のご家族が、博士がお亡くなりになってからもしばらくは庭の手入れなどされていたようで、私が小学校の低学年くらいの頃までは夏野菜など多く育てておられるようだった。
夏場ちょっと油断すると何かの野菜や朝顔の弦がお勝手口の扉の割れ目からはみ出し、もっと油断すると勝手口から道に降りる階段などにも這い出して、黒い石の階段にその緑が鋭く冴えており、私は自宅の玄関を出て、外の空気を吸い、その緑を見ることでひどい身体が生き返るように驚いた。
夏休みになると博士のお家に私と同じくらいの男の子が遊びに来て、きゅうりをやたらめったら収穫するのであった。ハサミがキュウリの茎の上で滑ってかちりとなる音が門を通して往来にせわしなく聞こえていた。
ある時きゅうりを噛み砕く音を塀越しに聞いて、きゅうりだったのかと思った記憶がある。
雨など降ると素敵な土地だった。
通学路の途中で雨が降るとコインランドリーで雨宿りをし、コインランドリーの安そうな金属のテーブルの上にある鯵の缶づめの空き缶に、父のそれとは違う種類のたばこが押し付けられるのを見たりした。汚い格好の男も、裸のような格好で上の階からランドリーに降りてくる女もいた。
つい先日この街へ行ってみたら、ランドリーは薬局になっていた。
細川博士のお家はまだ残っているはずである。
4月18日
籠よ、み籠持ち、ふくしもよ、みふくし持ち、この丘に、菜摘みます児、家聞かな、名告さね。
そらつみ、大和の国は、押し並べて、我こそ居れ、敷きなべて、我こそいませ、我こそは、告らめ、家も名も
酔眼朦朧
少壮幾時ぞ
後生畏るべし
親の意見と茄子の花に千に一つも無駄はなし
嗚呼君たち、一羽のツバメで夏にはならない
当たって砕けろ
かっかっか
わーい百鬼夜行
名言集とかbotだなんて、ああみんな、悪魔なんだろうか。
4月17日
誰にも邪魔されずにゆっくり眠りたい。
いや、好きな人なら邪魔されてもいいけど、
なんだかなあ
誰も私に成功した愛を見せてくれないから、私は何に対しても半信半疑だ。君らが嬉しそうに苦しそうに言うことぜんぶ、それはまだ恋なんじゃないかって思うのです。実際恋なんでしょ。
コカコーラの赤い自販機の前でおじいさんがこけていた。
私はそれを起こしてあげて、コロコロの中から散らばったものを一緒に拾い集めて、坂を一緒に降り、公園のベンチに座って一緒に温かいボトルのお茶を飲んだ。私はおじいさんの水筒に入っているお茶が飲みたかったが、さすがにあつかましいかと思って、おじいさんが買いすぎたと言う串団子のみたらしのやつ、一串もらった。三本で105円の味がした。
誰も私を苦しめない。誰も私を本当には苦しめられないから私は進歩しない。
キットカットのケースとコカコーラの自販機は同じ色なんだ。
国立科学博物館へ行った。弟がいきたいと言うから連れて行った。母が最近連れていけなくてと気にしてたから連れて行った。弟はシーフードグラタンを標本を見てすぐにレストランに入ってガツガツ食べ、私は水を飲んでいた。もちろんセシウム水だ。
おなかは減っていたんだけど、どうもガラス越しに色んなものを見たら気持ち悪くなった。
夜は祖父の奢りでお寿司!
寿司はご飯に刺身が乗ってるだけなのに、すごくおいしいね。
ご飯に刺身が乗ってるのに美味しくないわけがないけど。
「私の幸せはここにあったんですね!」と嘘をついている夢を見た。きもい夢だ。死にたい。
最近の夢は師匠が死んでたり母が死んでたり父を殺してたり弟を半殺しにしたりする夢ばっかだから勘弁してほしい。私はたぶん世界中で一人だけ、母だけは殺せないだろうと思う。本人に頼まれたらわからないけど。
甘っちょろいどんづまりだ。
こんな甘っちょろいことを人に相談するわけもない。結論だけで十分。
なにかに裁かれる。
春に、
どこかで何度も付き合ったような人のことは書きたくないな。それは冬の仕事かな。
もっと楽しい世界に行きたい。おまえらゆっくりすぎる。それに劣化が早すぎる。嫌だ、もう。みんなおかしいんだ。
こんなことずっと書いていたいわけじゃないぜ。日本史資料集か国語便覧にのりたい。
お店でお酒が飲める見た目になった。
滅びゆく僕
愛してるから錯覚同士だ
4月16日
師匠が貸して下さった寄生獣ていう漫画を読んでたら朝になってて、フレンチトースト焼いて食べて学校行きました。たいして読んだこともないのに楳図かずお読みたくなった。
私が漫画を盛んに読むようになったらきっと本を読むのと同じがっつきで読むだろうから部屋が物凄くなるだろうな。目も悪くなるだろう。いまだに漫画の扱い方がよくわからなくて困ったなあ。あんまり読んだことないんだ。
月曜日と木曜日ハ帰りが早い。昼に帰れる。
とてもいい。どうせ一人だから本読むか勉強するしかない。でも学食の半ライス(七十円)プラス唐揚げ(百四十円)を食べてから帰らないとだめだ。結局あの組み合わせが一番安くておいしいからね。飲み物を買っても三百円ちょっとで済む。
さらに図書館で勉強していくとよい。とても良い温度だ。
しかし4時半までしか空いてない。閉館時間が早すぎる。
家へ帰る。弟が床に残留している。
嫌気がさす。知らぬ顔してプリンを冷蔵庫から出す。
プリンはとても良い。ぷっちんならなお楽しい。
ごきぶり二匹潰した。バドミントンやってたら手の皮がむけた。ギャー
ただ別に何も寂しくないし、苦しくもないし、ただいつも頭痛がしているけど、胃の調子はいい。
道で仲良くなった猫に依存しかけていた。あぶないあぶない。ふぅ…
野生の生き物は悪魔だものな。
依存は避けたいものです。人間に依存することはないんだけど、血を分けてあげるようなことはある。血ならいくらでもあるのだから。
ノラ動物相手だと、ついつい油断する。これが危ない。
誰の所有物でもないものに興味があるのかもしれない。ずいぶん身勝手だなこらあ。
指の皮むけたからパソコン打ちにくいや(笑)
4月16日 19日、帰ったら更新します。
4月15日
快晴
本日つひにゆうちょ残高が一万五千を切る。
快晴快晴
利息で喰って行けたなら。
私には行くところがあるのだ私には行くところがあるのだ
春のぼんやりした教室で友人のPCで日記を書いている。まことにつまらん英語の時間。これほど桜が散る。
血を吐くような苦労も私は知らずに生きてきました。仙川の水面が桜に真っ白になって流れてゆきます。この三日は、夜中の川も白く光ります。子供には見えない欄干の下を、私は今なら身を乗り出して眺めています。
ソメイヨシノはもう終わり。八重の季節がやってきます。
学校でもうまくやっています。仙川を見下ろす窓で、指輪をはめたり外したり、お茶を飲んだりしています。十七歳なんて、ちいさい。
4月14日 平成の精神
こんにちは、皆さんお元気ですか。
今日は学校の選択授業で映画を見ました。「スタンドバイミー」って映画です。知ってる人は知ってるんであろう。割と有名だと思います。感想はやたら授業で書いたのでここでは書かない。
映画を見るのって時間食う。
学校から帰って家族とお花見しました。
お母さんはビール、弟はDAKARA、私はお茶で、ピザを持って家の隣の公園でお花見しました。
ベンチに座ってピザを食べていたら弟が祖父母に買ってもらったらしいカメラでイチョウの木の写真をいっぱい撮っていました。
ベンチに座ってピザを食べていたらカップルがビニールシートの上でじゃれてて、気持ち悪かったです。男の人が女の人の腕の上に桜の花びらを並べて、ニコンの一眼レフで撮影しててきもかったです。わからない…わたしにはわからない…
雨が降ってきたので帰って布団をベランダから取り入れて炊飯器でご飯を炊いて、今午後六時。家族三人とも自分の巣に帰って黙っています。なんなんだろうかこの状況。何なんだろうなあ。
私は部屋を片付けて、要らない本を売るためにオオゼキからもらってきたティッシュのダンボール箱にぎっちり詰めた。
原発まだパーンってならないよ。
なんか、「若い人の世界」に自分だけ取り残されてしまった感じ。一緒に行きたいよう。
自分の家のドアの前に住みたい。
分かるかこの気持ち!
なんか私は間違ってたので気付かせてくれた人に一生感謝。
それとは関係なく明日ミニスカで学校行くからね。みなさんお楽しみに。
いや、みんなにしたらフツースカなんだろうけど。
水面でばしゃばしゃ遊んでるような科白を一杯吐くと女の子にやさしくされるYO!
私って水面下族なんだけどほんとはね。
んだよツイッタ―楽しそうだな。
ていうかみんな毎日楽しいんだな。
4月13日
勉強を始めたら死滅していた記憶力が一気に活性化し、先週末に友人と電話で話したことなどを全部再生できるので早くも恥ずかし過ぎて死にかけている。今まで2年間学食に通い続けても覚えることなんかなかったのに日替わりメニューを一カ月分覚えてしまった。二週間後にテストすると言われたプリントを眺めてたら唐揚げ丼食べながら5分で覚えた。はっはっは。今までだったら二日はかかってたね。なんなんでしょうねこの、私をたまに賢くするものというのは。気合でもないやる気でもない。負けず嫌いでもない。強いて言うなら春?
相変わらず数字はだめだがなっ
そういえばだんだん自分の精神状態がお父さんに近付いている気がするので今、ちょう抗ってるところ。フッ…
つーか別にお父さんと同じ精神状態だろうが病気だろうが、そういう風になったって実際の行動が間違えてなければそれでいいんですけどね。精神病とか環境とか言い訳にして謝ったりする人まじないわ。
正しいと考えること軸にしなさいよう。
なんか、模試はやくこないかなあ(笑)
今日は5、6時限目が空き時間だったんだ!保健室に気持ち悪いフリして行って校舎が閉鎖される六時まで爆睡してたよ。カルピスまで出してもらった。緊急地震速報も地上デジタル放送音質で二回聴かせてもらったぜ。
保健室に住みたい。人と話すの下手になってきたからもう受験生。わお。
なんかクラスの何人かが春休み終わったら物凄く暗い受験生になってるのだよ。やだなあ。ったく。
毎日同じおうちに帰るのが嫌だ。おうち持ち歩きたい。
学校
4月(おそらく四月の日記は実のない感じになると思います。すみませぬ。)
29日 休み
5月
2、3、4、5日 休み
24、25、26、27 中間考査
28日 休み
洋服と本を本日から売りまくることにした。ラストに本棚と洋服箪笥を売ろう。
机はおじいちゃんが買ってくれたやつだからだめ。
机は引き出しの裏の見えないところに「死んじゃだめだ」って書いてあるからだめ。この机怖い(笑)
図書館の勉強机が二日連続で満員だからもうだめだ。
節電は貧乏学生にやさしくないのか
明日から六時起き。
来月から五時起き。
そろそろはじめないと後から痛い。
来月、中学校の時のライバルとお茶するのだっ
どきどき
嬉しい。いまさら相手にしてくれてありがとう。
4月12日
基本的にここ五年くらいは落ちぶれて死んでいる状態なので、寝言みたいな日記しか書けませんが、もうちとしたらこれからのこととか書けると思う。
たとえば一年後の今日くらいには何かうまく行かせてると思う。
思えば人生生ぬるかったが、そろそろそんなこと言ってる場合ではない。人生短いからね。
それにしてもやっぱり私はどんな人でも尊敬しきることができない。昔からだ。
だめなところが見えているのにわずかなよいところを盗むためについて行ってしまう。だめなところも愛そうとする。
だからなんか私の好きは自己犠牲の匂いがするのかもしれない。だめな人と付き合うには多少の犠牲はつきものだからな。
もちろんわたしほどにだめな人はなかなかいないのであるが、ね。
私は家族を好きでいなければいけないと思うあまり、常に家族の未熟だったり不憫だったりするところに対して、「そこがまたいい。」みたいに思おうと無理をしている傾向にある。
私には恋愛系の愛も、家族愛も区切りなく、ただ愛としてのみあるような気さえたまにする。こういうことだからほんとに人に好きだとか言うのはやめた方がよいのにね。
それにしても左耳がほんとうにいかれたらしい。耳鼻科だ。
桜が散ってしまう。これまでアップしようと思って立場上アップできなかった日記や気持ち悪くてアップできなかったボツ日記が相当な数になった。特にホームページを始めたころに多い。どうしようかなあと思っている。裏サイトを作ってそこにアップしようかなあ。まあ来年くらいに。
はあ、…模倣と吸収に明け暮れた半生が、そんなにやる気のない君に罵倒されるとは。
4月11日 あさはかくんとおろかちゃん
指摘されてどっきん。すみません最近日記をちゃんと書いていなくて。
母が地震の影響で節電のために出勤せずに長時間家でこのパソコンを使って仕事をしているために,あまり書く時間がなかったのです。今もですけれど、毎日更新したいです。
さあて、5月8日は河合塾の模試である。Z会以外でちゃんと模試を受けるのは初めてですな。というわけで私にしては珍しく勉強をいたそうと思う。
勉強を始めるとだんだん自信家になってくる(受験に効果的なテンションに近付こうとするため)ので、行きすぎた自信過剰日記を書かないように注意しなくてはです。
こんなにずっとだらだらとやっていましたのに、今日久しぶりに会った女の子が楽しみにしていると言ってくれたのでとてもうれしい。ありがとう。書きます。
だけども……勉強してる時の日記ってほんとに書くことなくなるです。勉強を始めるとホントに一日中勉強しかしないで、放っておくと三食ぜんぶケロッグとか食べてセシウム入りの水とか飲んでいるのですぐ病気になります。
過去にも期末考査の前になると必ず肋膜炎になったり肺炎になったりするという時期があって、まあそういうのは、突然蝶を追いかけたりアルコール類を飲んだりするのが楽しくなって腐敗と共に勉強を手放す感じで終わるのです。ありえんやつです。
あさはかでおろかです。
でも今やってもきっと同じことになります。
しかしこうも地震が起きたり原発事故がおきたりするようじゃ、勉強くらいしないとやりきれないじゃない。
どこの大学に行きたいのかというのを聞きたがる人が多いですが、受かっても言いたくないくらいなのであんまり聞かないでください。
しかしどうせ受験料もそんなに多く払えないので学科一つか二つくらいしか受けられないと思います。せっかく払うんなら勝負しようじゃないかというわけで、それなりに難しいとこ受けます。 なんかすでにおかしなテンションだけど。ぬあー底辺。
4月10日 川と桜
自転車を飛ばして放課後午後2時、商店街を走り抜け、環八沿いの荻窪のあたりのサイゼでノンポリ大学の先生と同期生に会う。後から同期生のりくおう氏が来られた。
今年度の抱負を記し、次のポリ大の課題を決めた。
放射能は怖いものであるね。
なんか近頃、寝付けないし脈拍早いし、胃は痛いし、頭も痛くなるし、はっきり言っていやんなっている。でも今日は久しぶりに後輩とも会えたし、ほんとによかった。
チョコパフェとピザを食べて帰った。ずいぶん他人の邪魔をしてしまった。申し訳ない。桜がまだまだ夜の善福寺川の上に綺麗である。
桜がまだ夜の仙川沿いに白く冴えわたっている。
昔なら桜の枝の一、二本、たやすく指で折れたものだけれど、今は折れない。枝を折ってしまうために指先を動かすだけの気乗りがしない。
折れないから、枝の一本一本が妙にみずみずしく、生きて見える。
自分は目玉も肌も、精神も、ぱりっぱりに乾ききってしまったように感じる。どんどん無味乾燥に近付いて行く様子だ。ちょっと色んなことを解決しようとして無理だった。
別に希望がないわけではない。むしろ希望だけは有り余るほどにあるのです。やってみる価値のあることはいくらでもあるのだ。
けれど今まで失敗し過ぎたから、どうしても土台は組んでおきたい。
土台を組んでいるうちに、人生の楽しい季節は終わっていくんだとも思えるが。
土台を組むのも大事だけど、やっぱり自分の土台は一寸おろそかになっても、好きな人たちの幸せを守ってあげたいと思っておる。自分より相手の事を考えておかないと後悔しちゃうからって、怖がってるわけです。いや、そんなもんでもないか。
希望ならいくらでもあるが、何を試しても、周りを明るくしただけのようになる事が多い。
野武士というあだ名の子が、「工藤はみんなの不幸と一緒に自殺しそう。」と言ってたけども、まあ色々思ってみると、自分が最後に取り残されると言うことは、仕方ない事態なんだと思う。優しいからね。みんな理解しようと言う気持ちが足らないんだからね。
自殺なんて人の子だからしないけど。
4月9日
4月10日は都庁の傍でのお花見に誘っていただいたので行って来ました。新宿の怖い公園でお花見しました。さすがうわさの怖い公園でした。とても楽しかったけど女子トイレに並んでいた女の人が延々と友達に自分のストーカー癖について話したり、通りかかった男の人に愚かな言葉をかけていたのでぞっとしました。言葉が汚い女の人っていやね。
私も免疫が強くなったものです。8日の日記を書いた記憶がない。近頃家族のこととても考えてるのです。なんかおとうさんにこのホームページばれたっぽいんだけど(笑)ま、いいか。
ここんとこ文章下手でごめんなさい。
4月8日
私のおばあちゃんは、私が七歳のときの正月に、おみくじを引いたとき隣にいてくれて、まだ漢字があんまり読めない私のために、私のおみくじに書いてある短い文章を腰をかがめてゆっくり読んでくれた。
私はそれまで何度も籤を引く感覚でおみくじを引いてみたことはあったが、おみくじに書いてある文章を読んだことはなく、ただ大吉だったら喜んだり、中吉だったら、ふーん、と思ったり、凶だったらがっかりしたりしていた。
おばあちゃんは私に文字を教えるのにも、食べ物を買い与えるのにも、会話をするのにも、自分の時間を割くことを惜しまなかった。
あの人は細い綺麗な人だった。
おみくじには、たとえ凶のおみくじであっても、なにか心の明るくなることが書いてあるものである。私はおみくじのそういうところが好きになった。
わたしのおばあちゃんは私に文化的で上品な事をたくさん教えたのに、私は過激なおままごととか、かもしかバンビごっことか、野蛮な遊びを好んだ。でもおばあちゃんは別に嫌そうでもなかった。わりとなんでも、「おもしろい」とか「もっとおしえて」とか言ってくれた。私は身内のなかで唯一私の話を私の言葉で聞いてくれる人であるおばあちゃんが好きだった。
私がいまでも日記を書く時に使っている言葉には、おばあちゃんとよく会っていたころ、彼女に教えてもらったのが多い。
「さくら」も、「おばあちゃん」も、「夕日」も、「野蛮」も、「日記」も、全部おばあちゃんに教えてもらったと思う。
おばあちゃんに、「あれがさくらよ」と最初に言われた時、私はそれを「そうか、さくら、なのか」と思っただけだったが、それから何年も春が来るたびさくらを見ると、自分の大きくなるのと一緒に毎年同じ場所に咲くさくらのことがだんだんわかってくる。それでたぶん、中学に上がる年くらいには、私にはだいたい、「さくら」というものがわかった。
さくらが分かる時というのは、とてもすごくて、なんだかすごくしっくりくるというか、「さくら」という言葉が、どうしようもなくさくらに思えてくる。
「さくら」の音の息を口に含むだけで、左手の平の指の間に桜の花がはさまっているようなのを感じ、香りたつさくらの房が生まれ育った町の橋の欄干にかぶさっているのが見える。
そうやってわかったときはおばあちゃんに報告したかったが、わたしがあまりにも遅いので、おばあちゃんはもう病気で話をきいてくれることができなくなっていた。残念です。
「さくら」が花なら、「桜」は木の方だと思う。
なんだかそういう感覚がある。「桜が咲いた」と書かれると「木が咲いた」のを一瞬想像してしまう。それから、「さくらが咲いた」ということか、とわかる。ちょっととろいのである。
私はここ二年くらいで、さくらを一つ一つの花として見るのでなく、あの木の全体に咲いている白っぽい塊としても見ることができるようになった。私の体が大きくなったからかもしれない。さくらを塊として見ることができないと、あれをなかなか綺麗だと思うことはできないのかもしれない。わたしはやっとあれが綺麗だというのもだんだんわかってきた。
けっこうとろいのである。これからもとろとろと変わっていくのだろうね。
私はそういう成長の仕方を嫌いではない。大人がさくらを綺麗だと言うのをきいて数段飛ばしで子供もそれを「きれいだ」と心から思うのはなんだか嘘だ。
きれいとはどういうことかも、わたしでさえまだよく知らんのに、私よりずっと小さい、生まれたばかりのような子供が、誰にも見せない日記のノートに、「綺麗な川、綺麗な景色、綺麗な旅行でした。」とか書いているのをみると薄ら寒い。それはお母さんが言ったことじゃないのかな、と思ったりする。
もっとほんとうを書いてもよいのではないかねえ。
でもまあ、数段飛ばしの大人たちが子供を育てれば、数段飛ばしの子供ができるんだろう。そして数段飛ばしの未来もしくみもできるのだろう。
数段飛ばしの大人たちには、その数段が見えないらしいのだ。どんなに言ってみても。うるさがられる。
私はその数段を含んだ形が好きで、たまらないのに。
数段飛ばしは悲しい。私としては悲しい。数段飛ばしは不安定だし、淀んだはきだめのようなところに落ちてしまうこともあるようです。
歌でも文章でも、自分の歌や、文章があって、初めて好きな歌や文章があるような気がする。歌ったこともないけれど、実は自分の中にいつも持っている歌や、書いたこともないけれどほんとうはいつも握っている文章とか。
経験や思い出や、身近にいる人と一緒にはぐくんできたもので少しずつ作られたそういうものがあれば、まず間違えないと思うのです。 それを踏んでから初めて、他人から出てきたものも分かることができると思うのです。
4月7日
芥川賞受賞した人が日経新聞の将棋の記事を書いていて、朝それを見つけて読んでいた。
私はちょっと苦手だった。 なんというか、私の友達にも将来ああいう文章を書きそうな人がいて、なんかやっぱ私はその友達の文章が苦手です。
その友達は私の文章をいつも読んでいて、直木賞どまりの才能とか別に思ってもないことをいい、私は直木賞なんかいらないよん、と思う。
友達はお金持ちだからお金はいらなくて、賞もいらないような顔してるけど、本当のところは分からない。お金持ちの本物の箱入り娘の心境というのは私にはもはや分からん。
あーあ、芥川賞とると羽生さんと対談できるのか。はぶさんなんてわたし、遠くから見るだけでちょう緊張すると思う。
4月6日
私の頭の中にはいまや、
「なんということだ…」
「ああ…」
「せんせい…」
「さくらだー…」
の4バージョンしかないので書けることがありません。
すいません。
長い休みだとこれだからいけません。
私は二十歳になるまで昔の日記を読み返さないことにしたよ。
とりあえずやってみることに決めましてん。進むことにしましてん。って、そんな決意守るわけもないんだけどもね。普通に読み返しちゃうもん。
4月5日
わたし高校でたら自分のために一人暮らしするんだけど、弟は味噌汁も自分でつくれない。私は間違ったことをしようとしてるのであろうか。そうであろうな。
って、結構前から思ってたんだけどなんとなく書けなかった。
おかあさんは幸せにするけど弟はわからないな。弟はどうなるんだろう。お母さんは弟が来年高校に受からなかったり受けなかったりしたら家から追い出すと言ってる。ほんとうなわけがあるかな。
追い出されたらたぶん弟はお父さんの所に行くんであろう。お母さんはお父さんの方の親戚からいっぱい悪口を言われるだろう。そしてすべてを破壊したのは私という話にもなるだろう。お母さんの方の親戚は気まずくなるだろうなあ。なんて汚い結果なんだろう。
そんなんになったら、お母さんと弟と私で暮らしたここ数年の日々は、どこに消されてしまうんだろうか。弟は生きていけるんだろうか。
こんなことばっかり考えてて、というか頭に付きまとってて話にならない。そういうわけで最近更新しませんでした。すいません。
4月4日
お父さんくそ野郎だ。あんなやつもう知らねい。
というのはわりとむかしから思ってたことではあるのですが、
お父さんはいつも全然他人の事を把握できていなくて、把握できないなりに考えていると言うのでもなくて、把握できているつもりでバンバンやるので、私は昔からお父さんを間違ってると思ってたんだけども、昔は、怖いから言えなくて嫌い、という状態で、いまはお父さんもだいぶヨレヨレになってきたので言えるのであるが、やっぱり人の言うことも聞かず、反省もせず、もはや考えることも思うことも忘れて、おかねおかねおかねおかねおかねおれはふこうおれはふこうおれはふこうかねはおれのよめかねこそがおれのよめああたばこすいたいさけのみたいしごとおれえらい…みたいになってますます凄惨な様子になってしまっている。やっぱり嫌いだ。会うたびに腐っている。
お父さんと対等にお付き合いするためには、お父さんと同じくらい強いパンチとキックを持っていて、お父さんと同じくらい頭がよくて、お父さんと同じくらい学歴がピッカーンてしてて、お金も同じくらい持ってて、同じくらい会社でよいポジションに入っていなきゃいけないのです。そうしないと相手にしてもらえないのです。
私はお父さんとお母さんの結婚式の写真を見ると目が熱くなるよ。昔は、こんなの嘘だらけだって、嫌な気持ちになるだけだったけど。今では英和辞書の表紙んとこに挟んである。とてもよくみる。
むかしお父さんの方のおばあちゃんが、とっくにお父さんとお母さんが仲悪くなってるのにその写真を大事に飾ってて、泣きそうになったな。泣きそうになりながらまだ平原なんとかがジュピターとか歌ってる紅白歌合戦を見ていた。もう一年くらい会っていないが、おばあちゃん元気だろうか。会いにいきにくい。
お父さんほんとうに嫌だよ。子供に死ねって頻繁に言う親なんてありえないぜ。お父さん殴りたいなあ。
何で仲良くやれるように暮さなかったんだろうか。
4月3日 二本の木
私はもう少し生きていれば、やがて自由になるだろう。日本中好きなところに休みには出掛けて行って、祖父に絵葉書を出すことができるだろう。海辺のポストから、あるいは山ぎわから。あるいは母の生家から。あるいは祖母の、育ったあたりから。それは私の夢である。
がむしゃらにはたらかなきゃあなるまい。
私がこんなに働くことを気にしているのは、実はあんまり過去に働いたことがなくって、まあこんなふうに、よい生活をしてきて蓄えもあったものだから、でもどうにもこうにも次に進学するときには働かなきゃあなるまい。
だけども私はもう少し生きていれば、入り江を見ることもできるだろう。もっとたくさんを書くことができるようになるだろう。ああ、入り江!どんなだろう。それがどんなものであっても、見ることが喜びに違いない。
それからそうだ、家の近くにあるのより、もっと素晴らしい竹林を見ることができるだろう。松林も、ほんとうの小川にほんとうの魚が泳いでいるのや、ほんとうの奥さんや、ほんとうの子供たち、全て見ることができるだろう。
それは私の夢である。だけども、今もこれからも、少し急がなくちゃなるまい。私は年を取ってしまうんだから。どうやら、歳を取ると色々勝手が違うみたいだからね。
そう思ったら、私には写真なんて撮っている暇はないんだね。
4月2日 猫
猫かわいい。猫牛乳飲んだ。なんかそれだけの一日だったなあ。
いや…それだけの一日なわけはない。弟をパラッパラにしてる夢を見た。これがそろそろやばいという状態なら結構自然に踏み外すんですね。
私はもう親なんか信じないんだからな。親は私に食わせているというだけで私の何十倍も事情と都合を抱えているんだから酷いことされたりいじめられたりしてもしかたないんだっ。
こういうのが座敷ぼっこです。
4月1日 子供ができて寿命なら
なにが二十余年
僕のエイプリルフールは悲惨でした。
暗闇は春だからとのっぺり坂のふもとに溜っていた
けど
桜が咲いたんで、んー、だからなんだってんじゃないけど、ほんとさみしいもんだな。
その時は一緒だからな。
でももうすぐだと思うと、もうそっちに傾いているんだと思うと僕あ今すぐいっそやめたい。